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脳損傷時のニューロン保護作用とグリア細胞のカルシウム濃度

–– Natureダイジェスト:研究は、まず筋肉から入られたのですね。

飯野: そうです。私たちの研究室の2代前の教授は、カルシウムシグナル研究の先駆者だった江橋節郎先生です。今でこそ、カルシウムイオン(以下、Ca2+)のシグナルが、受精や発生、神経、免疫、ホルモン分泌などのさまざまな生命現象の制御に関与していると認識されていますが、江橋先生が発見した当時は「小さな無機イオンであるCa2+に、筋肉の収縮という重要な機能が果たせるのか」との懐疑的な意見が多くあったと聞きます。

Ca2+は、細胞外には約1ミリモーラー(10-3モル/ℓ)と高濃度に存在します。ところが細胞内には、その1万分の1ほどしかありません。Ca2+シグナルは、細胞膜上にあるCa2+チャネルを介した流入によって生じます。また、細胞の内部では、小胞体に貯められたCa2+が、刺激に応じてリアノジン受容体あるいはIP3受容体(IP3R)を介して放出されても、Ca2+シグナルとなります。私は、Ca2+放出の基本機構について研究してきました。Ca2+が脳内でも重要な機能を果たしていることから、2000年頃から脳神経系を対象にするようになりました。

グリア細胞とカルシウム

–– 今回グリア細胞に着目された理由は?

飯野: 脳には、ニューロン以外に、グリア細胞が多数あります。高等動物になるほど数が多く、ヒトではニューロンの数を上回るといわれています。グリアとはギリシャ語で膠(にかわ)を意味し、その名のようにニューロンを固定して支える機能があります。ただし、最近になって、「ニューロンと伝達物質をやりとりし、神経機能にも関与している」といった報告が相次いでいます。

グリア細胞は大きく、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイトに分けられます。このうち最も数が多いのがアストロサイトで、細胞から多数の突起が四方八方に出ています。ヒトの大脳皮質内には、アストロサイトの突起が張り巡らされており、ニューロンは、その隙間をぬって伸びているといえます。実は、アストロサイト内でもIP3Rを介したCa2+の放出が観察されます。私たちは、「どんなときに、どのような仕組みでCa2+が放出され、どのような機能を担うのか」を調べてみることにしたのです。

–– どのような実験をされたのですか?

飯野: 以前から、培養下のアストロサイト細胞群の一か所に傷を付けると、そこからCa2+シグナルが波のように生じることが知られていました1。また、細胞が傷害されるとATPが漏れ出しますが、アストロサイトは、そのようなATPに反応することでも、細胞内でCa2+を放出します。

そこで、脳の損傷時にアストロサイト内でCa2+が上昇することを、生体マウスの大脳皮質で観察してみました。マウスの頭蓋骨に小さな孔を開けて大脳皮質を露出し、アストロサイトにCa2+インジケーターを導入した上でガラスをはめ込み、2光子励起顕微鏡でイメージングするという手法です2。1mmぐらいの深さまで観察可能で、大脳皮質の全層がよく見えます。マウスは実験時には麻酔が必要ですが、それ以外の時間は自由に動いて生活できます。

まず、露出部の一点に強いレーザーを照射して傷を付けて観察してみました。すると、傷の周りのアストロサイト内でCa2+の上昇が見られました(図1)。傷害後のアストロサイトを詳しく調べると、傷口周辺に向かって突起を伸ばし、アストロサイトに特異的なタンパク質(GFAP)の発現が増えていました。これまでに、脳の外傷や変性によって通常型アストロサイトが形態変化を起こし、病態型アストロサイトに姿を変えることが報告されていましたが、まさに、これと同じ現象でした2

図1:生体マウスのアストロサイトで観察されたCa2+イメージング画像。中央部(L)を強いレーザー光で照射して傷害すると、周囲でCa2+上昇が見られた。一方、IP3Rノックアウトマウスではほとんど上昇は見られなかった。

次に、アストロサイトに強く発現しているIP3Rをノックアウトしたマウスを用いて、同様の実験を行いました。すると、ノックアウトマウスではレーザー照射してもCa2+の上昇があまり見られず(図1)、通常型アストロサイトから病態型アストロサイトへの変化も起きにくくなっていました(図2)。このときのニューロンを調べたところ、野生型のマウスに比べて、その数が大幅に減っていました。これらのことから、Ca2+は「アストロサイトが病態型に変化すること」と、「神経を保護すること」の両方に必要なことが分かりました2

図2:Ca2+シグナルによる病態型アストロサイトへの変化。病態型アストロサイトはGFAPを高発現し、傷口に向かって突起を伸ばすように形態変化する。IP3Rノックアウトマウスではその変化が小さかった。

–– 分子レベルでは何が起きていたのでしょうか?

飯野: その点を調べるために、すでに開発済みだった「Ca2+が上昇するアストロサイトと、上昇しないアストロサイト3」を使って、ゲノムワイドなトランスクリプトーム解析を行いました。Ca2+が増えることで、さまざまなタンパク質の発現量が変化していましたが、検討した結果、翻訳抑制因子として知られるプリミオ2(Pum2)が重要だという結論に至りました2。Pum2はRNA結合ドメインをもち、特定の配列を持つmRNAと結合して、その翻訳を抑制します。コンピューター上で、結合する配列を予測してみたところ、脳内で細胞どうしの接着に関わるN-カドヘリンのmRNAが浮上しました。

さらに解析を進め、Pum2は通常型アストロサイトでは発現しているが、病態型ではほとんど発現しなくなることを突き止めました。N-カドヘリンの方はその逆で、通常型ではほとんど発現しておらず、病態型で発現が上がっていました。検証のために、アストロサイトでのみN-カドヘリンを作れないようにしたマウスを用いて実験したところ、脳が傷害されると、IP3Rノックアウトマウスと同じ状態に陥ることが分かりました2

傷害された脳を保護する仕組み

–– 一連の結果から、どのような結論が導かれるのでしょうか?

飯野: 示唆されるのは、以下のようなストーリーです。「脳が傷害されると、アストロサイト内でIP3Rを介してCa2+が上昇し、N-カドヘリン発現抑制因子であるPum2の発現が抑制される。すると、N-カドヘリンの発現抑制が弱まって高発現するようになり、ニューロンとの接着や相互作用が高まり、ニューロン保護作用を発揮する(図3)」。

実は、Ca2+によるシグナル機構は動物だけでなく、植物や菌類にも見られます。おそらく、単細胞真核生物の時代にすでにCa2+をシグナルとして使っていたのでしょう。それが生命進化とともに、さまざまな部位で特定の機能を発揮するようになっていったのだと思います。

図3:一連の成果が示すアストロサイトが脳損傷からニューロンを守る仕組み

–– 今後の課題や展望は?

飯野: アストロサイトが、具体的にどのような仕組みでニューロンを保護しているのかを明らかにしたいと思います。もしかしたら、Pum2を抑制する物質が、脳を保護する新薬につながるかもしれません。

また、「生まれつきCa2+インジケーターをアストロサイトで発現しているマウス」を開発し、同一個体の「同じ細胞」におけるCa2+の動態も追う予定です。脳が損傷を受けた後、アストロサイトが病態型に変化するまでの、Ca2+シグナルを時間を追って観察し、その役割をさらに明らかにしたいのです。

イメージングのみならず、遺伝子改変マウス作製、プロテオミクス、配列予測と、研究のツールは多岐にわたりますが、今回の研究で中心となった金丸和典君など、若手ががんばってくれているので、私も尽力し続ける所存です。

–– ありがとうございました。

聞き手は西村尚子(サイエンスライター)。

Author Profile

飯野 正光(いいの・ まさみつ)

東京大学大学院医学系研究科教授。1976年東北大学医学部卒。1980年東北大学医学系研究科修了(医学博士)。東北大学医学部助手、ロンドン大学客員研究員、東京大学医学部助手および講師を経て、1995年より現職。2011年より、東京大学大学院医学系研究科附属疾患生命工学センター長を兼務。

飯野 正光氏

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2013.131020