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都会の憂鬱

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2013.130110

原文:Nature (2012-10-11) | doi: 10.1038/490162a | Urban decay

Alison Abbott

研究者たちはこれまで「現代の都市生活によるストレスと精神疾患の関連」を示そうとしてきたが、有効なデータはなかった。だが、2003年に公表された英国の「キャンバーウェル調査」の結果は世界に衝撃を与え、これをきっかけに、さまざまな方法で検証が進められている。

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1965年、英国ロンドン市南部の繁華街、キャンバーウェル地区で、保健当局者らによる一風変わった調査が始まった。彼らは、その地区の住人のうち、統合失調症、うつ病、双極性障害(躁うつ病)をはじめとする「何らかの精神医学的病態がある」と診断された人全員について、症例記録をとり始めた。それは数十年にわたって継続された。そして、この「キャンバーウェル調査」のデータ全体を見返していた精神科医らは、驚くべき傾向を発見した。統合失調症の罹患率が、1965年には住人10万人当たり11人だったのが、1997年には23人と、ほぼ倍増していたのだ。この期間、標準的な一般集団の間ではこのような増加はみられない(J. Boydell et al. Br. J. Psychiatry 182, 45–49; 2003) 。そのため、多くの研究者は1つの疑問を抱いた。それは、都市生活のもたらすストレスが、統合失調症などの「心の病」にかかるリスクを増大させるのではないかというものだ。

精神疾患は、世界の疾病負荷(疾病による人命や生活の質の損失を表す指標)のランクで感染症に次ぐ位置にある。世界全体の統計では、今のところ罹患率に大きな増加はみられないものの、その社会的コストは上昇している。ドイツでは、精神疾患による欠勤日数は2000年から2010年までの間に倍増した。北米では、一部の推計によれば、欠勤に対する高度障害保険請求のうち、うつ病に関係するものが40%にもなる。「どうやら都会の生活は人の心を病ませるようです」と、キャンバーウェル調査を率いた精神医学研究所(英国ロンドン)のJane Boydellは話す。

これは差し迫った問題である。1950年当時、都市生活者の数は世界人口の3分の1に満たなかった。だが、仕事やチャンスを求めて都市に人が集まるようになり、現在では、世界人口の半数以上が都市で暮らしているのだ。

事例からみれば、都市、ストレス、精神衛生の間の関連性はうなずける。精神医学の分野では、ストレスによって精神疾患が引き起こされる場合があることが知られているし、現代の都市生活にはストレスが多いことも広く認識されているからだ。都市生活者は、都市から離れた場所に住む人々に比べて、多くの雑音や犯罪、貧困者たちに日常的に遭遇し、道では大勢の他人を押し分けて歩かねばならない。また、都市で働く人々は、少ない時間でより多くの仕事をこなすことを期待され、職場で課せられる要求が大きくなっていると訴える。

しかし、こうした都市ストレスと精神疾患との直接的な関係は、これまで広く検証されたことがなかった。「都市環境」という複雑なものが脳に影響を及ぼすかどうかを調べることは、容易ではないのだ。さらにやっかいなことに、多くの成長中の都市では、社会的孤立によって「すでに精神疾患のリスクが増加している」移民集団が生活している。

現在、この問題に真っ向から取り組んでいる研究者は少ない。だが彼らは、機能的脳画像化法やデジタル監視技術を使って、ストレスの多い状況に対する脳の反応が、都市部と農村部の住民とではどう違うのかを知ろうとしている。「確かに、『都市のストレス』は大きすぎて扱いにくいテーマです。しかし、都市生活者の脳のようすのどこかに違いがないか知ることぐらいはできるはずだと考えたのです」と、精神健康中央研究所(CIMH、ドイツ・マンハイム)で所長を務めるAndreas Meyer-Lindenbergは話す。そして、都市の状況の何が最もストレスとなるのかを明らかにできれば、それを都市計画の改善に役立てることもできるだろう。「誰もが都市に美しくあってほしいと願いますが、それが具体的にどういうことなのか、誰も知らないのです」とMeyer-Lindenberg。広い道路や高層ビル、たくさんの樹木があればいいのだろうか。「建築家たちの理論はさまざまですが、今回のようなプロジェクトによって、都市作りの規範に貢献できるような科学的根拠が得られるかもしれません」。

容赦ないストレス

進化の観点からみれば、生理的なストレス応答は明らかに利点となる。捕食者や、食物供給の減少、攻撃的なライバルといった脅威にさらされると、コルチゾールやアドレナリンなどのホルモンの放出が引き起こされるが、こうしたホルモンは血糖値を上げ、筋肉や肺への血流量を増やす。そのおかげで、速く走ったり、狩りをしたり、戦ったりすることができ、哺乳類は生存率を上げることができる。

都市での生活にはストレスが多いが、そのストレスは本当に精神疾患を引き起こすのだろうか。

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しかし、こうしたストレス応答のスイッチが入ったままだと問題が生じる。大量のストレス応答ホルモンにさらされ続けると、血圧は高いままとなり、免疫系は抑制されてしまう。また、仕組みはまだよくわかっていないものの、猛烈なストレスもしくは長期にわたるストレスによって精神疾患のリスクが高まることについては、研究者の間にも異論はない。さらに、遺伝的素因のある人や、脳の発達期にストレスを受けた人ともなれば、そのリスクは容赦なく高まる。こうして、都市がもたらす絶え間ないストレス刺激によって、人々はダメージを受け続ける。このような刺激が世界中で精神疾患を増大させているのではないか、と懸念する声も聞かれる。

しかし実際には、精神疾患増加の兆候が見つかったのは、比較的小規模で局所的な調査においてのみである。「もどかしい話です。増えていいはずだと思うのですが」と話すのは、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の精神健康疫学者Ronald Kesslerである。「局所的にはみられるのですが、広域的にはまだ増加兆候は見つかっていませんし、都市部では増えていないことを示唆する研究さえあるのです」。しかし、精神疾患の有病率については、診断が不明確であったり、記録が不完全だったりする場合が多く、信頼できるデータはなかなか見つからないのが実情だ。キャンバーウェル調査の影響力が大きかった理由はそこにある。この調査では、たとえ入院していなくても、何らかの精神障害を持つと診断された人すべてを調査対象にしていた点が、一般的な有病率データとは異なっていた。加えて、調査にかかわった研究者らにより全症例の再検討が注意深く行われていたことも、このデータの信頼性を高めた。

キャンバーウェル調査の結果は2003年に公表され、当時、米国立精神健康 研究所(メリーランド州ベセスダ)にいたMeyer-Lindenbergはその内容に大きな衝撃を受けた。彼はちょうど、統合失調症の遺伝性リスク因子が脳機能にどのように作用するかを研究していたからだ。Meyer-Lindenbergは、その公表の数年前にマンハッタンで学生時代を過ごしており、「路上に精神を病んだホームレスの人たちが大勢いて衝撃を受けました。そしてこうした都市問題が、どういうわけか私の心を揺さぶったのです」と振り返る。

彼は、都市生活が何らかの経緯で脳を精神疾患にかかりやすい状態にするのではないかと考えていた。そうして2007年に故国ドイツに戻り、この問題に真っ向から取り組むことを決意した。だが当時は、「そうした影響はあまりに小さすぎて解明が難しいのではないか、と考えられていました」とMeyer-Lindenbergは話す。

しかし、彼はやってのけた。2011年に発表した彼の研究成果Nature 2011年6月23日号498~501ページ)は、ストレスなどによる負の情動の脳内処理が、都会育ちの人と、成人後に都市生活を始めた人とでは異なることを示していた(Nature ダイジェスト2011年9月号24〜25ページ参照)。この研究では、55人の健康な被験者に、負の社会的フィードバックに常にさらされた状態で計算課題をやってもらい、その脳のスキャン画像を調べた。「課題に取り組んでいるときに、被験者にヘッドフォンで、『あなたは不合格だと思いますよ』とか、『ほかの人たちの成績にも及ばないですね』などという言葉を聞かせ続けました」とMeyer-Lindenbergは説明する。「また、1組の被験者には、我々のイライラした顔を映したモニター画面を見せました」。

こうした社会的ストレスを与えると、脳の2つの領域が活性化されたが、そのパターンには、被験者の都市居住歴によって違いがみられた。情動を処理する脳領域である「扁桃体」は、都市部に「現在住んでいる人」において、より強く活性化されていた。また、扁桃体の調節を助け、負の情動(不安感や不快感など)の処理に関係する「帯状皮質」は、田舎育ちの人よりも都会育ちの人のほうがより強く反応したが、このパターンは現在の居住場所とは無関係だった。この結果から、都市生活者はストレスに対して過剰に反応してしまうために、統合失調症などの精神疾患にかかりやすくなっているのではないか、とMeyer-Lindenbergは考えている。彼の研究結果はまた、「小児期や青年期のストレスが脳の発達に持続的な影響を及ぼして、精神疾患にかかりやすくさせる可能性がある」とする説とも合致する。

ほかの研究者たちもMeyer-Lindenbergの後に続こうとしている。リーバー脳発達研究所(メリーランド州ボルティモア)の所長で、「都市の文化的刺激」なしには生きていけない中毒患者を自認するDaniel Weinbergerは、中国で統合失調症に関する環境および遺伝リスク因子を調査する大規模な長期プロジェクトを構想している。都市化がすさまじいスピードで進んでいる中国では、都市部で暮らす人々の割合は過去20年間で倍増し、現在では人口の半数を超えた。Weinbergerは北京大学の研究者らとともに、田舎から北京に移り住んだ時期が「12歳以前の人」「18歳以後の人」「その2つの間の年齢の人」の3グループについて、数千人規模の調査をしたいと考えている。彼は、都会での生育と遺伝子という因子が、統合失調症で損なわれていることの多い認知機能や論理的思考にどのような影響を及ぼしているのか、脳画像化技術と遺伝学的解析法を使って解明しようとしている。

現在、都市生活のストレスが精神疾患に結びつくのは主に、リスクがすでにある人々、つまり環境ストレスがあったり、リスク遺伝子を持っていたりする人々においてだろうと推測されている。Meyer-Lindenbergがアイスランドで行っている大規模な脳画像調査では、詳細はまだ公表されていないが、その種の候補遺伝子の1つが浮かび上がってきた。彼は、レイキャビクに本社を置くデコード・ジェネティクス社が「統合失調症のリスクを高める希少な変異を保有している」と判定した500人以上の人を対象に、都市部での調査の時のように機能的磁気共鳴画像化実験を行った。「我々はすでに、ある特定の遺伝子変異を持っている人が社会的ストレスを処理する際には、都会育ちの人と全く同様に、帯状皮質が活性化されることをつかんでいます」と彼は話す。彼は、このプロジェクトをさらに数年にわたって続け、候補遺伝子をもっと見つけたいと考えている。

多忙な都市生活のどの部分が最もストレスになるのかを突き止めることも、もう1つの大きな課題である(「ストレス・アンド・ザ・シティー」参照)。同じ地区に住む人たちが共通の都市生活を経験していても、社会経済的地位や出身民族が異なれば感じ方も異なる。Meyer-Lindenbergは、これが1つの要因ではないかと考えている。もしそうなら、孤立感を経験することの多い移民集団は、都市生活者と同じようなやり方でストレスを処理しているのかもしれない。Meyer-Lindenbergは現在、ドイツ国内の移民の子どもたちでこの仮説を検証しているところだ。(移民の第一世代では、「社会的孤立のストレス」と「故国を離れたことのストレス」とを混同してしまうおそれがあり、検証には適さない。)

マーストリヒト大学(オランダ)の精神科医で疫学者のJim van Osは、ストレスの源を見つけるために都市生活を詳しく調べようとしている。「脳が環境の影響を受けることがわかるにつれて、しだいに、環境のことがわからなければ心の健康に関して何も明らかにできないと思うようになりました」と彼は話す。van Osは、被験者が日常生活を送りながら自分の気分や思考、位置、活動を随時記録できるスマートフォン・アプリを開発している。「気分や感情は、血圧と同じように、脳内でダイナミックに変化します。だから、随時記録することが重要なのです」と彼は説明する。

van Osは、200万ユーロ(約2億1000万円)をかけた実地調査の中で、開発したアプリを使って、心理的な乱れを見せ始めた264人から気分などの要素に関する定期的な情報を収集するつもりである。そうして得られたデータと脳画像化技術とを組み合わせて、彼が立てた仮説を検証しようとしている。その仮説とは、心理的な乱れが本格的な精神疾患へと進行するリスクは、新しい環境に置かれたときに利害得失を察知する能力差に関係する、というものだ。「例えば、新しい地区に引っ越した場合、どの隣人と付き合いを深めたらいいか、すぐに知る必要がありますよね。また、害になりそうだという社会的信号を読み取る方法も身につける必要があります」と彼は説明する。

Meyer-Lindenbergは現在、研究所近くのハイデルベルク大学の地球科学者チームやカールスルーエ工科大学(ドイツ)の物理学者チームとともに、技術的にさらに大がかりなプロジェクトを計画中である。地球科学者チームは、ハイデルベルク市の高解像度地図を作成しており、物理学者チームは、活動範囲がハイデルベルク周辺の被験者を1週間にわたって追跡・試験できる携帯装置を開発している。この携帯装置は、被験者が特定の場所(緑地や特に雑音の多い交差点など)に到達すると、それを認識し、被験者に心の状態について簡単な質問をしたり、その場で認知テストを行わせたりする。次のステップでは、被験者に研究室へ来てもらい、脳画像化法で、被験者の脳がストレスや情動をどう処理しているかを調べることを考えている。そうして、脳画像データとさまざまな場所での被験者の心理状態とを相関させることで、都市生活のどの側面が脳にどういった影響を与えるのかを追跡したいと研究チームは考えている。例えば、公園の散歩は本当に扁桃体や帯状皮質を沈静化する作用があるのかどうか、などだ。

ラッシュアワーにて:携帯アプリを利用して朝から晩まで1日のストレス状態を調査できる。

Credit: T. BATINK

このプロジェクトはリスクが高いため、資金提供機関を見つけることはまだできていない。しかしMeyer-Lindenbergは、このプロジェクトには都市の将来がかかっていると踏んでいる。その考えは、ダルムシュタット工科大学(ドイツ)の建築学者で都市設計家のAnnette Rudolph-Cleffも同様だ。Meyer-Lindenbergの2011年のNature掲載論文を読んで彼に連絡をとったRudolph-Cleffは現在、このプロジェクトに助言する協力者だ。「現時点で都市に関してわかっていることは、あまりに乏しいのです。こうした新しい技術や手法は、都市をどう発展させるべきかを判断するための一助として必要なのです」と彼女は言う。

彼らの研究は、将来の都市設計に役立つだけではない。既存の大都市に内在する「最もストレスになる部分」を見つけ出す助けにもなり、都市再生のための論拠を示すのに役立つはずだ。都市はすでに、経済や文化を育てる巨大な「保育器」となっている。Rudolf-Cleffは、「都市ストレス」という新しい科学分野が切り開かれることで、都市を健康な心をはぐくむ「揺りかご」へと変えられるのではないかと期待している。

(翻訳:船田晶子)

Alison Abbottは、Nature の欧州シニア特派員。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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