環境にやさしいセメント
今年、全世界で生産されるセメントは約34億トンにのぼる。これをすべてマンハッタン島に注ぎ込んだとしたら、高さ13mの巨大な一枚岩ができる計算だ。中国やインドといった開発途上国で建設ブームが進行中であることを考えると、来年はもっと大きな一枚岩になるだろう。セメントは、2000年前の古代ローマのパンテオンから現代の超高層ビルや幹線道路に至るまで、さまざまな人工物を築き上げるのに使われており、文明に不可欠な原材料といえる。
今日最も広く用いられているセメント材料が「ポートランドセメント」で、これは石灰石と粘土を巨大なキルンという窯で焼くことによって製造される。残念なことに、この過程で最終生成物1トン当たり1トン近い二酸化炭素が大気中に排出される。結果として、ポートランドセメントの製造工程で生じる温室効果ガスは、人為的な温室効果ガスの全排出量の約5%をも占めるのだ。
排出削減方法を模索する研究者にとって、セメントは単なるありふれた大量生産品ではない。実はセメントは、材料科学分野で最も複雑な物質の1つでもあるのだ。セメントの構造、組成から、水を混ぜると固まる反応に至るまで、「私たちはまだセメントに関する最も基本的な疑問にも答えられていないのです」とマサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)のコンクリート・サステイナビリティ・ハブ(CSHub)のディレクターHamlin Jenningsは言う。
「水とセメント粉末が触れ合うと何が起こるのか。この問題についても活発な議論が展開されています」と米国立標準技術研究所(メリーランド州)のセメントの専門家Kenneth Snyderが付け加える。「議論はほとんど宗教戦争状態と言っていいでしょう」。
にもかかわらず、炭素税やキャップ・アンド・トレード市場の実現が見込まれることから、世界中の業界団体が、環境にやさしい持続可能なセメント製造計画を採用する傾向にある。取り組みの内容は、基礎研究の支援から国際建築基準の改正までさまざまであり、うまくいけば、最終的にはセメント産業の二酸化炭素排出量が半減する可能性がある。
CSHubは、この分野最大の学術研究センターの1つであり、業界のスポンサーから5年にわたって総額1000万ドル(約9.5億円)の資金を得て2009年に設立された。現在、10数名の主任研究員を擁しており、いろいろな構造体の機能から量子力学的特性に至るまで、セメントを徹底的に理解し尽くそうと努めている。「セメントができるとき分子スケールで何が起こっているのかを考えると、理屈が明らかになります。これを求めて奮闘しているのです」とJenningsは言う。
謎に満ちた硬化過程
セメントの製造工程(下図を参照)は、石灰石とアルミノケイ酸塩粘土の混合から始まる。「それぞれの原料が、特有の化学的性質を持ち、特有の不純物を含んでいるのです」とJenningsは言う。それらをキルンに入れて約1500℃で焼成すると、いろいろな反応が起こり、「クリンカー」という灰色がかったビー玉サイズの塊ができる。クリンカーは、ケイ素、鉄、アルミニウムの酸化物(ほとんどが粘土由来)と酸化カルシウムを含んでいる。
酸化カルシウムは、加熱により石灰石の炭酸カルシウムから二酸化炭素が抜けることによって生成するが、こうして抜け出た二酸化炭素が、セメント製造工程からの主な排出源の1つである。もう1つの排出源は、燃料を燃やしてキルンを加熱するときに発生する二酸化炭素である。次に、クリンカーは冷却され、セメントの硬化速度を調節するために石こうと混ぜ合わされる。その後、粉砕して小麦粉程度の硬さの粉末にされ、バッチプラント(生コン工場)へと配送される。
バッチプラントではセメント粉末に水を混ぜてペースト状にするが、その稠度は使用目的(例えば橋の杭か舗道か)に応じて調節される。ほとんどの場合、ペーストに砂や砂利、小石が混ぜられる。こうしてできたコンクリートスラリーが、コンクリートミキサー車で建設現場に運ばれ、型に注ぎ込まれた後で硬化する。硬化過程はすぐに始まるが、完全に終わるまでに数か月かかることもある。
「最初の数時間は流体状態なのですが、その後、猛烈な化学反応が同時に始まり、硬化を促す生成物が生じます。この不思議な現象について、精力的に研究されているのです」とJenningsは言う。最も重要なのは、水と粉末状クリンカーの混合物を、人工の石、つまりケイ酸カルシウム水和物のマトリックス(CaO–SiO2–H2O、略してC–S–H)に変える水和反応である。「地球上のあらゆる建造物に、こうした液体から石への転移が利用されているわけです」とCSHubの物理化学者Roland Pellenqは言う。
しかし、C–S–Hの化学組成が腹立たしいほど不明確なのだとPellenqは指摘する。各成分は一定の比率を持たず、硬化したコンクリートサンプル中の反応生成物は、最初の原料、用いた水の量、カルシウム/ケイ素比のほかに、添加剤、不純物、温度、湿度によっても変化する。当然のことながらコンクリートは不透明なので、C–S–H生成時の分析は非常に困難である。
レシピを微調整
こうした困難にもかかわらず、PellenqとCSHubの共同研究者たちは炭素排出問題の解決に向けて前進している、とPellenqは言う。有望な解決策は、燃やす燃料を少なくできるよう焼成温度を下げる手段を見いだすことだ。Pellenqが目を付けたのは、エーライト(Ca3SiO5)とビーライト(Ca2SiO4)である。これらはクリンカー中の主要鉱物であり、セメント硬化時にC–S–Hに変化する。
エーライトはビーライトよりも反応性が高く、水を加えてから数時間以内に硬化し始め、コンクリートに初期強度をもたらす。しかし、エーライトの生成に1500℃の温度が必要なのに対し、ビーライトは約1200℃で生成する。最終的にはビーライトのほうが強くなるのだが、ビーライトは硬化が始まるまでに数日から数か月かかるので、そのままでは建設資材としては使えない。Pellenqらは、エーライトと同等の反応性を持ち、低いキルン温度で生成する(このため燃料を節約できる)ビーライト結晶構造があるのではないかと考え、研究を進めている。
ビーライトの反応性は、結晶中の電子分布など詳細な原子スケールの状態に依存する。研究者らは、C–S–Hの構造がアルミニウムやマグネシウムなどの不純物の影響をどのように受けるか調べるため、量子力学的計算を行った(K. Van Vliet et al. MRS Bull. 37, 395–402; 2012)。「クリンカーを量子力学的に設計するには、電子がどこにあるのか知る必要があるのです」とPellenqは話す。CSHubの研究者らは、エーライト結晶では常に一部の結晶面が他の面よりも水に溶けやすいのに対し、ビーライト結晶はすべての結晶面が同様なので、水との反応性が低いことを見いだした(E. Durgun et al. Chem. Mater. 24, 1262–1267; 2012)。このため、ビーライトの硬化速度はエーライトより遅くなる。しかしこの結果は、マグネシウムなどの不純物を添加すればビーライトが水に溶けやすくなる可能性があることを示唆するものでもある、とPellenqは言う。建設用セメントの主成分として使えるほど硬化を速くできるかもしれない。
ところが、低温ビーライトへの動きは、新たな問題を引き起こす。CSHubの機械技術者Franz-Josef Ulmのチームは、ビーライトを粉砕して粉末状にするには、エーライトの4~9倍のエネルギーが必要であることを見いだしたのだ。したがって、ビーライト含有量の多いクリンカーを使用することで二酸化炭素排出量が削減されるというメリットが、減殺されてしまう可能性がある。
従来のクリンカーに代わる代替品に解決策を求める会社もある。Ceratech社(バージニア州アレクサンドリアのセメント会社)の研究者は、2000年前、古代ローマの技術者たちが使用したセメントからインスピレーションを得た。その主成分は、火山灰の一種、ポッツォラーナであった。ポッツォラーナは水と反応してセメントになるので、天然のクリンカーとして働く。
Ceratech社が利用したのは、工業版ポッツォラーナ、すなわちフライアッシュである。フライアッシュとは、石炭火力発電所の燃焼ガスから回収される微粒子のこと。米国の発電所は毎年およそ7000トンのフライアッシュを生み出しているが、そのほとんどが貯蔵もしくは埋立処分される。Ceratech社は数種の独自の液体添加剤と混ぜ合わせることによって、フライアッシュをセメント粉末に変換している。その工程は熱を必要としないので、このフライアッシュセメントはカーボンニュートラルだとCeratech社は説明する。
「バッチプラントでは長年にわたり、多くて15%のフライアッシュを含んだ混合物が作られてきましたが、当社の調合では、95%がフライアッシュで5%が液体成分なのです」とCeratech社の副社長Mark Wasilkoは言う。加えて、フライアッシュセメントから作製したコンクリートは、従来のものより強く、コンクリートの使用量を減らすことができると彼は言う。Ceratech社 によると、一般的な3階建て4600m2のビルの場合、フライアッシュセメントを利用すれば、コンクリートの総量を183m3、鉄筋の総重量を約34トン減らせるという。その結果、374トンのフライアッシュが埋立地に向かわずに済み、320トンの二酸化炭素が排出されずに済む計算になる。
「我が社はセメント業界ではごく小さな存在なので、当社の排出削減方法の影響力は、数十億トンのうちのごくわずかにすぎません」とWasilkoは言う。大規模な二酸化炭素削減は、次世代セメントが、建設業界の何千という独立した生産者、技術者、建築家、都市設計者、建築検査官によって受け入れられないかぎり、実現しない。必要なのは、従来の安心なセメントをやめて新しい環境にやさしいセメントを選ぶときの抵抗感、リスク感覚を減らすことだ。問題は、「うまくいかないと上司に叩かれるから使わない」といった消極性だとSnyderは指摘する。
二酸化炭素排出のコストを大幅に高くするような税やキャップ・アンド・トレード方式を多くの国々が採用すれば、こうした姿勢は変わるかもしれない。しかし、消極性を克服する具体的で短期的な方法は、橋や道路やビルなど宣伝となる構造物を建造し、新しいセメントやコンクリート材料が実際に実現可能であることを証明することである。Ceratech社が毎年取り組む数十のプロジェクト、例えばジョージア州サバナ港のドック構造体や、Gulf Sulphur Services社(テキサス州ガルベストン)向けの薬品処理槽などが、そうした目的にかなうことを望んでいる、とWasilkoは言う。
前進する理由は十分にある。この記事を読むのにかかった8分程度の時間に、セメント産業は3万トンもの二酸化炭素を大気中に放出してしまうからだ。
翻訳:藤野正美
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2013.130516
原文
Concrete solutions- Nature (2013-02-21) | DOI: 10.1038/494300a
- Ivan Amato
- Ivan Amatoは、米国メリーランド州シルバースプリング在住のフリーランスライター。