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ニューヨークを高潮から守れ!

Credit: MICHAEL BOCCHIERI/GETTY

ニューヨーク市マンハッタン区の南端に位置する地下鉄1号線のサウスフェリー駅。その階段を下りながら、Joe Leaderの心は沈んでいった。2012年10月29日午後8時、ハリケーン「サンディー」は、150kmほど南のニュージャージー州に上陸したところだった。ニューヨーク市地下鉄網の管理責任者としてパトロールに出ていたLeaderは、サウスフェリー駅がハリケーンからの避難場所になることを期待していたが、そこで彼を迎えたのは、煙報知器のサイレンのかん高い音と、ごうごうという水音だった。プラットフォーム階に至る最後の階段を4分の3まで下りたところで、彼は懐中電灯の光を暗闇に向けた。プラットフォームはすでに水没していて、海水は1、2分に1段ずつ階段を飲み込んできていた。

今、Leaderは同じ階段に立って、当時のことを回想する。「あの光景を目にするまで、駅は大丈夫だと思っていたのです」。

5億4500万ドル(約520億円)の建設費をかけて2009年に開業したばかりだったサウスフェリー駅は、浸水から数か月が経過した今もなお、ひどい状態にある。塗料は剥がれ、エスカレーターは壊れ、腐食した電気設備などが散乱している。マンハッタンの多くの場所は平時の姿を取り戻したが、世界経済の中心地ウォール街から数ブロックしか離れていないのに、この駅は今後2、3年は使用不能のままになるかもしれない。それは、ニューヨークを襲ったものとしては史上最大のハリケーンが沿岸部に残した無数の爪痕の1つにすぎない。

サンディーは、気候との国際的な戦いの最前線に立つと自負するニューヨーク市が受けた最大の試練となった。この10年間、同市は科学者と協力して、異常気象や海面上昇に備え、温室効果ガスの排出抑制に努めてきた。これほど長期にわたる計画を立てている都市はほとんどない。しかし、サンディーはニューヨークの隠れた脆弱性を暴き出した。死者は43人にのぼり、数千人が家を失った。公共部門と民間部門の推定被害額は約190億ドル(約1.8兆円)にのぼり、金融街は麻痺した。ニューヨーク証券取引所も閉鎖されたが、それは実に、1888年にブリザードによって閉鎖されて以来の出来事だった。

大きな打撃を受けたニューヨークが復興に着手する一方で、科学者や技術者たちは、サンディーが襲来したときに何が起きたのか、そして将来、地球温暖化がさらに進んだときに、ニューヨークはどのような問題に直面するのか、真剣に考えるようになった。しかし、気候変化に関する議論の幅が広がるにつれて、課題も表面化してきた。潜在的な脅威の大きさについても、沿岸部の守りを固めて高潮による被害を減らすために市がどの程度の支出をするべきかについても、人々の意見が一致していないのだ。

ニューヨーク市長Michael Bloombergは、同市がサンディーの被害を受けてから最初に行った2012年12月6日の公開演説の際に、賢明な再投資を行い、長期にわたって都市機能が維持されるよう努力する、と約束した。その一方で、「我々は現実の世界で暮らさなければならず、費用と便益の分析に基づいて、困難な決定をしなければなりません」とも釘をさした。彼は、気候の変化が、高潮だけでなくかんばつや熱波の脅威ももたらすことを指摘して、ニューヨークにとって、今回の高潮の問題を解決すれば終わりなのではなく、その先に新たな戦いが待ち受けていることを常に意識してほしい、と語った。

予想される危険

サンディーが去った直後のマンハッタン南端部は、まるで戦場のようだった。浸水によって変電所がダウンしたため、停電区域から避難してきた人々が、毎晩、懐中電灯を手にして、あてもなく北に向かっていったのだ。

ハリケーンは、ニューヨーク市内のマンハッタン以外の地区にも壊滅的な打撃を与えた。スタテン島では、繰り返し押し寄せる波が数百軒もの家屋を打ち壊し、クイーンズ区のある界隈では、浸水により電気系統がショートして火災が発生した。市内の一部では2週間以上も停電が続いた。今回の高潮を経験し、ニューヨーク市民は、2011年のハリケーン「アイリーン」が直撃ではなく単なるニアミスにすぎなかったことを痛感した。そして今、次に何が起こるのか、不安にかられている。

ニューヨーク中心部でいくつかのオフィスビルを管理しているRudin Management社の最高経営執行者であるJohn Gilbertは、「これまでとは違った新たな“常態”というものがあるのではないか?」と問いかける。「だとしたら、それはどんなものなのでしょう?」。Gilbertの会社はすでにその対策に乗り出した。同社が管理するビルの1つは、ハリケーンによって約1900万Lもの水が入ってしまったが、現在、電気系統を2階に移しているところだ。「一度起きたことは、また起こる可能性があります。もっと悪い状況になるかもしれません」と彼は言う。

サウスフェリー駅の近くにあるバッテリー公園では、サンディーによる高潮は、平均潮位より2.75mも高い値となった。これは、1923年にここに潮位計が設置されて以来、最も高い観測値だった。2013年2月にRisk Analysis誌に発表された論文では、ハリケーンのシミュレーションに基づくデータ解析から、今日の気候のもとでは、これだけの高潮がバッテリー公園を襲う確率は500年に一度程度であると結論づけている(Aerts, J.C.J.H et al. Risk Anal. http://dx.doi.org/10.1111/risa.12008; 2013)。

しかし、この論文の著者たちも、ほかの科学者たちも、実際の危険はもっと高い可能性があると言っている。この研究では、バッテリー公園の浸水をハリケーン被害の深刻さのものさしとして使っているが、バッテリー公園には大きな被害をもたらさなくても、市内のほかの区域に大きな被害を及ぼすハリケーンがありうるからだ。そのようなハリケーンも考慮すると、ニューヨーク市がハリケーンにより大きな被害を受ける確率の推定値はもっと高くなる可能性がある。

また、500年に一度という見積もりには、サンディーの風変わりな性質が考慮されていない。サンディーは「フランケンストーム」というあだ名が示すように、熱帯低気圧と強力な冬の嵐が一緒になったものであっただけでなく、満月の大潮のときに、ニュージャージー州の海岸へと進行方向を変えたのだ。マサチューセッツ工科大学(MIT、米国ケンブリッジ)のハリケーン研究者で、この論文の共著者であるKerry Emanuelは、「サンディーは混成型のハリケーンでした」と言う。「研究者は、複数の要因が重なり合った混成型事象に対しても、そのリスクをきちんと評価する方法を理解する必要があるのですが、自分たちにそれができているという自信はありません」。

地球温暖化とともに、危険はどんどん大きくなるだろう。「気候変化に関するニューヨーク市パネル」が2010年に発表した評価によると、2080年までにこの地域の平均海面は0.3~1.4m上昇する可能性があるという。2012年にはEmanuelとその同僚らが、現在の気候のもとで100年に一度の確率で発生するクラスの高潮は、平均海面が1m上昇するなら、今世紀末には3~20年に一度の確率で発生する可能性があることを明らかにした。さらに、今日、500年に一度のクラスに分類される高潮は、25~240年に一度の確率で発生するおそれがあるという(N. Lin et al. Nature Clim. Change 2, 462-467; 2012)。

都市計画の担当者は、科学的に予測不能な要素があるにもかかわらず、現実に、都市を再建し、保護していかなければならないという困難な問題と直面している。科学者の中には10年以上前から、「ニューヨーク市は高潮に対するニューヨーク港の守りを固めるために、ロンドンのテムズ川防潮堤のようなものを建設しなければならない」と主張する者が少数ながら存在していた。今回のサンディーによる被害を受けて、人々は彼らの提案に関心を寄せるようになり、2013年1月にはニューヨーク州パネルが正式な評価を要請した。

橋と防潮堤

防潮堤建設推進派の先頭に立っているのが、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校で高潮モデルの研究室を主宰するMalcolm Bowmanだ。彼は、ニューヨーク港の入口に幅8km、高さ6mの構造物を建設し、イーストリバーとロングアイランド湾との境界に第二の防潮堤を建設することを考えている(「ニューヨークの水害マップ」参照)。ニューヨーク州パネルの見積もりによると、このような防潮堤の建設費は、設計に応じて70億~290億ドル(約0.7〜2.8兆円)にのぼるという。しかしニューヨーク港の防潮堤は、空港に行く電車や車両のための橋としても利用できるとBowmanは言う。「私は、来週からコンクリートを流し込めと言っている訳ではありません。調査をする必要がある、と考えているのです」と彼は言う。けれども、サンディーがもたらした高潮被害があっても、ニューヨーク市が大がかりな防御策を講じるようになるかどうかはわからないという。

SOURCES: FEMA; CITY OF NEW YORK; CUNY

過去には、大きな災害がきっかけとなって、多額の費用がかかる防御策が講じられたことがあった。ニューヨーク市は、1888年のブリザードをきっかけに、高架式だった通勤電車を地下化した。2005年にはハリケーン「カトリーナ」と「リタ」によりニューオーリンズ(ルイジアナ州)が壊滅的な被害を受け、この町を高潮から守るために総額146億ドル(約1.4兆円)の事業が始まったが、米国陸軍工兵隊はその一環として2012年に11億ドル(約1000億円)の防潮堤を完成させた。

しかし、ニューヨークの都市圏はニューオーリンズよりも大きく、複雑であり、この町を守るためには多岐にわたるアプローチが必要になる。ニューヨーク市の海岸線は800km以上もあり、その住人のうち数十万人が沿岸部に住んでいるが、サンディーにより大きな被害を受けたロングアイランドの沿岸部の大部分は防潮堤では守れない。さらに、防潮堤は時々しか発生しない高潮に対してのみ有効で、ゆっくりした海面上昇や雨による水害を食い止めることはできない。

自然保護団体ニューヨーク・ネイチャー・コンサーバンシーのプログラム・ディレクターで、昨年末までニューヨーク市の長期計画・持続可能性局の副局長をつとめたAdam Freedは、「防潮堤を建設すること自体は間違ってはいませんが、これさえあれば安全というものではありません」と言う。「大事なのは全体論的なアプローチで、地下室にあった電気設備を上の階に移動させることや、予備発電機の数を増やすことなど、地味な対策も多数含まれることになるでしょう」。

ニューヨーク市当局は、そうした全体論的な取り組みの一環として、かつてこの町を取り囲んでハリケーンから保護してくれていた湿地の残りを広げるという選択肢を検討している。Bloombergニューヨーク市長は演説の中で、湿地は、「我々の町に襲いかかるハリケーンに対する自然の防潮堤として、おそらく最高のもの」であると言った。

しかし、ここ数十年の間に、ニューヨーク市の湿地の大半は重要な不動産になってしまい、サンディーは、これらの地域の開発が何をもたらすかをさらけ出すことになった、とニューヨーク市公園部の湿地・沿岸回復課長であるMarit Larsonは言う。

ハリケーンの襲来から数週間後、Larsonはスタテン島の浜辺の近くに車をとめて、そこに広がる葦原をじっと見つめた。この葦原は、1980年代後半に始まった「スタテン島ブルーベルト」プログラムの対象になっている。このプログラムは、湿地の保全を通じて、豪雨などであふれた雨水の管理に役立てようというものだが、スタテン島の湿地はサッカー場ほどの広さもなく、サンディーがもたらした高潮はその上を進んで近くの家並みに損害を与えた。「歴史的地図で湿地だった場所は、すべて浸水しました」とLarsonは言う。

法律による規制

現時点で2300~4000haの湿地があるニューヨーク市は、湿地間のネットワークの強化に乗り出している。市長の2013~17年の予算計画には、海岸を開発から保護して再設計する取り組みの一環として、湿地の復元に2億ドル(約190億円)以上の費用が盛り込まれている。

サンディーは、建物を適切に建設することで、将来のハリケーンによる水害を減らせることも教えてくれた。スタテン島のある界隈では、崩れ落ちた屋根が、かつてそこに古いバンガローが立っていたことを示していた。しかし、その隣には新しい住宅がきちんと残っており、ガレージの浸水以外は目立った被害を受けていなかった。両者を比べれば、現代の建築法規の有用性は一目瞭然だ。ニューヨーク市では、連邦緊急事態管理庁(FEMA)が定めた「100年に一度の高潮による浸水予想区域」に建設される新しい建物は、予想水位より低い部分に居住部分を作ったり暖房ユニットなどの主要な設備を置いたりしてはいけないことになっている(「ニューヨークの水害マップ」参照)。

しかし、ニューヨーク市が行った区域指定による規制は、サンディーから町を守ることができなかった。当局の見積もりによると、今回のハリケーンによって被害を受けた家屋の3分の2が「100年に一度の高潮による浸水予想区域」の外に位置していたという。この点について科学者らは、FEMAの水害マップは明らかに時代遅れなものであり、100年に一度のスケールのハリケーンが指定区域の外まで被害を及ぼす可能性は十分に考えられた、と指摘する。2013年1月、FEMAはニューヨークの新しい水害マップを公開し始めたが、その地図では「100年に一度の高潮による浸水予想区域」が大幅に拡大されている。

Emanuelらによる最新の研究では、ニューヨークが高潮により直接受ける被害の平均年間被害額は、5900万~1億2900万ドル(約56億〜123億円)と推定されている。これに対して、100年に一度クラスのハリケーンに備えるための費用は50億ドル(約4800億円)、500年に一度クラスのハリケーンに備えるための費用は110億ドル(約1兆円)にも達する可能性がある。これらの数字には、生産性の喪失や地下鉄などの主要なインフラの被害は含まれていない。

Bowmanやほかの研究者らは、ニューヨーク市はその全域を500年に一度クラスの高潮から守れるように努力しなければならないと主張するが、すべての解決策が物理的なものである訳ではない。研究者や政府当局者の間では、ニューヨーク市は、災害への対応能力を高め、人々の復興努力を支えるための基本的な社会福祉事業を強化しなければならないとする声が強まっている。

Risk Analysis誌に掲載された論文の共著者で、アムステルダム自由大学(オランダ)で沿岸部のリスク管理の研究を進めているJeroen Aertsは、何よりも重要なのは、ニューヨーク市とその周辺地域が海岸線を守るために包括的な戦略を立てる必要があるということだ、と指摘する。Aertsはニューヨーク市当局と共同で、防潮堤システムの提案と、都市計画、区域指定、洪水保険の変更について検討している。「マスタープランが必要なのです」と彼は言う。

将来を見据えた復興

Seth Pinskyは、この目標のために努力している。ニューヨーク市経済振興公社の社長である彼は、Bloombergの指名により、地域とインフラをより安全なものにするための総合的な復興計画の作成を任された。彼は、海岸地区の新しい公園や住宅地は、ハリケーンによく耐えたと指摘する。Pinskyによると、クイーンズ区のアーバーン・バイ・ザ・シーという団地は、海から少し離れた場所に盛り土をして建設されていたうえ、砂丘によっていくらか守られたこともあって、今回の高潮を乗り切ることができたと言う。「周辺地域と比較すると、ここの建物はほとんど被害を受けませんでした」。

ニューヨーク市が高潮への守りを固めるためには、天文学的な費用がかかるだろう。2013年1月、米国議会は、サンディーがもたらした被害からの復興費用の約600億ドル(約5.7兆円)と、陸軍工兵隊によるインフラの修復と建設など、より長期的な投資のための約330億ドル(約3.1兆円)の資金を供給することを承認した。

Pinskyは、その資金のうちどれだけがニューヨーク市に来るかはわからないと言うが、十分な金額ではないことは確信している。彼のグループが公式な勧告を行った後で、ニューヨーク市は6月にその予算を定める。復興に向けた取り組みには、おそらく、公的金融と民間金融を「創造的に」混合していく必要があるだろうと彼は言う。「世界中で試みられたありとあらゆる方策を組み合わせる必要があるかもしれません」。

Pinskyは、もっと理性的で賢い開発を進めるよう要請しているが、ニューヨーク市が高潮や海面上昇に対処するために思い切ったアプローチをとる可能性は低いと言う。「ニューヨーク市の海岸線から退く必要はありませんし、現実問題として不可能です」と彼は言う。

沿岸部の開発規模の大きさを考えると、Pinskyの評価について議論するのは簡単ではない。ただ、多くの気候科学者は、沿岸部の開発を進めていっても、議論を先送りにするだけで、将来の水害の可能性が大きくなってしまうのではないかと心配している。海面上昇はこれからも長期にわたって続くのだから、多くの都市が、いつかは水害対策をしなければならないのだ。

コロンビア大学ラモント・ドハティー地球観測所(ニューヨーク州パリセーズ)の地球科学者Klaus Jacobは、「私はまだ、将来を見据えた解決策を見たことがありません」と言う。けれども彼は、自分自身にも将来的な展望が欠けていることを認めている。彼とその妻は、2003年にピアモント(ニューヨーク州)のハドソン川沿いの低地にある家を買った。そんな場所の家を買うのは専門家としての信条に反していたが、盛り土をすればよいと考えたのだ。しかし、法律により建築物の高さが制限されていたため盛り土をすることができず、彼の家はサンディーによる被害を受けた。夫妻は今、家を建て直しているところである。

「ある意味、私は危険を信じていなかったのだと思います」とJacobは言う。彼は家を高くするための新たな申請が認められることを望んでいるが、それでも、今世紀の終わりには、海面上昇によりその家を維持できなくなるのではないかと心配している。ニューヨーカーも、すべての沿岸地域の住民も、サンディーの教訓から学ばなければならない。「最終的には、我々は皆、もっと高い土地へ引っ越さなければならないでしょう」とJacobは言う。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130508

原文

New York vs the sea
  • Nature (2013-02-14) | DOI: 10.1038/494162a
  • Jeff Tollefson
  • Jeff Tollefsonは、ニューヨーク在住の Nature 記者。