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大富豪がスイスの製薬施設を買収して、大学に寄付

欧州の研究史上最大級の慈善寄付によって、製薬会社の実験室だった施設がバイオエンジニアリング拠点として再生するかもしれない。

Credit: THINKSTOCK

2012年4月、製薬大手のメルク社(ドイツ・ダルムシュタット)は、約500人の雇用を削減するリストラ策の一環として、同社の医薬品開発部門であるメルクセローノ社(スイス・ジュネーブ)の本部を閉鎖すると発表した。

しかしその年末、スイスの2人の大富豪が、ジュネーブ湖畔にある4万5000m2の施設を救うべく、買い入れ提案を同社に対して非公開で行った。Hansjörg WyssとErnesto Bertarelliというこの 2人の実業家は、この実験施設を新しい「ヴィース(Wyss)研究所」という組織に組み込んだうえで、ジュネーブ大学とローザンヌ工科大学(EPFL)に無償譲渡する。また、その施設での研究には、今後6年間で総額1億2500万スイスフラン(約113億円)の寄付を行うという。

EPFL学長のPatrick Aebischerは、「これまで、そうした寄付の多くは米国に向かっていました」と話すが、これだけの規模の寄付が欧州で行われた例はほとんどない。このことは、例えば、2011年の欧州委員会の報告書で「欧州の大学では、全体として慈善活動による募金が重視されていない」と指摘されていることにも表れている(B. Breeze et al. Giving In Evidence European Commission; 2011)

もし実現すれば、このヴィース研究所には、大学と連携した生命科学系の研究室が新規に10ほど作られ、150人に上る雇用を創出できると考えられている。ジュネーブ大学学長のJean-Dominique Vassalliは、メルクセローノ社の実験室は最新式なので手を加えなくても使用できると話し、「半年から1年あれば人が集まって活動が開始できると思います。これはまたとない機会です」と期待を寄せる。また、施設では、組織の再生や埋め込み、移植など、医学研究と工学とが重なった再生医療に焦点を当てた研究が行われる予定だ。

施設にはさらに、新興企業を含むバイオ技術企業も入る予定だ。WyssとBertarelliの話を直接聞くことはできなかったが、広報担当者によれば、施設の残りの部分に関しては、計画はまだ固まっていないという。現在、メルク社から委託された資産コンサルタントが、提案を精査している。

製薬企業が手放す施設を産学研究の拠点に作り変える試みは、これまでもいくつか実施されており、今回の例はその最新版と言える。2007年、バイエル社が撤退したコネティカット州の施設に、エール大学(米国コネティカット州ニューヘイブン)が1億900万ドル(約93億円)を投じた。2009年には、28棟が立ち並ぶかつてのファイザー社の施設に、ミシガン大学(米国アナーバー)が1億800万ドル(約92億円)以上を拠出し、そこをノースキャンパス複合研究施設とした。また2011年には、ファイザー社が英国サンドウィッチの大規模施設からの撤退を発表すると、英国政府はそこにサイエンスパークを作り上げる提案を発表した(Nature 2011年2月10日号154ページ参照)。

WyssとBertarelliは、計画を実行するのに必要な経験と資金と資源を間違いなく所有している。そもそもBertarelliの祖父はセローノ社の創業者であり、彼自身も、同社がメルク社に売却される2007年まで、その最高経営責任者を務めていた。一方のWyssは、同様の寄付を2009年にも行っており、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ボストン)にヴィース研究所(Wyss Institute for Biologically Inspired Engineering)を設立している。

ヴィース研究所のDonald Ingber所長によれば、この研究所には、商品開発の経験のある企業出身の研究者と、基礎生物学の研究者を集めたという。その結果、「学術的な環境の中に、全く新しい文化ができあがったのです」とIngberは胸を張る。スイスのヴィース研究所が同じようなものになるかどうかはまだわからないが、「すばらしいものが生み出されるようすが目に浮かびます」とIngberは話している。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130307

原文

Cash injection set to revive Swiss drug site
  • Nature (2012-12-13) | DOI: 10.1038/492168a
  • Daniel Cressey