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加速する「遺伝子解析」の医療利用

2013年のゲノム生物学&テクノロジー会議(Advances in Genome Biology and Technology、以下AGBT)が、2月20~23日にマルコ島(米国フロリダ州)で開催された。この会議では毎年、次世代シーケンシングに関する最新技術が発表される。

1細胞ゲノミクスにより、不妊治療では異常胚選別のコストが下がった。

Credit: TRACEY GRIFFITHS

価格破壊が続いたゲノムの塩基配列解読コストは、ついに下げ止まったようだ。しかし、AGBTに出席した研究者らに不満はない。というのも、すでに、ヒトゲノムの解読コストは1回当たり5000~1万ドル(約47万~95万円)と安価になり、また信頼性も彼らにとって十分であることから、彼らは次のシーケンサー(解読機)を待たなくても、新しい医療応用へと進むことができるのだ。

最近、そうした恩恵を受けて発展している医療がある。体外受精後の胚スクリーニングとメタゲノミック診断だ。メタゲノミック診断では、雑多な微生物の配列をまとめて解読し、1つ1つのゲノム情報を明らかにして、それら微生物がヒトの健康に有益か有害かを判定し、診断に用いる。ワシントン大学(米国シアトル)の遺伝学者Jay Shendureは、「この世界は成熟しつつあります」と語る。

昨年のAGBTでは、オックスフォード・ナノポア社(英国オックスフォード)が、DNA配列の解読をかつてない低コストかつ高速度で実行できるシーケンサーの詳細を発表して研究界に衝撃が走ったが、その機械はまだ発売されていない。そのうえ今年は、華々しい新技術の発表はないと予想されている。結果として、イルミナ社(米国カリフォルニア州サンディエゴ)のシーケンサー「HiSeq」が、市場の頂点に君臨し続けている(「価格がこなれたゲノム解読」参照)。コールド・スプリング・ハーバー研究所(米国ニューヨーク州)の定量生物学者Michael Schatzは、この分野の現状についてコンピューター回路の進歩になぞらえ、「長く続いた劇的な技術革新の後に来た調整期にあり、技術の微調整によって新しい用途を開拓しようとしている状況」と説明する。

SOURCE: THE COMPANIES; TRAVIS GLENN

今年のAGBTの目玉である「1細胞ゲノミクス」と関係する技術が注目されている。1細胞のゲノム配列を解読する場合、DNAの増幅が必要となるが、これまでの方法ではその操作によって配列に誤りが生じることがあった。しかし、この新しい増幅法を用いれば1つ1つの細胞から正確な配列が得られるため、例えばヒトの胚から取り出した貴重な細胞のゲノム解読に、大いに役に立つ。

今回のAGBTではこの技術について、オックスフォード大学(英国)のDagan Wellsが、体外受精で作られた胚の中から最も健康な赤ちゃんに育ちそうなものを選ぶ際にどのように有用であるかを説明する。

生殖医療の専門家はそうした胚の選定を以前から行っているが、すべての8細胞期胚から細胞を1つ取り出した後、染色体異常を検出するためのさまざまな検査を行って、胚の遺伝的異常を探し出す。その費用は1回の体外受精で1000ドル(約9万5000円)ほどと高額だ。

Wellsはそれに代えて、採取した細胞からDNAを抽出して増幅し、ゲノムの一部の配列を、イオントレント社製の高速シーケンサー「Personal Genome Machine」で解読している。イオントレント社(米国コネチカット州ギルフォード)は、2010年にライフテクノロジーズ社(米国カリフォルニア州カールズバッド)の傘下に入った企業だ。Wellsはこの方法で、染色体全体の重複や欠失(発生の初期段階で最も多く見られる異常)を1日以内で検出する。この技術で選抜した胚によってすでに複数の女性が妊娠しており、Wellsはさらに、今年の後半に大規模な臨床試験を計画している。この技術を使えば費用を従来の半分にまで抑えられることから、Wellsは検査を利用できる女性が増えることを期待している。

一方で、既存の技術に磨きをかけ、DNA鎖の平均リード(読み取り)長をさらに長くしようと試みている研究者もいる。市場を広く押さえている装置は、解読できるDNA断片がせいぜい数百塩基対と短いため、ゲノムの一部を見落としてしまう。そのため、例えば、近縁の微生物どうしを見分けるには、もっと長いリードが必要だ。腸や膣の中で何らかの微生物種が増えすぎることで、患者に下痢や早産といったさまざまな問題が生じやすくなっているかどうかを調べるには、重要な要件なのだ。

イルミナ社は、昨年の後半にモレキュロ社(米国カリフォルニア州サンフランシスコ)を買収した。モレキュロ社は、配列解読に用いるDNAの調製法を変えて読み出しに新しい分析ソフトウェアを導入して、リードを伸ばす技術を開発している。イルミナ社は、この技術を使ってシーケンサーで得られるデータをうまくつなげ、数千塩基という、これまでの10倍のリード長が得られるようにした。

また、パシフィックバイオサイエンス社(米国カリフォルニア州メンローパーク)のシーケンサーでも、人工ポリメラーゼを使用することにより、数千塩基に及ぶリード長が常時得られる。同社の初期のシーケンサーは信頼性に問題があったが、利用者によればそれは解消されたようだ。だが、パシフィックバイオサイエンス社の市場占有率はまだ、イルミナ社とライフテクノロジーズ社には遠く及ばない。そのライフテクノロジーズ社においては、イオントレントのシーケンシングシステムの販売が好調で、2013年の売上高は5%も増えるという見通しを2月に発表した。

配列解読の世界でも、買収話が起こる企業は投機の的として熱い視線を注がれる。「ライフテクノロジーズ社のシーケンス事業部が買収されるかもしれない」という噂が流れたとき、同社の株価はこれまでの最高値を記録した。一方、イルミナ社は最近、ロシュ社(スイス・バーゼル)による敵対的買収を逃れた。ロシュ社は、1月にその企てを正式に断念したのだ。そうした出来事はあったものの、根本的な状況はあまり変化していない。

主要企業のあらゆる再編は、次の激動期を待たねばならないだろう。そのきっかけとなるのは、ゆくゆくは「1000ドルゲノム解読」が1日で得られるとライフテクノロジーズ社がうたう、今まさに実験室に革命をもたらしている同社のイオンProton機のようなものかもしれないし、いまだに姿を現さないオックスフォード・ナノポア社のGridION機やMinION機のようなものかもしれない。

それはそうとして、Shendureは今年のAGBTについて、「派手さはなく、科学的なものになるでしょう。それでいいのです」と語った。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130520

原文

Gene sequencing leaves the laboratory
  • Nature (2013-02-21) | DOI: 10.1038/494290a
  • Erika Check Hayden