Editorial

科学遺産の保全に、目を向けよう

ウズベキスタンの古都サマルカンドには、15世紀に天文学者ウルグ・ベクが建設した天文台の遺構があり、現在は、観光客が訪問し、見学できるようになっている。これが可能になった背景には、国連教育科学文化機関(UNESCO)世界遺産条約の存在がある。この条約が、1972年11月16日の採択から40周年を迎えたNature 2012年11月15日号328ページ参照)。サマルカンドが世界遺産リストに登録されたのは2001年で、ソ連の崩壊から現在までの政治的混乱からサマルカンドを守るうえで、重要な役割を果たしてきた。

Credit: Michel Benoist

この天文台が存在していたのは約20年間だったが、さぞかし美しいものであったに違いない。最新の研究報告には、天文台の壮麗な建築、絶妙なタイル張りとモザイクについての記述がある。天文台の内壁を飾るフレスコ壁画には、さまざまな惑星の軌道と星の正確な位置が描かれていたという。天文台は1449年に狂信的な群衆によって破壊されたが、天文台に所属する科学者の革新的な研究成果は生き残り、その後の欧米の天文学と代数学に影響を与えた。

天文学者たちは、半径40mの六分儀を使って、約1000個の星の位置を再計算し、その結果を『ウルグ・ベク天文表(スルタンのジージュ)』(1437年)にまとめた。この星のカタログは、さまざまな言語に翻訳された。彼らは、子午面上の丘に幅2mの溝を掘り、そこに六分儀を固定した。こうして、それまでにない高い精度の測定結果が得られ、天文学者は、この結果を用いて、三角関数表を計算し直し、恒星年(地球が太陽を1公転するために要する時間)を計算した。その値と現在認められている測定値の差は、わずか1分以内である。この天文台の遺構が考古学者によって発見されたのは1908年のことである。

世界遺産リストに登録されると、国際標準に従った保全方法で遺産を維持管理しなければならず、不適切な開発によって台無しにすることは許されない。この点については、国際的な検査チームが現地調査を行うことで遵守が担保されている。サマルカンドの検査は2000年代中頃に行われ、保全レベルが標準以下で、都市計画担当者と地元の政治家が遺産の維持を怠っており、懸念が生じているという判定が下った。UNESCOは、サマルカンドの監視強化を命じ、「危機にさらされている世界遺産リストに登録する」と警告した。

一方、過去数十年間にわたって、数多くの分野の科学者が、芸術品や記念物の保存や修復のための技術をいろいろと開発してきた。例えば、ヘラス研究技術財団(ギリシャ・イラクリオン)は、紫外域のビームと赤外域のビームを組み合わせたレーザーを発明して、世界遺産の一部であるパルテノン神殿のフリーズ浮彫の表面を損傷せずに洗浄することに成功した。この洗浄作業は広く報道され、作業は2005年に完了した。こうした技術を手直しするために科学者が研究予算の増額を望むのは自然だが、それを一般論として正当化するのは難しい。遺跡や記念物には、それぞれ独自の問題があり、技術的な解決策には、個別の取り組みが必要になるからだ。

サマルカンドの例は、重要な記念物の保全にとって、政治とその結果としての世界遺産リストが、少なくとも科学と同程度に重要であることを明確に示している。文化遺産関連技術に対する予算は、文化遺産をより幅広くとらえる包括的アプローチの一環として、維持されなければならない。例えば、各都市や地域における気候変動に対処するための計画において、文化遺産に対する影響も、考慮に入れるよう義務付けるべきだ。そうしたことに支持を表明しているのが欧州委員会である。

世界遺産リストには962件の遺産が登録されているが、科学遺産の数は非常に少ない。科学が文化の一部であることが、きちんと認知されていないからであろう。これに対して、天文学者が行動を起こし始めた。世界天文年だった2009年にUNESCOの諮問グループの1つである国際記念物遺跡会議との共同作業で、サマルカンド天文台のように保存の価値があると考えられる天文学的遺跡のリストを作成したのだ。その1つが、19世紀に設立された王立天文台(南アフリカ・ケープタウン)だ。もし世界遺産に指定されれば、この天文台をめぐる関心の高まりで、南アフリカで求められている科学振興が前進する可能性がある。他分野の科学者も、天文学者を手本とすべきである。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130236

原文

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  • Nature (2012-11-15) | DOI: 10.1038/491302a
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