ゲームでマルチタスク“脳力”がアップする!
65歳の女性Ann Linseyは、近頃、何をやっていてもすぐに集中力が散漫になってしまうことが気になっていた。「年をとるにつれ、一度に複数のことをするのが難しくなってきました」と話す。そんな彼女が、ゲームをプレーすることによって高齢者の認知能力の衰えを改善することができるかどうかを調べる実験に参加した。結果は実に素晴らしいものだった。「私は自分の能力が失われていくのをひしひしと感じて、失望していました。でも、この実験に参加して、注意を集中させる方法を学んだのです」とLinseyは語る。
ゲーム会社は何年も前から、コンピューターゲームをプレーするとユーザーは賢くなる可能性があると主張していたが、ゲームのスキルが上達してもそれが日常生活に反映されるという証拠はないと批判を浴びた1。今回、Nature 2013年9月5日号に報告された研究2(Linseyが参加したもの)の結果から、特定の認知障害に適合するように作られたゲームであれば、実際に効果をもたらすことが示された。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校(米国)の神経科学者Adam Gazzaleyらは、「ニューロレイサー(NeuroRacer)」と名付けた特製3Dビデオゲームを使って、高齢者にマルチタスク(ほぼ同時に複数の作業をする課題)のトレーニングをしてもらった。その結果、高齢者のマルチタスク能力は向上する可能性があり、その効果は日常生活での活動にまで及んでいるように見え、しかも6カ月以上持続した。またこの研究では、そうした認知能力の向上に応じて脳活動パターンがどう変化するかも明らかになった。
ニューロレイサーの概要はこうだ。プレーヤーは、画面中の曲がりくねった山道を走る車が道から外れないよう、左手の親指でコントローラーを操作する。そして標識がランダムにポップアップされるので、車の操縦に注意しながらそれを見逃さないように気を配り、特定の形と色の標識が現れたときには、右手の指でコントローラーのボタンを押して撃ち落とさなければならない。Gazzaleyによれば、このようなマルチタスク練習では、プレーヤーは実生活での活動と同じようにさまざまな認知能力を組み合わせて利用するという。例えば、注意の集中、タスクの切り換え、ワーキングメモリ(作業記憶:情報処理のために複数の記憶を一時的に確保しておくこと)などだ。
Gazzaleyの研究チームは、まず、20代〜70代の6つの年代から約30人ずつ集め、ゲームの成績で、マルチタスク能力が年齢に応じて直線的に落ちていくことを確認した。次に、60歳〜85歳の実験参加者を46人集め、ゲームが上達すると難しさが増していくようプログラムされたニューロレイサーで4週間トレーニングしてもらった。
トレーニング後、被験者は、トレーニングをしていない20歳の若者たちよりも高いスコアを出すほどに上達した。しかもこのスキルは、練習しないでいても6カ月以上保たれた。
研究チームは被験者に対し、トレーニングの前後に一連の認知能力テストも実施した。その結果、ワーキングメモリや注意の持続など、ゲームで特にターゲットとしていなかった種類の認知能力の中にも改善が見られたものがあったのだ。しかもその改善は持続した。どちらの能力も、新聞を読んだり、食事を作ったりするといった日常の活動に欠かせないものだ。
「ニューロレイサーをプレーするときにはそれほど要求されない能力が改善したのです。この点が重要です。つまり、マルチタスクに挑戦することで認知制御システム全体に圧力がかかり、コンポーネントの全てのレベルが上がったようなのです」とGazzaleyは説明する。
またチームは、被験者がニューロレイサーをプレーしている間の脳の活動も脳波測定によって記録した。彼らの能力が向上するにつれ、脳の前頭前皮質の活動も活発になった。これは認知制御と関連していて、注意持続課題の成績向上との相関が見られた。さらに、前頭前皮質と脳の後部を連絡する神経ネットワークの活動も上昇していた。
脳トレーニング用コンピューターゲームの有効性をめぐっては、両極端の意見があると、カロリンスカ研究所(スウェーデン・ストックホルム)の認知神経科学者のTorkel Klingbergは言う。「一部の会社は科学的根拠のない非現実的な主張をしています。一方で、心理学者の中には、ワーキングメモリや注意は固定されていて、トレーニングで向上させることはできないと主張する人もいるのです」。
もちろんGazzaleyの研究は、認知機能が改善可能であることを裏付けている。ただしそれは、トレーニング方法を正しくデザインした場合だとKlingbergは言う。彼は、1999年に、特に注意欠陥障害の人々を対象にしたコンピューターベースのトレーニング法を提供する会社Cogmedを設立し、現在コンサルタントを務めている3
Gazzaleyも昨年、Akiliという会社を共同設立し、アドバイザーを務めている。ニューロレイサーは研究用ゲームだが、Akili社ではニューロレイサーの商用版を開発中で、米国食品医薬品局(FDA)の承認を得て治療用として販売したい考えだ。ゲームアプローチは、例えばうつや統合失調症に見られる特定の認知障害の改善にも役立つかもしれないとDaphne Bavelierは言う。彼女はジュネーブ大学(スイス)の認知神経科学者で、脳機能を改善するためのコンピューターゲームを開発し、Akili社のアドバイザーも務めている。
Gazzaleyは「ビデオゲームを万能薬と考えるのは早計です」と過剰な売り込みに警鐘を鳴らす。しかし、冒頭で紹介したLinseyは、ゲームによって認知能力が改善したことを喜んでおり、研究に貢献できたことにも満足している。「高齢者の脳でも学べることが分かって、胸がわくわくします。私自身の脳が、この発見を助けたのだと思うととてもうれしいです」。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 12
DOI: 10.1038/ndigest.2013.131220
参考文献
- Owen, A. M. et al. Nature 465, 775–778 (2010).
- Anguera, J. A. et al. Nature 501, 97–101 (2013).
- Klingberg, T. Trends Cogn. Sci. 14, 317–324 (2010).
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