“ケイ素版グラフェン”に熱い視線!
2011年、ダラス(テキサス州)で開催されたアメリカ物理学会(APS)3月会議の最終日のことだった。物理学者Guy Le Layは、会場を半分ほど埋めた聴衆の前で、新しい形態のケイ素(Si)に関するデータを発表した。彼は、エクス・マルセイユ大学(フランス)の研究室で、原子1個分の厚みしかない蜂の巣(ハニカム)構造のSiシートを作製したのだ。当時、予備的な証拠しか持ち合わせていなかったが、データを発表することに決めた。「それは冒険でした」と振り返る。
今年のAPS3月会議は3月18~22日にボルチモア(メリーランド州)で開催され、シリセンについて20数件の発表が行われる予定だ。シリセンとは、Le Layが2年前に恐る恐る報告した材料のことだ。
シリセンという名前はグラフェンを想起させる。グラフェンといえば、現在の材料科学界の花形である。シリセンへの関心が急上昇していることを考えると、シリセンがグラフェンの跡を継ぐことになるかもしれない。しかし、そうなるには、接触するほぼすべてのものにくっつくというシリセンの不利な性質を克服する必要がある。
シリセンの構造はグラフェンと非常によく似ており、両者ともハニカムシート構造をとる。違うのは、シリセンがSi原子からなるのに対し、グラフェンは炭素(C)原子からなることだ。シリセンも二次元構造をとるため、奇妙な量子効果が現れるはずであり、電子が信じられないほどの猛スピードで動きまわると考えられている。これは、2004年にグラフェンが初めて単離・評価されたときから、物理学者や電子デバイスメーカーを夢中にさせた特性である。グラフェン研究は2010年にノーベル賞受賞の対象となり、今年、欧州委員会によって10億ユーロ(約1300億円)の最重要プロジェクトの1つに選ばれた(Nature 493, 585–586; 2013参照)。
だが、シリセンにはグラフェンを上回る魅力があるかもしれない。シリセンはトポロジカル絶縁体と似た特性を持つことが予測されているからだ。トポロジカル絶縁体は、表面だけに電気が流れる物質であり、最近盛んに研究が進められている。
そして何より魅力的なのは、シリセンはシリコン(Si)でできていることだ。シリコンといえばまさに現代のエレクトロニクス産業を牽引する材料である。シリセンを取り入れたシリコンエレクトロニクスの「新時代」が到来するかもしれない、と中国科学院物理研究所(北京)の物理学者Kehui Wuは言う。
1つだけ問題がある。シリセンはものすごくくっつきやすいのだ。「グラフェンはとても安定な材料です」とアントワープ大学(ベルギー)の凝縮物質理論の研究者François Peetersは言う。しかし、シリセンは周囲の物質と容易に反応する。空気中で酸化されるし、他の物質とも化学的に結合する。また、ほぼ平坦なグラフェンと異なり、シリセンは、隣り合うケイ素原子が互いに結合し合うため波状の凹凸がある。このため、表面に付着しやすくなるのだ。
こうした反応性の高さが災いして、シリセンはグラフェンよりもはるかに作製が難しい。ノーベル賞受賞対象となったグラフェン研究では、まずグラファイトの塊から粘着テープでグラフェンシートを剥がしとった。これに対し、シリセンは、超高真空中でシリセンの自然な構造とぴったり合う材料の表面でしか成長させることができない(「シリセンをつくる」参照)。
しかし、銀(Ag)結晶がシリセンと最もぴったり合うことがわかった。Agの原子構造がシリセンの波状の凸部とかみ合うからだ。また、Ag表面には反応性がほとんどないため、シリセンが引き裂かれることがない。Si基板上にAgを成長させるために磨き上げてきた手法を逆に使って、Le Layは初のシリセンサンプルをAg表面に成長させたのだ1。
Agのほかに、シリセンを成長させることのできる材料が2種類だけ見つかっている。1つは二ホウ化ジルコニウム(ZrB2)である。Siウエハー上に高温でZrB2薄膜をコーティングすると、ZrB2はSiウエハーから自然にSiを吸い上げるので、表面にシリセンが形成される2。もう1つの材料は、今年1月に報告されたばかりのイリジウム結晶である3。
残念ながらこれらの材料は3つとも電気を通してしまう、と北陸先端科学技術大学院大学(石川県能美市)の材料科学者高村(山田)由起子は言う。分厚い伝導体が存在すると、シリセンの繊細な電気的特性がわからなくなるため、奇妙な量子効果という理論予測が正しいかどうか調べられなくなるのだ。
シリセンが期待どおりの性能を示すかどうか調べるには、シリセンを成長させるための半導電性または絶縁性の表面を探さなければならないだろう。基板から剥がれた状態のペラペラのシリセンシートを作製する手法が開発されればもっとよい、と高村(山田)は言う。だが、どうすれば基板に付着していないシリセンシートを作製できるのか、完全には明らかになっていない。「この分野はますます競争が激化しています。たとえアイデアがあったとしても口外しないと思います」と彼女は言う。
ところが、競争に参加していないPeetersは、進んでアイデアを話してくれた。彼は、別の材料でできた2枚のシートでシリセンを挟むことによってシリセンを安定化でき、外界とシリセンとの反応を防ぐことができるのではないかと考えている。
「もしシリセンシートが使われるとしたら、2枚のシートでサンドイッチされた状態で使われるでしょう。それがシリセンを安定化させる方法だからです」と彼は言う。外側のシートは「どんな材料でもよく、シリセンシートで何をしたいかによって決めればいいのです」。
いろいろな問題はあっても、シリセンの未来は明るいように見える。シリセン研究は、ヨーロッパの大規模なグラフェンプログラムの一部として組み込まれてきたし、米国でも注目を集めつつあるとLe Layは言う。
APS 3月会議でのシリセンに関する発表は、2年前より盛況になりそうだ。しかし、Le Lay はそこにはいないだろう。セミナーで講演するのに忙しいからだ。ハワイからオーストラリア、そして日本へと移動する。「忙しすぎるけど、それでいいんです」と彼は言う。
翻訳:藤野正美
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 6
DOI: 10.1038/ndigest.2013.130608
参考文献
- Vogt, P. et al. Phys. Rev. Lett. 108, 155501 (2012).
- Fleurence, A. et al. Phys. Rev. Lett. 108, 245501 (2012).
- Meng, L. et al. Nano Lett. 13, 685–690 (2013).
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