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HeLa細胞株をめぐる和解への道

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 11 | doi : 10.1038/ndigest.2013.131109

原文:Nature (2013-08-08) | doi: 10.1038/500132a | Deal done over HeLa cell line

Ewen Callaway

Henrietta Lacksの遺族は、研究者にHeLa細胞と遺族への影響についての説明を求めてきたが、30年以上もの間、十分な対応はなされなかった。ようやく本腰を入れたNIHと話し合いを重ねた結果、2013年8月、ゲノムデータの開示を条件付きで許可することを了承した。

1974年、Henrietta Lacksの娘であるDeborahは、1人の高名な遺伝医学者にHeLa細胞のことを教えてほしいと頼んだ。HeLa細胞は、1951年に彼女の母親であるHenriettaを死に至らしめた「がん」に由来する、不死の培養細胞株である。質問された遺伝医学者は、HeLa細胞の遺伝子地図を作成するために、Henriettaの遺族から血液を採取しているところだった。Deborahは、いくつもの疑問に答えてもらいたいと思っていたが、彼の答えは「あなたの知りたいことは全て、この分厚い本の中に書いてある」と、自著の医学書にサインしてDeborahに渡しただけであった。

Lacks家の人々が詳しい説明を受けることができたのは、それから30年以上も経ってからだ。

数十年間にわたって遺族を軽視してきたことに対し、最近になってようやく、米国立衛生研究所(NIH、メリーランド州ベセスダ)の所長であるFrancis Collinsが、その埋め合わせをしようと動き出した。彼はこの4カ月間、Lacks家の人々と会って質問に答え、彼らの先祖の女性から樹立した細胞株のゲノムデータをどう扱うべきかについて話し合ってきた。

Henriettaの孫であるDavid Lacks Jr.は、「Henriettaのどんな情報が公開されるかだけでなく、その情報の公開によって我々のどんな情報が公開されることになるのか、よく理解したかったのです」と話す(Deborah Lacksは2009年に亡くなっている)。2013年8月7日、Lacks家の人々が、遺族を含む委員会による承認を得ることを条件として、ゲノム情報をケース・バイ・ケースで開示することを許可したと、Collinsが発表した。

今回のような提供者との合意を目指す取り組みは、「過去の素っ気ない対応とは雲泥の差」だとジャーナリストのRebecca Sklootは話す。彼女は、Deborah Lacksと遺伝医学者とのやりとりを、2010年の著作『The Immortal Life of Henrietta Lacks』(邦題『不死細胞ヒーラ 〜 ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』講談社)の中で描き出している。「HeLa細胞の長い歴史の中で、遺族に今後のあり方を説明しようと科学者が真剣に取り組んだのは、今回が初めてです」と彼女は話す(「Lacks家の遺産」を参照)。

こうした合意によって、米国政府からの資金で解読されたHeLa細胞のゲノム塩基配列の開示が可能になるだけでなく、遺族の懸念によって2013年3月の開示後すぐに取り下げられたEMBL(欧州分子生物学研究所、ドイツ・ハイデルベルク)チームのデータも再開示が可能になる。NatureのNews担当チームは、この交渉の存在をCollinsの発表の前月につかんでいたが、その妨げにならぬよう取材を控えて報道を遅らせるようにという要請に応じた。今回の合意は、ジョンズホプキンス大学医学系大学院(米国メリーランド州ボルティモア)で行われた複数回の会合を通じて調停されたものだが、今後は、組織検体とその研究で得られたデータの利用許諾や所有権をめぐる議論に再び火を付けることが懸念され、NIHは現在、そうした規則の更新に取りかかっている。

HeLa細胞株は、Henrietta Lacksの子宮頸部腫瘍から採取された生検標本をもとに1951年に樹立された。彼女は、ボルティモア近郊に住んでいた労働者階級のアフリカ系米国人であった。細胞の採取は、彼女やその家族から承諾を得るどころか一言も知らせずに行われ、その後、その細胞は、実験室内で増殖し続ける初めてのヒト細胞株となった。HeLa細胞は、ポリオワクチンの開発やヒトのテロメラーゼ発見など、数えきれないほどの科学的、医学的成果に貢献してきた。「HeLa」でPubMedを検索すると、7万5000報以上の論文がヒットする。Collinsは、NIH構内でのインタビューに応じ、「私の研究室でも、今もHeLa細胞を培養しています。あらゆる種類の遺伝子発現実験に使っていますし、分子生物学の研究室はどこもだいたい同じ状況です」とNatureに語った。

CollinsがLacks家の人々とボルティモアで初めて対面した数週間後の3月11日、EMBLのLars Steinmetz率いる研究チームは、「The genomic and transcriptomic landscape of a HeLa cell line(あるHeLa細胞株のゲノムおよびトランスクリプトームの全体像)」という論文を発表した(J. J. M. Landry et al. Genes Genomes Genet. http://dx.doi.org/10.1534g3.113.005777)。この論文に関する報道(go.nature.com/inxzuwNatureダイジェスト 2013年6月号4ページを参照)では、Henrietta Lacksの名前も伝えられたが、プライバシー上の問題は指摘されなかった。

その後Sklootが、「Lacks家の人々が、またしても意見や相談を求められなかったことに不満を持っている」とThe New York Timesの記事で述べた。Henriettaの孫娘であるJeri Lacks-Whyeは、「HeLa細胞のデータは私の祖母の医療記録であり、個人情報だと思います。それが、世界中の人が閲覧できる状態になっているのです」とNatureに語った。これを受け、EMBLの研究チームは情報公開サイトからデータを削除し、問題が解決されるのを待った。

この論争は、NatureがHeLa細胞ゲノムのさらに詳細な塩基配列に関する論文の掲載準備をしていたときに起こった。論文の上席著者であるワシントン大学(米国シアトル)のゲノム科学者Jay Shendureは、NIHから研究助成金を受け、新しい塩基配列解読技術の開発構想の一環として、2011年からHeLa細胞のDNA解読に取り組んでいた。彼らは、HeLa細胞のゲノムデータを他の研究者にも役立ててもらいたいと考えていた。その気持ちはEMBLチームも同じだった。そして2012年11月、ワシントン大学チームはNatureに論文を投稿した。

この論文の査読者たちは、プライバシーの問題を懸念することなく、論文掲載にゴーサインを出してしまった。Shendureによれば、Natureの編集部内にも懸念の声はなかったという。彼は、論文発表の前にLacks家に連絡しようと考えていたため、ゲノムデータへのアクセスを制限することにした。「Lacks家と連絡を取る方法が分かっていたので、事が起こっても備えは万全でした」。

EMBLチームの論文を取り上げたSklootの記事が3月に出たのを受けて、Collinsは、NIHが資金提供しているShendureのプロジェクトについて調べた。Collinsはすでに、ヒトを被験対象とする研究を管理・統制する規制の改定作業をしていた。「関係者全てが一堂に会すべきときが来たと思いました」と彼は振り返る。

そして4月8日の夜、Collinsはジョンズホプキンス大学の構内でHenrietta Lacksの子どもや孫たちと会って、夕食を共にし、話し合った。大学側からは、Collinsの他に首席顧問や調停役2人も同席した。会合は3回あり、Sklootはその第1回に電話で参加した。

Collinsによれば、遺族たちは、Henriettaの死後数十年経ってからHeLa細胞のことを知ってどれほど心を乱されたことか、と彼に訴えたという。また遺族たちは、遺伝学的な塩基配列解読のことや、Lacks家の細胞がどのように利用されてきたのかという質問を、Collinsに次々と浴びせた。「私はまるで『バイオロジー入門』の講義を受けているような気分でした」とLacks-Whyeは回想する。Collinsは、Henriettaの腫瘍を悪性化させて結果的にHeLa細胞の利用価値をこれほど高めた遺伝的変化について、Shendure率いるワシントン大学チームが突き止めたようだと遺族に話した。その後、NIHは、Lacks家の人々が臨床遺伝学の専門家たちと相談できるように計らい、Lacks家の人々にHeLa細胞のゲノムデータから健康に関するどんな情報が得られる可能性があるのか説明した。またNIHは、遺族たちが自身のゲノム塩基配列の解読・解析結果を得られるように支援したい、と申し出た。

Collinsは、HeLa細胞のゲノムデータ開示に同意するよう遺族にプレッシャーをかけることはしていないと説明する。彼は、NIH資金によるワシントン大学チームの研究結果を公表しないままでも構わないと思っていた。しかし彼は、ゲノムデータを完全に封じ込めておくのは不可能だろうと遺族に話した。NIHの研究者たちの調べによれば、HeLa細胞のデータは400人分のゲノム量に匹敵するほど存在し、それらは「Encyclopedia of DNA Elements(ENCODE)」などのプロジェクトの一環としてバラバラな形ですでに公開され、誰でも入手可能なのだ。また、世界中の研究室にHeLa細胞株があって、各々の研究者がその塩基配列を容易かつ安価に解読できる時代なのである。

Lacks家の遺族の中には、金銭による対価の可能性を挙げる人もいたとCollinsは言う。遺族への直接の支払いは検討されなかったが、彼や顧問たちは遺族が恩恵を得られるような他の方法を考えようとした。例えば、HeLa細胞の変異を利用したがんの遺伝子検査の特許を取るなどである。結局Collinsたちは、話し合いの場で良い方法を提案することはできなかったが、赤の他人がHenriettaのゲノムから「あぶく銭」を稼ぐようなことはできないと遺族に対して説明して、安心させることはできた。なぜなら、米国の最高裁判所がこの6月に、「改変していない遺伝子は特許の対象にならない」という判決を下したからだ(Natureダイジェスト 2010年9月号7ページ参照)。Lacks-Whyeは、自分たち遺族は金銭にこだわっているわけではないと話す。彼女の父親(Henriettaの息子)はよく、「母が世界のためにどう役立ってきたのか知ることができれば、償われたという気持ちになれるだろう」と話していた。

遺族の最終的な総意は、HeLa細胞のデータを、NIHのdbGaP(Database of Genotypes and Phenotypes)に似たアクセス制限付きのシステムの下で利用してほしいというものだった。dbGaPは、個人の遺伝情報と形質や疾患とを関連付けるシステムである。研究者がデータを利用するには、許可を申請し、データの利用を生物医学研究に限ることに同意する必要がある。そして、研究者は遺族と一切接触しない。申請は、遺族を含む委員会により審議され、また、データを使って作成された論文にはHenrietta Lacksと彼女の血縁者のことを明記してもらう。NIH資金提供によるワシントン大学チームの論文は、そうした手続きを踏んだ最初のものであり、Nature 2013年8月8日号 207ページに掲載されている。

HeLa細胞に関する話し合いや遺族との合意の中で、Collinsやその他の関係者は「特別(unique)」という言葉を何度も使っている。研究界での普及度や知名度、そして世間の関心度という点で、HeLa細胞株を超えるヒト標本は存在せず、米国の著名な黒人女性実業家Oprah Winfreyが、HeLa細胞の物語をベースに映画を製作しようとしているほどだ。NIHは、今回の遺族との申し合わせが、他のヒト標本を扱う際の指針になるとは考えていない。「これが前例として扱われることはないでしょう」と、Collinsの首席顧問であるKathy Hudsonは述べている。

しかし、今回の合意は他の事例に役立つ情報源になるだろうと彼女は付け加えた。米国政府は、連邦政府の資金提供を受けた研究者と被験者との間の関係を律する規定を再検討している。新しい規定では、個人の組織検体やデータの利用の仕方について被験者側の発言力が高まることになるだろう。「ゆくゆくは、個人に敬意を表するのに最も適切な方法として、人々にこう尋ねるようになってほしいものです。『あなたからの標本が今後、ゲノムの研究に使われ、さまざまな生物医学分野に活用されることになれば、誇らしくはないですか?』と。それが嫌だと言われたら、諦める他ありません」とCollins。

被験者の合意を得ずにデータが公開された他の無数の組織検体に関して、Collinsは、それらの利用を禁止すると科学の歩みがあまりに遅くなってしまうと話す。NIHの方針責任者の1人でゲノム塩基配列解読の指針を検討しているLaura Rodriguezは、こうした標本の提供者が特定される危険性は低いと話す。しかしこの1月、あるゲノム解析プロジェクトを検討中の研究者たちによって、ゲノムと家系図DNAデータベースとを相互参照することで、匿名の被験者やその家族を特定可能なことが示された。

スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)のバイオテクノロジー部門の弁護士で、EMBLチームに助言したHank Greelyは、HeLa細胞の場合の合意は「良い解決策」だが、それを他の未同意の細胞株やデータにまで適用すると、手に負えない事態となり、現実的ではないだろうと話す。「我々が実際に取りかかるべきことの1つは、これまで集めた情報の全てを、将来確実に活用できるようにすることです」。

Lacks-Whyeも同様の忠告をしている。研究者が画期的な成果を挙げることと、患者やその家族の意向を尊重することは、同時に実現可能だと彼女は言う。「そうすることが、HeLa細胞の塩基配列の場合に限らず、被験者として研究に関わる全ての人のためになるのです」。

Lacks家の遺産

生物学研究において世界中で最も広く使われてきたヒト組織の物語。

Credit: THOMAS DEERINCK/VISUALS UNLIMITED/CORBIS

1951

Henrietta Lacksの腫瘍が、彼女に知らされず、また同意もなしに生検で採取された。間もなくHeLa細胞株が樹立された。

1971

学術誌Obstetrics and Gynecologyに、HeLa細胞の採取源としてHenrietta Lacksの名前を記述。この名前はその後、NatureScienceや大手の報道各社へと広がる。

1973

Lacks家の人々がHeLa細胞(写真)の存在と情報について知る。その後、HeLa細胞の遺伝子地図を作ろうとした科学者たちが、適切なインフォームド・コンセントを行わずに遺族から採血。

1996

Lacks家の人々が、HeLaがん対策シンポジウム(HeLa Cancer Control Symposium)の最初の年次総会に臨席。シンポジウムの座長は、HeLa細胞を単離した研究者の教え子。

2013

HeLa細胞のゲノムデータが、遺族への相談なしに発表される。その後、遺族はゲノムデータへの制限付きアクセスを許可。

(翻訳:船田晶子)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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