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網膜の神経回路を詳細にマッピング

知覚、行動、思考をつくり上げている生物学的機構を理解するのは容易ではない。1つの障害は、神経科学的研究では、異なる空間スケールをまたぐような問題を扱わねばならない点だ。ニューロン間のナノメートルサイズのシナプス接合部から、センチメートル単位の脳領域間接続まで、スケールが大きく異なる要素が関与しており、しかも、そうしたさまざまなスケールを同時に調べなければならないわけだ。Nature 2013年8月8日号の3編の論文1-3は、そのような困難に果敢に取り組んだ成果である。

そのうちの2編(Helmstaedter et al.1竹村伸也ら2)は、コンピューター計算による技術を使って、高分解能画像で見えるニューロンの領域を拡大させた。3つ目の研究(Maisak et al.3)では、遺伝学的手法と光学的手法を統合させて、これまではサイズが小さ過ぎてモニターできなかったニューロンの活動を記録した。3編の論文はいずれも網膜を対象にしており、ここは視覚系において最初の画像処理を担っている要素部分である。

哺乳類の網膜は60種類以上の異なるタイプのニューロンを含んでおり、それぞれは独特の形態をしていて、機能も異なる4。網膜の中では、視細胞(錐体と桿体)が光を感知し、この光受容細胞からの出力を、アマクリン細胞、水平細胞、双極細胞が処理する。その下流では、およそ20種類の異なるタイプの網膜神経節細胞が、符号化された最終的な信号(20種類の異なる視覚入力表現)を脳に伝達している。従って、網膜部分でニューロンの接続具合をきちんと区分することは、極めて困難な作業なのである。

Helmstaedterらは、今回、マウスの網膜内層のコネクトーム(全てのシナプス結合)について報告している。彼らは、連続組織切片と電子顕微鏡を使い、結果を仮想三次元固体中にデジタル的に再構成して、これを達成した。その分析の結果、2種類の神経節細胞の刺激選択性を説明できるいくつかの接続パターンが明らかになった。また、もっと基礎的な成果として、950のニューロンを含む再構築体(図1a)によって、双極細胞の種類(タイプ)の確定的分類が可能になった。そして、この新しい分類をほんの少し洗練させることで、双極細胞について分かっている従来の知見が、驚くほどうまく説明できることが明らかになった5。双極細胞はこれまで、主に光学顕微鏡と分子マーカーを使って識別されていた。

図1:視覚系における動きの識別のメカニズム 1–3
a. マウスの2つの網膜層間の950個のニューロンのうち、電子顕微鏡のデータセットに基づいて再構成した24個のニューロン。
b. 空間的にわずかに離れている光受容細胞は、中間にあるL1とL2細胞を介してMi1とTm3細胞に入力を伝える。それらの細胞からの出力はT4細胞に集まるが、入力が空間的に分離しているため、T4細胞は動きの方向の違いを識別できる。同様のメカニズムがT5細胞でも働いていると考えられるが、中間にある細胞はまだ明らかになっていない。T4とT5細胞は、それぞれ、明るい境界(ONエッジ)と暗い境界(OFFエッジ)に選択的に反応する。つまり、視覚入力はこの段階で、4つの移動方向(上向き、下向き、前進、後退)×2種類(ONかOFFか)の、計8つの要素に分けられている(図では前進のみ紫色で示した)。それぞれの要素情報はタンジェンシャル細胞によって担われており、その後、全てが再統合される。

Credit: FABIAN ISENSEE, JULIA KUHL/MAX PLANCK INST. MED. RES./REF. 1

Helmstaedterらの研究の価値はそれだけではない。彼らの研究によって、双極細胞の構造が桁外れに正確に描写された。そこで、この双極細胞を効果的に利用することによって、以前のテクニックでは分類できなかったアマクリン細胞と神経節細胞の種類(タイプ)の分析もまた、確定的なものとなる可能性が高まった。こうした細胞のタイプが分類されるようになると、同じ基本的な方法によって、それらの細胞間のシナプス結合もまた解読されていくはずだ。

一方、竹村らとMaisakらは、神経の計算における昔からの問題である「視覚による動きの検出」に関して、研究の進展を報告している。彼らが実験に使った系は、ショウジョウバエの眼だ。ハエは飛行中に迅速に進路決定をしなければならず、また、捕食者をよけるのが特にうまい(ハエ叩きで追いかけてみれば分かる)。動きを検出するシンプルなモデルを作るのは容易だが6,7、神経で起こっている正確な機構を突き止めるのは容易ではない。

視細胞(光受容細胞)は方向を検知できないが、タンジェンシャル細胞と呼ぶ下流のニューロンは、動きの方向にしっかりと同調している。従って、両者の中間のどこかに方向を識別する神経機構があるはずだが、これまでT4とT5と呼ばれる重要なニューロンは、小さ過ぎて通常の方法では電気的記録を取ることができなかった。Maisakらは今回、遺伝的手法で細胞に導入した指標タンパク質を使用して、光学的に神経活動を記録し、この困難を乗り越えた。

Maisakらは、T4とT5が目に見える動きを検知すること、そして、それぞれが、4つの基本的な方向の動き(上向き、下向き、前から後ろ、後ろから前)の1つに特化したサブセットを持つことを明らかにした。さらに、これらの細胞は相反する視覚的コントラストに敏感であった。つまり、T4細胞は「光ON(明るくなる)」に反応し、明るい境界に敏感であった。一方、T5細胞は、「光OFF(暗くなる)」に反応し、暗い境界に敏感であった。Maisakらの遺伝子ノックアウト実験では、この光学的観察が確認されただけでなく、こうした機能を仲介する経路がT4とT5のみであって、中間に割り込んでメッセージを伝える細胞が他にはないことも示した。従って、ハエはまず、動いている視覚入力を合計8つの要素に分解する。上向き、下向き、前向き、後ろ向きに動く明るい境界(ONエッジ)と、同じ4つの向きに動く暗い境界(OFFエッジ)である。

しかし、T4とT5は実際にどのようにして動きの方向を検出するのか? 竹村らのハエのコネクトームから、その答えが得られそうだ。T4のすぐ上流にMi1とTm3と呼ばれる1組のニューロンがあり、それらが、視空間でかろうじて離れている2点を検知する。このニューロンペアからの入力を受けて、T4は2点の関係に基づいて方向を識別する(図1b)。全てがうまくいけば、方向選択性のメカニズムに関する50年にわたる探究に決着がつく可能性がある。

このように、コネクトームによるアプローチは、少なくとも、ハエの眼とマウスの網膜の研究では重要性が立証された。しかし、こうしたミニチュアの神経回路から「本物の脳」に飛躍していいのかとなると、懐疑の声が上がるだろう。大脳皮質固有の回路は、網膜の回路よりも10倍ほど大きい。網膜の空間的スケールは、異なる脳の領域どうしをつなぐ距離と比べるとさらに小さく見える。

非常に大きな組織切片が必要であることも障害の1つだ。また、画像分割の難しさも問題である。連続切片の中で、周囲の神経の茂みを通り抜けていく細い神経突起を追跡するために、画像分割は不可欠である。デジタル技術による試みが功を奏していないため、現在この仕事は、大勢の人間の観察者からなるチームに任されている。しかし、人海戦術では大きな空間的スケールには通用しない。固定と染色の方法が改良されれば、神経突起の識別はもっと容易になるだろうし、デジタル技術が問題を解決してくれるかもしれない。原理上、人間の観察者ができるどんな仕事もコンピューターにできるはずだからだ。神経突起の追跡は、本質的にはパターン認識の問題であり、技術は急速に進歩している。

最終的な疑問は、コネクトームによるアプローチの費用対効果だ。この種の研究は、資金が潤沢な少数の研究室にのみ限られるのだろうか? この質問への答えは明確である。研究に関わる科学者たちは、コネクトーム再構築は、公的な資源であり、誰もがさまざまな目的に使用できると強調してきたのだ。これを役立てるためには、アーカイブにユーザー向けのインタフェースを付ける必要があるかもしれない。複雑なコンピューターコードは、それを作った人々以外には使いづらいからだ。

そのような公的な知的資源を作成し、維持管理していく価値は大きいはずだ。なぜなら、このアーカイブこそが、神経科学に対する最も大きな貢献となるかもしれないからだ。同じオリジナルの素材を使用して、多くの研究者が、構造に関係するさまざまな問題に取り組む時代がやってくるだろう。

翻訳:古川奈々子、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2013.131124

原文

Accurate maps of visual circuitry
  • Nature (2013-08-08) | DOI: 10.1038/500154a
  • Richard H. Masland
  • Richard H. Masland はハーバード医学系大学院の眼科・神経生物学科に所属。

参考文献

  1. Helmstaedter, M. et al. Nature 500, 168-174 (2013).
  2. Takemura, S. et al. Nature 500, 175-181 (2013).
  3. Maisak, M. S. et al. Nature 500, 212-216 (2013).
  4. Masland, R. H. Neuron 76, 266-280(2012).
  5. Wässle, H., Puller, C., Müller, F. & Haverkamp, S. J. Neurosci. 29, 106-117 (2009).
  6. Reichardt, W. in Sensory Communication (ed. Rosenblith, W. A.) 303-317 (MIT Press, 1961).
  7. Barlow, H. B. & Levick, W. R. J. Physiol. (Lond.) 178, 477-504 (1965).