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ハリケーン「サンディー」と闘った研究者たち

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 2 | doi : 10.1038/ndigest.2013.130212

原文:Nature (2012-11-08) | doi: 10.1038/491169a | Researchers battle storm’s wrath

Brendan Borrell

ニューヨーク大学ランゴン医療センターでも実験室に大きな被害が出たが、学生と研究者は率先して、非常電源の停止した病院からの患者救出活動に参加した。

それは、2012年10月29日の午後7時30分頃のことだった。実験室の全部の窓が一気に開いてフロア中に書類が散乱し、Benjamin Bartelle は、「サンディー」がただのハリケーンではないことを悟った。彼は、マンハッタンのニューヨーク大学ランゴン医療センター(米国)にあるスカーボール生体分子医学研究所の5階にいた。ニューヨークの街はすでに風速45mもの突風が吹いていた。

Credit: THINKSTOCK

タンパク質工学実験の最後のステップを終えようとしていた新米博士のBartelleは、20Lの水のタンクで窓を押さえつけた。その直後、廊下の先にある魚の飼育施設でアラームが鳴ったため、ゼブラフィッシュを用いて血管形成を研究しているJesus Torres-Vasquezがようすを見に行った。建物内が真っ暗になったのはそのときだった。南に16ブロックの所で、記録的な大波によってイーストリバーの堤防が決壊し、変電所が浸水したため、ダウンタウン全域が停電したのだ。同じイーストリバー沿いに建つランゴン医療センターには、さらなる直接的な脅威が迫っていた。

その夜、サンディーが米国東海岸を襲ったことで、通り道に当たった多くの大学、実験室、研究施設は、停電や猛烈な風、浸水の影響を受けた。中でも、ランゴン医療センターは最悪だった。

ランゴン医療センターは、サンディー上陸前日に避難区域に指定されていた。しかし、患者の移送というリスクのため、施設内にある病院および老人ホームは、避難対象から除外されていた。大学によれば、ランゴンの705床のティッシュ病院および関連する3つの研究棟には非常用発電機が備えられ、すべての安全基準が満たされていたという。建物の周りには土嚢が積み上げられ、保守スタッフが待機していた。地下のマウス施設のスタッフは、がんから神経生物学までの研究プロジェクトで使われる数万匹のマウスを監視するため、夜通し作業することになっていた。

スカーボール生体分子医学研究所では数分後に非常電源が作動したものの、災禍に見舞われていた。神経生物学者Wenbiao Ganとその実験室スタッフがエレベーターで地下に降りると、足首の上まで水が来ていたのだ。Ganらはレーザーなどの機器を運び出すために奥へ進んだ。ズボンの裾を濡らして戻ってきたGanらの姿を見たBartelleは、窓の外に目をやった。ランゴン医療センター内の施設で川に最も近く、ガラスとレンガで作られた13階建てのジョーン・アンド・ジョエル・スミロー研究センターを含め、医療センター内のほかの建物はすべて真っ暗だった。

スカーボール生体分子医学研究所が浸水しているということは、スミロー研究センターの被害はさらに大きいということになる。なぜなら、約1万匹のマウスとラットがいるその地下室は、水面より約10mも低いからだ。実際、スミロー研究センターでは、氾濫した水がとてつもない勢いで建物内に流れ込んだため、動物飼育スタッフは、避難を余儀なくされていた。地下室で隔離されていた変異マウスや遺伝子組み換えマウスは、見捨てられた。

Bartelleは学生寮に向かおうとしたが、押しとどめられた。病院のスタッフが入ってきてこう叫んだのだ。「ティッシュ病院から患者を避難させるぞ。みんな手伝ってくれ」。午後9時までに、数百人の医学生や大学院生が病院のロビーに集まった。ニューヨーク市消防局の指示のもと、学生たちは病院内の16階分の階段を上り、215人の患者をプラスチックのそりで1階まで下ろした。その後患者たちはストレッチャーや救急車に乗せられ、ほかの病院に運ばれていった。昏睡状態の患者もいれば、手術後の回復途上の患者もいた。その作業は翌朝の9時、つまり12時間が経っても終わることはなかった。

朝9時の時点までには、ランゴン医療センターの大部分が浸水し、冷凍機の停止と浸水で30~50の実験室が被害を受けていることが明らかになった。被害が最も深刻だったのがスミロー研究センターで、屋上の非常用発電機に燃料を供給するポンプが、地下の大浸水で動かなくなっていた。さらに、動物施設内ではディーゼル燃料が流れ出てしまい、水でおぼれたり、ディーゼル燃料の蒸気を吸い込んだりして、マウスはすべて死んでしまった。神経生物学者のGordon Fishellは、40種類の遺伝的変異に関係する約2500匹のマウスを失った。それは、前脳の発達を研究するために、10年以上をかけて自分で作り上げたものだった。

大学当局者が損害額を算定するとき、今回の災害を回避ないし最小化することができなかったのかどうか、厳しく検討せざるを得ないだろう。スミロー研究センターで飼育していたマウスをすべて失った免疫学者Alan Freyは、Natureに宛てたEメールで、「潮の干満の影響を受ける河川の近くで、地下室に動物(や電気機器)を置くのは考えものです」と記している。2001年には、熱帯低気圧「アリソン」によって、ヒューストンのテキサス医療センター(米国)で数百万ドル相当の機器が使用不能となり、マウスやサルなど数千匹の実験動物の命が奪われた。それを契機に、水門が建設されるとともに、動物施設と電源設備の重要部分は地上に移設された。

大学によれば、2006年に竣工したスミロー研究センターは、約3.7mの洪水に耐えられる設計だったという。その高さは、100年に一度発生する大洪水で予想される水位より、20%も高い設定だった。しかし、その防衛策ですらサンディーの前では無力だった。当局者は今後、別の対応策を考えなければならないだろう。

幸いBartelleは、自身の研究への直接的な被害は受けなかった。彼は今も、あの夜、とりわけスミロー研究センターの学生や研究者たちが、自身の研究に大きな被害が出ているにもかかわらず、患者たちを救い出すために奮闘したことを忘れない。「自分にいつ悲劇がふりかかってもおかしくない中で、行動を起こすのは簡単ではありません」。

(翻訳:小林盛方)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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