News

大手バイオテク企業が、ジェネティクス企業を買収

熱狂的なゲノミクス投資が下火となって、すでに10年以上が経過した。そんな今、ある大手バイオテクノロジー企業が、ゲノミクス分野の象徴的な企業を買収しようとしている。

Credit: THINKSTOCK

2012年12月10日、アムジェン社(米国カリフォルニア州サウザンドオークス)は、波乱万丈の歴史を持つデコード・ジェネティクス社(deCODE genetics、アイスランド・レイキャビク)に、4億1500万ドル(約353億円)を投ずると発表した。このことは、医薬品開発企業が、治療標的探しのために遺伝子データへの投資を再び始めようとしていることを示している。

2000年代は、結果として、ゲノミクスが新たな薬物標的への期待にほとんど応えることができなかった。大手製薬企業をはじめとする投資家の多くは、疾患関連データを取り扱う会社の株式を手放し、実際に臨床試験が行われている薬剤を持つ会社の株式に資金をシフトしていった。しかし、デコード社にとっては、データと分析こそが武器で、それがすべてだった。

同社には臨床試験中の薬物候補物質がなく、主として、神経変性、がん、心血管疾患、精神疾患といった病気の原因として疑われる遺伝子について(また、それに考えられる疾患メカニズムについて)、研究成果を着実に発表し続けてきた。2012年夏、アルツハイマー病を予防する変異遺伝子を発見したのもその1例だ (T. Jonsson et al. Nature 488, 96–99; 2012)

デコード社が科学的に成功したカギは、遺伝データの宝庫が利用できることにあった。約14万人のアイスランド人の家系図と医療記録を確保しているのだ。これは同国の総人口のほぼ半数にあたる。英国ヒト・ゲノミクス諮問委員会の委員長でオックスフォード大学(英国)の遺伝学者John Bellによれば、アイスランドの膨大な医療記録を遺伝情報と結びつけられることが、同社が他社にまねのできない発見をしてきた理由の1つだという。「遺伝学自体はきわめて簡単なのです。臨床データこそが、歴史的に問題があったのです」とBellは語る。

低コストの配列解読法と電子カルテが広まったことで、集団遺伝学的研究から得られる情報が増え、製薬企業にとって、ゲノミクスの魅力がますます高まっている。実際、アムジェン社の研究開発部門を率いるSean Harperは、最もうまくいきそうな試験薬を特定するのに、デコード社のデータや技術や専門知識が役立つだろうと期待している。Harperによれば、すでにアムジェン社の2つの薬物候補物質(心疾患用と骨粗鬆症用)は、遺伝子データを使って発見された標的タンパク質を狙ったものになっているという。「ヒトの遺伝学を利用して発見したり検証したりした標的を、もっと増やしたいと考えるようになりました」。

デコード社と同社の最高経営責任者Kári Stefánssonは、はるかに大きなバイオテクノロジー企業の傘下に入ることで、同社が16年の歴史の中で一貫して追求してきた「遺伝子データを使って患者の役に立つ」という約束を、ついに果たすことができるのかもしれない。「デコード社が、治療薬を作るための裏付けのある追跡記録を持つ会社と組めば、健康増進に対してさらに多大な貢献を迅速に行うことができます」とStefánsson は話す。

バイキングの末えいで無愛想なStefánssonは、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の教授職を捨てて、故国に帰り、1996年にデコード社を設立した。2000年代前半のゲノミクスブームで誕生したほかの会社と同様、デコード社も実入りを期待して医薬品開発を志向し、2000年代半ばには自社の臨床試験をスタートさせた(「瀬戸際からの復活」参照)。

しかし、その小さな会社はまもなく莫大な負債を抱えることになり、アイスランドが2008年の金融危機に陥ると、投資家を確保できなくなった。同社は2009年に破産を宣言し、設立当初の投資家の一部によって救済された。その投資家は1400万ドル(約12億円)程度で同社とその資産を手にし、さらに4500万ドル(約38億円)ほどを追加投資した。ポラリス・ベンチャーパートナーズ(米国マサチューセッツ州ウォルサム)の共同設立者であるTerry McGuireは、「当社はベンチャーキャピタルですが、投資の回収だけを考えたのではありません」と話す。「デコード社が、本当に世界の宝だと判断したのです」。

デコード社の買収が完了しても、Stefánsson は社長にとどまるうえ、アムジェン社の副社長にも就任する。デコード社はレイオフを行わず、それどころか増員を予定しているという。Stefánsson は、資本関係が変わってもアイスランド人データの管理方法には影響がないと強調する。DNA検体はアイスランド国外には出さず、アクセスはデコード社を通じて行われる。既存のプライバシー保護方針が適用され、アイスランド市民の倫理委員会による監督を受ける。

デコード社の科学者たちは、被引用数がきわめて多い遺伝学者である。そのようなアイスランドの研究者集団が、買収によってアムジェン社の製品パイプラインの助けに駆り出されることになり、デコード社が握っている基礎研究分野における主導権が、崩れてしまうのではないかと心配する声も聞かれる。マサチューセッツ総合病院(米国ボストン)の遺伝学者Daniel MacArthurは、「競争における優位性確保の手段として取り扱われているならば、デコード社が新発見を発表し続けるのは、きわめて難しいかもしれません」と分析する。

しかし、Harperはそうした懸念を一蹴し、デコード社の科学的能力を研ぎ澄ませておくことはアムジェン社の利益だと言い切る。「その創造性を何らかの形でつぶすなんて、近視眼的にすぎます」。Stefánssonもまた、デコード社の業務がこれまでどおり続いていくことを確信している。「恐れても心配してもいませんし、今起こっていることに熱中しています。これからも新発見三昧が続くでしょう」。

瀬戸際からの復活

破産から救済されたアイスランドのデコード・ジェネティクス社は、新たな生きる道を見つけた。
1996年:Kári Stefánssonが設立。
2000年:株式を公開し、1億7300万ドル(約147億円)を調達。
2004~05年:心臓発作および喘息を予防する薬剤の臨床試験を発表。
2009年:破産を宣言。
2010年:設立当初の投資家の一部が1400万ドル(約12億円)で買収。
2012年:アムジェン社が買収を発表。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130310

原文

Big biotech buys iconic genetics firm
  • Nature (2012-12-20) | DOI: 10.1038/492321a
  • Monya Baker