News

遺伝子診断を阻む壁

Harrison Harkinsは脊椎の形態異常を持って生まれ、体重もその後いっこうに増えなかった。担当医たちにはその理由がほとんどわからず、特に手だてのないまま5か月が過ぎてしまった。しかし2011年11月に、ベイラー医科大学(米国テキサス州ヒューストン)の計算生物学者Matthew Bainbridgeが1つの手がかりを見つけた。Harrisonとその両親の遺伝学的データを解析して、この子がASXL3という遺伝子に異常を持っていることを突き止めたのだ。

Credit: istockphoto

この変異が「真犯人」なのかどうか確かめるため、Bainbridgeはさらに、同じようにASXL3変異を持つほかの子どもの記録を入手しようとしたのだが、なかなかうまくいかなかった。そこで彼は、多くの科学者がやっているように「人脈」を利用した。その結果、オランダの研究チームが、ASXL3変異があって症状もHarrisonと似ている別の少年を治療中のドイツ医師団に、Bainbridgeを紹介してくれた。また、ベイラー医科大学の内部データベースでもさらに2つの症例が見つかり、これでASXL3変異と症状の結びつきがはっきりしたとBainbridgeは思った。彼は、2月5日に発表した論文で、この4人の子ども全員に共通して見られる症状について記載し、これはおそらくASXL3遺伝子の変異が原因だと報告した(M. N. Bainbridge et al. Genome Med. 5, 11; 2013)。

Bainbridgeが行ったような変異発見に要する時間は、現在、新しいツール類のおかげで短縮されつつある。医療用のゲノム配列解読技術の需要が高まり、希少難病の研究への資金投入が増えたこともあって、ゲノム塩基配列と症状(遺伝学的な言い方では「遺伝子型と表現型」)を結びつける作業は、ますます急がれるようになった。2013年4月に、国際希少疾患研究コンソーシアムの第1回会議がダブリンで開催されるが、その後のワークショップで、「データの共有を阻む障壁」への対処法が練られる予定である。「現在の研究界には、事態が好転しつつあるという、非常にいい感触があります」と、シャリテ・ベルリン医科大学(ドイツ)の計算生物学者Peter Robinsonは話す。

ゲノム塩基配列解読をしてもらった人の数は何千人にも上る。しかし、研究者や家族はプライバシーが侵害されることを懸念して(「『配列解読』に慰めを見いだす家族」参照)、有用なデータの所有権を放棄したがらず、これが研究成果を比較検討する際の妨げになるケースがよくある。また、データの多くは民間の遺伝子診断企業が保有しており、部外者は閲覧できない。この状況について、ワシントン大学(米国シアトル)の小児遺伝医学科の主任であるMichael Bamshadは、「診断サービスのために配列解読を行っている臨床検査室にとって、大きな難題となっています。もし、そうした検査室で1個の遺伝子に変異を見つけた場合、その変異が病気の原因だと知るにはいったいどうしたらいいでしょうか」と話す。

データ共有の拡大・強化によって最大限の利益を得られる立場にあるのは、希少で診断の難しい疾患を持つ患者だ。既知の7000種類の希少遺伝疾患のうち、遺伝的要因が見つかっているものは半数に満たない。それでも、どの病気か特定することで、親は子どもが将来どうなるか知ることができ、また、研究者は薬剤開発のための標的を定めることができる。

現在、いくつかの研究グループが、より充実したデータベースの構築とそれらの連携を実現させようとしている。例えば、国立生物工学情報センター(NCBI、米国メリーランド州ベセスダ)は2012年11月に、「ClinVar」というデータベースを開設した。ClinVarには、ほかの数十か所のデータベースの情報がプールされている。参加する検査室は、個々の患者に見つかった変異に関するデータをそこに登録できる(Nature 2012年11月8日号171ページ参照)。

しかし、多くの臨床検査室では、いまだにClinVarなどのデータベースとの情報共有がうまくいっていないと、レスター大学(英国)の遺伝学者Anthony Brookesは話す。彼はその理由について、そうした検査室で働く人が、データを登録するための時間を確保できないことや、そのための専門の技術を持っていないためであったり、またデータを登録することで、患者の個人情報が侵害されたり、自身の生計が脅かされることを恐れている場合もあると説明する。「そこにデータを放り込んで研究者の好きにさせることは、彼らの職分を超えているのです」と彼は言う。

Brookesは現在、「Cafe Variome」というツールを使ってこの問題に取り組もうとしている。このCafe Variomeは、データベースというより「ショーウインドー」に近いと彼は説明する。臨床検査室はここに、「こんなデータを持っている」という情報を提出する。ユーザーは、このウェブサイトでどんなデータがどこの検査室にあるかを閲覧でき、関心があれば、そのデータを持つ検査室と連絡を取ることができる仕組みだ。こうすることで、臨床検査室は保有データの閲覧をコントロールすることができるし、またデータが使われた場合には、検査室の名前をクレジット表記してもらうことができる。「自分たちが保有するデータにアクセスするのが他の臨床検査室だけだとわかれば、もっと安心してデータを共有しあえるようになるはずです」とBrookesは説明する。

だが、もう1つ問題がある、とRobinsonは言う。データベースの所有者たちにデータを共有する意思がたとえあったとしても、表現型を記述するための「共通の言葉」がないのだ。彼は今、大規模解析のために表現型の定義を標準化する方法について研究中である。

こうしたツール類はまだ、Bainbridgeをはじめとする研究者にとって、使ってすぐに役立つところまではきていない。彼のチームがHarrisonの病状について最終的な診断を下すことができたとき、Harrisonはすでに生後9か月となっており、そのわずか1か月後の2012年3月にHarrisonはこの世を去った。「こうした病気を持つ子どもの親と15分でも一緒に過ごせば、すべての検査室がデータを共有すべきであるとわかってもらえるでしょう。データの共有は、少ない費用で多くの人を助けることができるのです」とBainbridgeは言う。

まれな結びつき

「配列解読」に慰めを見いだす家族

Harrison Harkinsは、最終的な診断が下された1か月後に、その短い生涯を閉じた。

Credit: BRIAN MCGUCKIN

遺伝学的な配列解読の威力をよく知っている医学研究者にとって、自分たち以外の人間がそれに気が付いていない(あるいは、その有用性を信じていない)ことは大きな驚きだろう。ライフテクノロジーズ社(米国カリフォルニア州カールズバッド)で配列解読技術の開発に携わっているTim Harkinsがそのことを知ったのは、病気で苦しむ息子の担当医たちに、「診断に役立てるためにゲノムの一部を配列解読してはどうでしょう」と提案したときだった。「彼らは、私の言っていることが全然わかっていませんでした」とHarkinsは振り返る。

そこで彼は、ベイラー医科大学(テキサス州ヒューストン)の遺伝学者たちに連絡をとった。そのチームは、Harrisonの ASXL3 遺伝子変異を見つけてくれた。遺伝子診断は「計り知れない慰めをもたらしてくれました」とHarkinsは言う。彼にとって特に大きかったのは、13歳になる上の息子に、「この変異は突発的なものであって遺伝しない」と伝えられたことだ。「私は彼にこう言うことができました。君が将来、弟のような子を持つ確率は、雷に撃たれる確率よりも低いんだよ、とね」。

配列解読は、実際すでに費用がかなり安価になっているのに、いまだに、臨床に使うには高価すぎるうえに有意義な結果は得られないものとして扱われている、とHarkins は話す。もちろん、それは誤った認識だ。Harkinsは自身の経験を語る。「配列解読による診断結果を知ることで、必要のない外科手術や治療を受けずに済みますし、これをしなくていいのか、あれはどうなのかと、当てずっぽうの推測をしなくてもよくなります」。

ドイツでは、配列解読に対する不安はもっと根深い。ハンブルクに住むChristian-Alexander Neulingと妻Mariaは、息子Ferdinandの ASXL3 に変異があることを遺伝子診断で知り、少しばかりホッとした。Neuling夫妻は、Ferdinandのためにできることをすべてやっていると確信でき、安堵したのである。Ferdinandは現在、4歳になる。さらに、この遺伝子診断のおかげで、同じ病状の子どもを持つ米国の別の家族と連絡をとり合うこともできた。

しかしNeuling夫妻は、ドイツでは遺伝学的な配列解読に対して非常に懐疑的であると憂慮する。この国では、あらゆる遺伝子検査の実施に医師の許可が必要で、カウンセリングが義務付けられている。「この過程で交わされる議論は実に一方的なもので、遺伝子配列解読をしないように強い働きかけがあるのです」と、Christian-Alexander Neulingは話す。Neuling夫妻は、自分たちのケースによって、ほかのドイツ人の抱く「遺伝子配列解読は優生学やデザイナーベビーにつながる」という懸念を一部でも払拭できればと思っている。「親は地獄から救われ、病気の子どもに役立つものを見つけようという気持ちになれるのです」。

E.C.H

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130528

原文

Data barriers limit genetic diagnosis
  • Nature (2013-02-14) | DOI: 10.1038/494156a
  • Erika Check Hayden