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実験室は、安全な職場ではない

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2013.130432

原文:Nature (2012-01-03) | doi: 10.1038/493009a | Safety survey reveals lab risks

Richard Van Noorden

実験室の環境は、研究者自身が思っているほど安全ではないことが、アンケート調査によって浮き彫りになった。

研究職場に関する初の国際的なアンケート調査を見ると、実験室における安全性の確保について、科学者の感覚はどこか間違っているようだ。

回答を寄せた科学者約2400人のうち、約86%は自分の実験室が安全な職場だと考えている。それなのに、なんと回答者の半数近くが、動物に咬まれたり化学物質を吸い込んだり、さまざまな事故の経験があると答えているのだ。単独作業や未報告の受傷事故も頻繁に起こっており、特定の危険性に対する安全訓練の不足を指摘する声も多かった(「安全に関する設問」を参照)。

国際的なアンケート調査によって、実験室の安全性に対する研究者の態度・姿勢が明らかになった。

Credit:ISTOCKPHOTO/THINKSTOCK

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA;米国)の環境安全衛生部門を統括するJames Gibsonは、「安全性に対する軽視という文化を変えるには、この乖離をしっかりと認識させることが重要だと思います」と語る。2011年3月に発足した同大学の研究イニシアチブ「実験室安全センター」は、23歳の研究助手Sheharbano Sangjiの衝撃的な死を受け、安全性への意識や文化を調査する米国主導事業の一環として、今回の調査を企画した。

Sangjiは、4年前に起きたUCLAの実験室の発火事故で大やけどを負って死亡したが(Nature http://doi.org/dnws3n;2009を参照)、その事故をめぐって、上司の有機化学者Patrick Harranが訴追される可能性が残っている。また、エール大学(米国コネティカット州ニューヘヴン)における2011年の研究者の死亡事故などもあり(Nature 472, 270–271、本誌2011年7月号21ページ参照)、研究室の安全性に対する懸念は、ますます高まっている。

今回の調査について、米国アカデミー化学技術委員会の部長Dorothy Zolandzは、「安全性への態度・姿勢に関するデータ収集の試みとして、これほど包括的な例は見たことがありません。我が国の学術研究の実験室において、安全性に関する文化を改善する必要があるという指摘が、数々の報告書でなされてきました。今回の調査結果は、それを補強するものです」と話す。

Nature を発行するネイチャー・パブリッシング・グループは、姉妹企業のデジタルサイエンス社からの出資を受けて安全性コンプライアンスのソフトウェアを販売するバイオラフト社とともに、その調査の立ち上げに協力した。UCLAの実験室安全センターは、年内にデータをさらに細かく分析する計画だが、初期的な結果は Nature にも開示されている。

事の本質

調査参加者は匿名化されている。多くは米英人であるが、欧州大陸、中国、日本の研究者も含まれる。回答者の中には、負傷するのも研究のうちだと考える人もいた。ある科学者は「サルに引っかかれたことがあるが、どんなに注意してもこの仕事では避けられないことです」と記している。ガラガラヘビの毒液を採取しようとして咬まれたという別の研究者もいたし、顔と手に硫酸のしぶきを浴びて皮膚科での治療に3000ドル(約29万円)かかったという研究者もいた。受傷事故の多くは、切傷、裂傷、針刺しのような些細なものだが、回答者の30%は、医療処置が必要となるような「大けが」を実験室で目撃したことがある、と答えている。若手研究者の4分の1強は、受傷しても上司に報告しなかったことがある、という。

安全に関する設問

Credit:SOURCE:CENTER FOR LABORATORY SAFETY, UCLA/NPG/BONAMY FINCH

それにもかかわらず、圧倒的多数の回答者は、自分の実験室が安全な職場であり、受傷事故を最小限のものとするために十分な安全訓練が行われていて、被雇用者を保護するために安全上の適切な措置が講じられている、と断言した。米国化学会の安全衛生部門を統括するRalph Stuartによれば、この種の充足感は、別の小規模の調査でも明らかになっているという(米国化学会もこの問題に関して独自のアンケート調査を実施している)。

しかし、今回の調査のさらに突っ込んだ設問から、安全性の基準が厳守されていない場合が多いことが明らかになった。危険な操作や薬品について、安全訓練を受けていると答えた研究者は60%にとどまっており、また、実験室の安全性に改善の余地があると答えた回答者も約半数にのぼった。改善の余地ありという回答者の中で最も多かったのが化学者の60%で、神経科学者では大幅に少なく30%だった。

世代間ギャップ

今回の調査では、若手(ポスドクや博士課程の学生など)と上位者(教授や学科長、主任研究者など)との間で、安全性に対する態度・姿勢にきわめて大きな差があることが浮き彫りになった。毎日誰かが1人で作業している(事故が発生した場合、健康リスクを増大させる状況)と答えた割合は、若手科学者が約40%だったのに対し、上位者では26%にとどまった(グラフ2を参照)。つまり、上位者が必ずしも研究チームの安全性文化に対する意識を強く持っている訳ではない可能性が、浮かび上がったのだ。

全体としては、約3分の2の研究者が、週に数回は実験室で誰かが1人で作業していると答えた。また、安全が「何よりも重要とされ、実験室のほかのいかなる重要事項より優先されている」という回答は、若手科学者ではわずか12%だったが、上位の科学者では36%だった。

安全性に関する実態について、若手研究者のほうが、より明確な認識を持っているのかもしれない。ほかの要因も考慮すると、若手研究者は上司よりも実験室で作業している時間が長い。若手の過半数は週に40時間以上作業するが、上位者はその5分の1にすぎない。全体では150人近くが週に60時間以上と回答している。

安全衛生の専門家にとっては当たり前の事実だが、米英の科学者では、実験開始前のリスク評価のやり方に差があることも、再確認された。これには、法的な要求の違いが絡んでいる。英国の科学者の3分の2ほどは、国の衛生安全委員会事務局の定めに従い、研究機関が承認した様式を使ってリスク評価を行うと回答したが、そう答えた米国人はわずか4分の1だった。米国の科学者の過半数は、「正式でない方法で」リスクを評価すると答えている。

実験室の安全性を向上させようとする努力に対して、最大の障害となるのが、「手間ひま」と「無関心」だと研究者は答えている。ある研究者は「できることなら無関心に3票入れたい」とまで記している。その後、わずかの差で、安全性要求への理解欠如、リーダシップの欠如、安全性以上に重視されるコンプライアンス(法令遵守)への要求などが続く。

「コンプライアンスは安全と等価ではない。多くのペーパーワークは安全な実験室と等価ではない。どちらかといえば、そのせいで安全が損なわれている」という回答があった。「安全訓練は、責任を逃れるための形式的な行事であって、コンプライアンス対応でしかないのは明白だ。それぞれの安全措置がなぜ講じられているのか、その重要性を実験作業員に教えるところまで行っていない」という訴えもあった。

安全訓練、査察、安全規則の価値に対して、研究者は複雑な感覚を持っているようだ。調査対象者の3分の2は、実験室の査察によって安全性が向上したとしているが、そう考えるのは若手よりも上位研究者のほうがはるかに多かった。一方、32%は否定するものの、約40%は、「安全訓練の重点が、実験室の安全性向上ではなく、コンプライアンス規則の訓練にある」と感じている。さらに、約20%近い人々が、実験室の安全性規則が研究の生産性を損なっている、と答えているのだ。

アドバンスト・ケミカル・セーフティ社(米国カリフォルニア州サンディエゴ)というコンサルティング会社を経営するNeal Langermanは、「こうした科学者の見方は間違っています。安全対策の重要性に関する誤った見方を反映したもので、歯がゆさを禁じ得ません」と語る。

安全衛生の専門家の中には、100個近い設問がある今回の調査について、あまりにも幅が広すぎて焦点がぼやけてしまい、明確な結論を引き出すことができない、と指摘する人もいる。専門家はまた、ランダム化されていないサンプリング法についても批判する。設問は、nature.comに登録されている科学者と研究リーダーにEメールで送付され、実験室のメンバーに転送するよう要請されている(編集部注:理論的には、バイアスのかかったアンケート調査でしかない)。それでも彼らは、これが今後の調査のために必要かつ有用な出発点であることは認めている。

マサチューセッツ工科大学(MIT;米国ケンブリッジ)の安全衛生部門を統括するLou DiBerardinisは、「今回の調査は答えよりも疑問を多く残した原始的なものですが、そもそも認識に関する調査とは、直視するべき問題を掘り起こすためのものなのです」と話す。DiBerardinisは、安全を調査するためにUCLA実験室安全センターから2012年に立ち上げ資金(シードファンディング)を受けた4つのチームの1つに関与している。また、MITの人類学者Susan Silbeyが率いるプロジェクトにかかわり、7年にわたる査察の記録を監視することによって、安全性文化の変化を追跡している。

Zolandzによれば、今年、米国アカデミー化学技術委員会は、行動学の研究者と共同で、実験室における高度な安全性文化を構築する方法について、実用的な手引き書を作る計画を立てているという。Sangjiの死後に取り組まれているさまざまな活動の中にあって、「これが、まだどこにはめ込んだらよいかわからないパズルのピースなのです」とZolandzは言う。「いったい、どうすれば安全は科学の中に受け入れられるのでしょうか」。

(翻訳:小林盛方)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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