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アスリートの脳はどう違う? ここまでわかってきたスポーツ脳科学

2008年3月30日

スポーツ選手は華麗な技を脳でどのように制御しているのだろうか。また、一般の人とアスリートでは脳の機能にどのような違いがあるのだろうか。

ヒトが運動するときには、脳のさまざまな部位が活動する。前頭葉の大脳皮質には、骨格筋に対応した細胞が並び、骨格筋の神経細胞に直接つながる一次運動野、複数の筋肉の動きの組み合わせを司る運動前野、順番に動作を行うときに働く補足運動野がある。さらに、眼球運動のための前頭眼野や補足眼野などもこの前頭葉大脳皮質に存在する。

大脳皮質の下位には、筋力の増強や動作のタイミングとの関係が示唆されている大脳基底核、姿勢や熟練による動作の自動化に関わる小脳がある。

これまでの運動の研究や脳外科の知見などから、運動を計画しているときや思いとどまるときには前頭連合野、運動を始めたときには補足運動野や運動前野が活発になり、運動を重ねるにつれて、その制御には大脳基底核や小脳の働きが重要になることなどがだんだん明らかになってきた。現在のところ、脳が運動をどのように制御しているかを調べる方法は、直接的に人間の脳活動を測定する機能的核磁気共鳴画像法(functionalmagnetic resonance imaging:fMRI)、ポジトロン断層法(positron emission tomography:PET)、脳磁図(magnetoencephalography:MEG)、近赤外光トポグラフィー( near infraredspectroscopic topography: NIRS)、脳波(electroencephalogram:EEG)といった脳のイメージング技術と、運動をしたときの筋肉の活動(筋電図)の測定、動作やそれによってあらわれる外力の観察・測定(反応時間など)から運動行動を評価し、脳機能を推測する方法の2つに大別できる。

前者の脳機能イメージング法では頭部を固定しなければならないという大きな制約がある。近年、自転車こぎ、ゆっくりとした歩行、さらにスケーティング中の脳活動の測定に使用されているNIRSでさえ、計測用コードなどの制限があり、脳活動を計測できる全身運動の種類には限りがある。また、後者は筋肉の活動や動作という脳の出力の結果から脳機能を推測するが、無数の筋が関与する全身運動を捉えるのは至難の業だ。

さらに、スポーツのパフォーマンスは、筋力、持久力、集中力、コンディショニングなどさまざまな力の総合によって成り立っており、脳研究を行う際、条件の抽出や実験系を組むのも難しい。研究手段の制限に加え、スポーツの現場にも研究を阻む壁がある。ひとつは、トップアスリートには短い競技人生において研究に参加する時間や動機が乏しいことだ。これは、パフォーマンスの向上というアスリートの目的に合致した研究成果が少ない、つまり、練習に取り入れても成績が上がると確信できない、脳機能が向上したとしても、“筋力トレーニングで筋肉が肥大する”ような即効性があり、目で確認できる結果が得られていないという点が関係する。また、スポーツの現場では科学に裏付けされたトレーニングがまだ一般的ではないことも影響している。

研究者たちはこのような制約の中で、工夫をこらし、研究を進めている。北京オリンピックを控えた今、スポーツや運動と脳機能の研究のさまざまなアプローチを紹介する。

注視して待つのとタイミングを合わせるのは同じ課題でも脳の働く部位が異なる

図1:トップアスリートと一般男性の脳の働きの違い
オリンピックに出場経験のある体操選手が鉄棒種目のD難度のコバチ(後方2回宙返り懸垂)を2回続けるダブルコバチを成功させている自分の演技のビデオを見たときのfMRI画像(左)。左右の運動前野、上側頭回、頭頂葉などの血流量が増え、運動をなぞっている様子が見て取れる。一方、同じビデオを見た一般学生では視覚野や空間情報処理を担当する頭頂葉のみの血流量が増加(右)。ある動作の習得にビデオ画像等を使う場合、見る対象者がその動作に関してのイメージがないと役に立たないことが示唆される。 | 拡大する

撮影協力:日本大学大学院総合科学研究科生命科学専攻 泰羅雅登教授

東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系の大築立志(おおつきたつゆき)教授は、主に筋電図を取り入れた実験系で、スポーツにおける予測とタイミング、動作の巧みさを研究している。

これまでに、バドミントンなどのタイミングよくターゲットを打つ動作の筋電図から、熟練した選手はターゲットを打った後すぐに筋活動が停止するが、未熟練者はターゲットを打った後、いつまでも筋活動が続き、無駄にエネルギーを使うことがわかった。また、選手は熟練するにつれて、体の中心に近い筋肉から熟練者に似た筋電図のパターンになり、末梢の筋肉が遅れて熟練する、といった興味深い知見を報告している1

最近では、fMRIを用い、刺激への最初の反応とその後でタイミングを合わせるときの脳活動を比較している2。パソコンの画面上に等間隔で水平に並んだ7つのLEDを一定の時間間隔で点灯し、最初の点灯に反応して、あるいは7つめに点灯にタイミングを合わせてスイッチを押す作業では、最初の点灯に対する反応では一次運動野や補足運動野、前補足運動野、7つめの点灯にタイミングを合わせる場合には一次運動野、補足運動野とともに運動に直結した視覚や空間認知に関係する後頭葉の2つの部位の血流が相対的に大きくなっていることがわかった。「動いているものの動きを予測してタイミングを合わせる動作はヒトが日常行っている行為で、動くものが出てくるのを注視して待つほうが特殊なケースであるために、あえて後頭葉の2つの部位を抑制して不意に出現する刺激に注意を向けているのかもしれない」と大築教授。

将来的には3次元ハイスピードビデオ解析などによる運動の計測と、コンピューターグラフィックスやバーチャルリアリティを組み合わせた、スポーツのための脳をトレーニングするシステムを開発できればと考えている。

同じ運動を繰り返すのにつれて、脳が効率よく働くようになる

筑波大学大学院人間総合科学研究科の西平賀昭教授は、事象関連電位(event-relate dpotentials:ERPs)を指標として、運動と脳機能の関係を研究している。事象関連電位は光、音、皮膚刺激などの事象に注意を向けたとき、情報を識別しようとしたとき、運動しようとしたときに一過性に表れる微量の脳電位で、通常出ている自発脳波に重なって記録され、加算平均処理を行って算出する。fMRIやPETなどの脳機能イメージングが捉えることができない時間的な変化をミリ秒単位で見られるのが特徴だ。

西平教授らは、7年間以上陸上競技のトレーニングを専門的に行ってきた群は、一般学生群を比較して、後期随伴性陰性変動(contingen tnegative variation:CNV)が大きく振幅することを2003年に報告している3。後期CNVは補足運動野と運動皮質から出て、運動の準備を反映して変動すると考えられている。「スポーツ選手の脳は一般学生に比べ、運動を始める前から運動により最適な準備をしていると考えられる」と西平教授。

また、同じ実験で、ヘッドホンから出る予告刺激の後にオシロスコープ画面で反応刺激となるラインを見せ、その際に利き手ではない左手首を曲げる運動①では、運動に慣れるに従って、反応刺激の後に出る後期CNVが減少し、一方、オシロスコープ画面のラインに合わせるように手首の関節を曲げる力を調節する運動②では、後期CNVが増えた。つまり、①のパターンができやすい運動では、その運動のための準備をだんだんしなくなり、それに伴って筋肉の反応動作は回数を追っても変化しないが、②のようにターゲットに合わせる調整が必要な運動では、運動の回数が増えるにつれて、筋肉をうまく動かせて筋電図のばらつきが減ることが見て取れた。

西平教授は、2002~2006年に文部科学省21世紀COEプログラム「健康・スポーツ科学研究の推進」で拠点リーダーを務め、事象関連電位を用いて、健康な成人では最大酸素摂取量の60~70%程度の運動を10~30分行うと認知機能が高まることを明らかにしている4。「今後はトップアスリートの脳の違い、運動のしすぎによる脳の疲労など負の側面も明らかにしていきたい」と話す。

手足の運動感覚を知覚すると運動をしていなくても脳の運動領野が活動

独立行政法人情報通信研究機構未来ICT研究センター・ATR脳情報研究所の内藤栄一研究マネージャ・主任研究員は主にfMRIを使い、掌でボールを回す手指の巧緻運動の効率化過程、四肢の腱に振動刺激を与えて引き起こす運動錯覚を用いた運動感覚知覚の脳内情報処理過程、運動の脳内表現(運動イメージや運動観察)などの研究を行っている。

運動錯覚は、実際に運動をしなくても腱への振動刺激によって筋肉が伸張した(手や足が動いた)ように感じる現象で、これまでに、手や足の運動感覚を知覚体験するだけで、本来その運動の計画や制御に関与する一次運動野を中心とする運動領野が活動することを報告している5。また、これらの運動領野は実際に手や足の運動をしなくても、かわりにその運動を心的に想像(イメージ)しただけで活動が増加し、これがイメージトレーニングの効果を支えることも明らかにした6。内藤研究マネージャは、トップアスリートと一般人との運動能力の相違を脳活動からも見る、ひとつの実験を行っている。オリンピックに出場経験のある、ある体操競技選手が5回に1回成功するかどうかの難度の高い技を習得しようと、自分の演技の成功ビデオを繰り返して観察し、脳内にそのイメージを獲得する努力を続けていた。この選手が身体は動かさずにその成功ビデオを観察すると、運動前野、上側頭回、頭頂葉などが盛んに活動した(図1左)。これは運動を観察してその運動を獲得しようとするミラーシステムが積極的に動員されていることを示し、同じビデオを見た一般学生では運動前野や上側頭回が全く動員されない事実(図1右)と明瞭に異なった。同様に、成功ビデオを観察した直後に、トップアスリートと一般学生に「あたかもその運動を自分が行っているかのように」運動をイメージしてもらうと、前者では運動関連領野が盛んに活動したが、後者では視覚野以外の活動は全く見られなかった。「運動観察でも運動イメージでもある程度その運動ができることが重要。その動きを経験したことのない(脳内に運動表象が獲得されていない)人にとって、運動関連領域を動員することは非常に難しく、運動表象を獲得している選手にとっては、まるでその動きをなぞるように脳を働かせることができるようだ。おもしろかったのは、トップアスリートにあえて失敗ビデオを見てもらうと、ミラーシステムが全く働かなかったこと」と内藤研究マネージャ。

一流のスポーツ選手は、パフォーマンスの最中に状況に合わせて体勢を補正したり、次の技を変えたりといった調整を一瞬で行う。「彼らはまるでスローモーションのように時間の窓を拡げることができる。この調整能力を調べる方法を考えたい」。

生体リズムや睡眠とスポーツのパフォーマンスの関係を調べる

図2:常酸素環境下と低酸素環境下の無呼吸・低呼吸指数の比較
大学生の陸上選手8名が常酸素環境下と低酸素環境下で眠ったときの「無呼吸・低呼吸指数」(睡眠中に10秒以上呼吸が停止する「無呼吸」と10秒以上換気量が50%以下になる「低呼吸」の1時間あたりの回数)。常酸素下に比べ、低酸素環境下では無呼吸・低呼吸が有意に増加した。グラフAは被験者8名の各個人のデータ、グラフBは平均値。無呼吸・低呼吸になると睡眠が浅くなり、日中の眠気や集中力の低下などの症状が出る。不整脈や動脈硬化なども合併しやすい。 | 拡大する

Hoshikawa et al. J Appl Physiol.2007; 103: 2005-2011

早稲田大学スポーツ科学学術院の内田直教授は、生体リズムや睡眠を専門とする精神科医で、2003年の早大着任後から、スポーツと生体リズムや睡眠に関する研究を続けている。

「体温が上がるとスポーツのパフォーマンスが上がり、また、覚醒後の体温の上昇は生体リズムの調整で3時間ほどずらせることがわかっている。午前中の予選をいいタイムで勝ち抜きたいと相談に来た早大の水泳選手について、高照度光によって朝の体温を早く上げられるよう調節したところ、自己タイムを更新する結果が出た」。また、陸上選手にも国際試合を行う際の時差対策をアドバイスし、パフォーマンスを上げた経験もある。「ただ、このようなケースでは暗示が影響する可能性もあるので、正確な実験が必要」と内田教授。現在、早大スポーツ科学部の学生を対象に、メラトニンと高照度光の照射を利用して、体温のシフトとパフォーマンスに関して、より厳密な方法で検証する実験を始めており、ここ1~2年にひとつの成果を出したいとしている。

2007年には、国立スポーツ科学センター(JISS)の研究グループとともに、2000mの高地トレーニングを行う際の睡眠の状況に関する論文を発表7。JISSの常圧低酸素施設を使い、8人の男性のアスリートの睡眠中の脳波や眼球運動、動脈中の酸素濃度などを調べると、低酸素状態では動脈中の酸素濃度が減り、呼吸が妨げられ、深い睡眠であるノンレム睡眠が減るとともに、無呼吸・低呼吸状態になる回数が増えることが明らかになった(図2)。「赤血球が増えるなど心肺機能が向上する高地トレーニングも、睡眠の質が低下するとすれば、必ずしもパフォーマンスの向上につながるかどうかはわからない。トップアスリートのトレーニングでは、選手個人の特質を見て、テーラーメイドのトレーニングメニューを組むような体制になればいいと考えている」(内田教授)。

スポーツビジョンの差はスポーツ選手の成績の差と相関する?

スポーツの現場に最も取り入れられているのはスポーツビジョンの研究といえるだろう。

スポーツビジョン研究会幹事の愛知工業大学経営情報科学部の石垣尚男教授によると、スポーツビジョンは、“視覚による情報収集力”と定義され、静止した小さなものを見分ける視力に対し、①動いているものをはっきり見る動体視力、②一瞬で多くの情報をつかむ瞬間視、③素早い眼球運動、④広範囲を見る周辺視野、⑤素早く判断して正確に反応する眼と手の協応動作の5つに分類される。「世界的にスタンダードな測定法や研究は少なく、日本でも研究者は眼科医や脳の専門家も含めて20人程度」と石垣教授。数百万円する専用測定機器があるが、石垣教授は簡易に使えるパソコンソフトを開発、さらに任天堂のゲーム機ソフト「DS眼力(メヂカラ)トレーニング」も監修し、研究に使っている。

石垣教授らが行った多くのスポーツ選手や一般の人たちのスポーツビジョンの測定や視線の解析から、スポーツビジョンは年齢を問わず、男性のほうがやや発達し、小さいころからスポーツをしている子どもほど発達していることが明らかになっている。「個人差が大きく、トレーニングによって伸びるのは約20~25%程度で、能力の差は埋まらない」というのが石垣教授の考えだ。中学生の日本代表レベルのサッカー選手は、ほかの種目のスポーツも含めた大学生の選手よりも周辺視野や瞬間視がすぐれており、日本のプロ野球球団がドラフト入団選手80人以上のスポーツビジョンと活躍の度合いの評価の関連を8年間調査したデータでもスポーツビジョンと評価は正の相関があったという。「遺伝によるのか環境によるのかはわからないが、トップ選手のスポーツビジョンは明らかにすぐれている」と話す。

日本サッカー協会では審判の研修にスポーツビジョンの測定とトレーニングをすでに取り入れている。また、協会が発行する指導者向けの指導マニュアルが現在改訂中で、「スポーツビジョンのトレーニングが入る見込み」と石垣教授。

ただ、スポーツビジョンのトレーニングがパフォーマンスに結びつくどうかの証明は今後の課題だ。「道具を使わずにできるトレーニング方法も多いので、まずはウォーミングアップに取り入れてもらえるようになれば」と石垣教授は話す。

運動やスポーツと脳機能の研究は、スポーツ選手だけではなく、一般の人の適切な運動強度や運動時間、さらには脳損傷後の最適なリハビリテーション法の開発にもつながる。「脳科学の観点から見れば、スポーツと脳損傷リハビリの相違は、スポーツは非日常的で高度な身体運動を獲得する過程であり、脳損傷後のリハビリは損傷した脳システムを使って日常的な動作を再学習する過程の差しかない。スポーツやリハビリの現場の声を聞き、研究の場にテーマを持ち込む一方で、研究対象となるスポーツ選手や患者、一般の人に研究の意図や成果を伝えられる人材の育成が必要」と内藤研究マネージャ。実験の制約がなく全身運動中の脳活動が測定できる方法のブレイクスルーも待たれるところだ。

小島あゆみ サイエンスライター

参考文献

  1. Sakurai S, Ohtsuki T, J Sports Sci 18, 901-914, 2000
  2. K. Kudo et al. NeuroImage 22, 1291-1301, 2004
  3. 秋山幸代ほか『臨床神経生理学』,31巻6号,489-498,2003
  4. A.HATTA et al. Japanese Journal of Physiology Vol.55, 29-36, 2005
  5. Naito, E. et al. Eur J Neurosci, 25, 3476-3487, 2007
  6. H. Henrik Ehrsson, et al. J.Neurophysiol 90: 3304-3316, 2003
  7. Hoshikawa et al. J Appl Physiol.2007; 103: 2005-2011

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