Editorial

科学啓発活動の発祥地・王立研究所の危機

英国王立研究所(Royal Institution of Great Britain)は、1799年以来、ロンドン中心部のメイフェア地区にある壮麗な建物に本部を置いてきた。建物は今では、高級ブランドショップや画廊などに取り囲まれている。王立研究所の建物は、長年にわたって英国科学の中心的存在だった。19世紀には、かのマイケル・ファラデーが、有名なクリスマス講演会などですばらしい化学実験を披瀝し、観衆を魅了した。

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住所であるアルベマール街21番地は、王立研究所の代名詞でもある。タイムズ紙が2013年1月17日に王立研究所が建物を売却すると報じたとき、英国内外から驚きの声が上がった。しかし、ニュースは決して意外なことではなかった。王立研究所の財政難は何年も続いており、2200万英ポンド(約31億円)かけた見当違いの改修事業の負債が重くのしかかっていたのだ。

現所長であるRichard Sykesは、2013年1月17日に、王立研究所が再編成される可能性が高いと表明した。ただ、その財産には、歴史的な科学装置や科学文書のコレクションもあり、王立研究所はこれからも一般市民に対する科学教育と啓発という使命を堅持し、決して解散しないと主張した。

王立研究所は、いろいろな意味で、これまでに自らが生み出してきたトレンドの犠牲となっている。創立された1799年においては、科学自体が目新しかった。そんな中で、今日「科学のアウトリーチ活動」とされるものを始めた訳で、それはさらに目新しかったのだ。王立研究所に向かう人々が列をなしたため、アルベマール街はロンドンで最初の一方通行路となった。

しかし現在では、ほぼすべての大学が、所属研究者に対して、その研究内容を一般市民に積極的に知らせることを推奨しており、科学コミュニケーション自体も1つの職業となってしまった。人々があるテーマについて情報を得ようとするとき、もはや、王立研究所のような居心地の悪い座席にすわって、講義を聴く必要がなくなったのだ。その点では、周りの世界のほうが先に進んでしまった。

新知識を得る場所が、洗練された公開の会合から、インターネットやマスコミに移ってしまった。王立研究所も時代に合わせてさまざまな試みを重ねてきたが、人々の多くはなお、王立研究所といえば、古くて傾斜のきつい階段式講堂を思い描いてしまうのだ。

それでも幸いなことに、科学イベントの市場は残っている。サイエンスカフェは、多くの国々で好評を博すようになり、英国、その他のヨーロッパ諸国や米国での科学フェスティバルには多数の人々が詰めかける。それはまさに、ファラデーが先鞭を付けた科学のエンターテインメントだ。

王立研究所の将来性については大きな疑問符が付いているが、英国で科学コミュニケーションを大切に思う人々は、これを機会に、そのあるべき姿について、公開で議論すべきであろう。そのような自立的活動がなし得ないなら、王立研究所の理事たちは、コレクションの処分先を考えざるを得ないことになる。

王立研究所が科学啓発活動から撤退する場合、その後継候補について、Natureは次のように考える。王立協会(英国学士院)は、増大する科学コミュニケーションや科学への参加活動を引き受けるだけの組織的余裕も技能も持ち合わせていない。英国科学協会(BSA)は新しい会長を選任したところだが、年1回開催される公開の会合を全国的な影響力を持つイベントに発展させるという難しい課題に直面している。ウェルカムトラスト財団は、少なくともロンドンでの多人数を対象とした科学アウトリーチ活動には強いが、生物医学に特化している。

マスコミ、ブロガー、ツイッターなどの活動が活発化しており、王立研究所はもはや不要だと判断される可能性は高い。その遺産の継承者として最も有望視されているのは、英国科学博物館である。聴衆を引き付ける手腕を培い、オンライン設備にも十分な投資をしている。全国的な議論の場としてはなお力不足だが、その野望は持っている。実際、英国科学博物館の本館は、いつでも子どもと大人で混雑しており、十分に楽しめる場所となっている。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130436

原文

Science stakes
  • Nature (2013-01-24) | DOI: 10.1038/493452a