naturejapanjobs 特集記事

幹細胞研究 再生医療への期待と不安

2005年12月22日

私たちの体は、200種におよぶ細胞から構成されている。しかし、そのルーツをたどると「受精卵」というたった一つの細胞に行き着く。受精卵には、あらゆる細胞に分化する多分化能をもち、しかも自己複製を繰り返す幹細胞が含まれているからだ。

一方、細胞研究においては、「成人には、受精卵にみられるような多分化能と自己複製能をあわせもつ細胞はほとんどない」との見解がなかば常識となっていた。例外は、骨髄中に存在する造血幹細胞くらいしかなかった。造血幹細胞研究の歴史は古く、赤血球、T細胞、好中球などの8種もの血液細胞が、いずれも造血幹細胞から分化することが、広く知られてきた。

ところが、最近になって、脳や筋肉、肝臓、消化管、皮膚上皮といったさまざまな部位に、幹細胞とよべるものがあることがわかってきた。この事実は、骨髄移植が白血病などの治療に功を奏するように、疾患や事故によって失われたさまざまな生体機能が、幹細胞によって再生される可能性を示唆するものとなった。

難しい株の樹立と維持

定義では、受精卵が数十回程度分裂した胚(胚盤胞)に含まれる幹細胞を「胚性幹細胞(ES細胞:embryonic stem cell)」、成人の体内で自己複製しつつ一定の多分化能を保つ幹細胞を「体性幹細胞(somatic stem cell)」としている。ただし、体性幹細胞の多くは、組織や臓器のどこに存在するのかが、厳密に特定されていない。まずは、取り出した組織をバラバラにし、単一細胞ごとに培養する。その後、クローンから得られた細胞が多分化能や自己複製能をもつと確認された場合に、幹細胞として同定される。

さらに、体性幹細胞はもともとごく微量しか存在しないので、分離して得られるものはさらにわずかな量となる。しかし、研究を進めるにせよ、臨床に用いるにせよ、ソースとなる幹細胞はたくさん必要だ。培養に頼ればよいと思われるかもしれないが、ここに最大のネックがある。「がん細胞でも、体外で培養して増殖させるのは難しい。ふつうの細胞に至っては至難の技だ。体性幹細胞では、がん細胞株のように、体外で長期培養された例はない。例外的に株として樹立できた幹細胞は、ES細胞だけだろう」。理化学研究所バイオリソースセンター細胞材料開発室室長の中村幸夫博士は、そう話す。

期待されるES細胞の利用

培養が難しい体性幹細胞にかわって期待されるのが、ES細胞の株を用いる方法だ。日本ではじめてヒトES細胞株を樹立した京都大学再生医科学研究所所長の中辻憲夫博士は、「ヒトのES細胞は2日に1回分裂する。1週間で10倍、1か月で1万倍、1年で10の52乗倍になる計算だ。まさに、ES細胞は無尽蔵に増やせる」と話す。

発生生物学が専門の中辻博士は、1983年にイギリスでマウスES細胞について学んだ。帰国後、1985年にマウスES細胞株を、1998年にサルES細胞株を樹立。2003年5月には、政府指針に従って、日本ではじめてヒトES細胞株を樹立することに成功した。「用いたのは、不妊治療のために作られた凍結胚で、すでに不要になったもの。指針に従って、慎重に提供者の同意を確認し、20個ほどの余剰胚を得た。そのうちの4個が解凍後に分裂をはじめ、3個が胚盤胞に至った。そこから3株を樹立することができた」と中辻博士。

細胞株樹立までの中辻博士の苦労は、相当なものだった。「マウスES細胞では、白血病阻害因子(LIF)を加えることにより、未分化状態を保ったまま増殖させることができた。しかしサルやヒトのES細胞ではLIFが効かず、マウス胎児の繊維芽細胞などがもつ、フィーダー細胞としてのはたらきに頼って樹立した」と話す。

長期培養後の細胞は、その染色体や遺伝子が異常になっている場合が多い。しかし、中辻博士のマウスES細胞株では、染色体が全く正常にたもたれていることが確かめられている。マウスES細胞を胚盤胞に注入すると、ES細胞が受精卵内部の細胞塊とまざることで、キメラマウスが生まれてくる。中辻博士は、このキメラマウスから、ES細胞のゲノムを受け継いだ正常なマウスが生まれることを確認し、ES細胞の染色体が正常であることを証明したのだ。

「フィーダー細胞がヒトのものではないことや、患者に使ったときの拒絶反応をどう防ぐかなど、解決すべき問題はあるが、近い将来、何らかの策がみいだされると思う」と中辻博士。ヒトES細胞は再生医療のための細胞ソースとしてほぼ無限に供給できることが最大の利点だが、研究に必要な遺伝子改変ヒト細胞の作成にも欠かせない。さらに、目的の細胞や組織に分化させることで、創薬におけるスクリーニングや毒性の試験にも用いることができ、応用範囲はきわめて広いと思われる。

実現に向けて動き出した幹細胞治療

図1:自己複製能と多分化能を合わせもつ幹細胞。 | 拡大する

幹細胞を用いた日本の基礎研究の中には、臨床にかなり近づいているものもある。ターゲット臓器は、すい臓、歯、脳、骨髄などで、いずれの研究も、欧米に遜色のない世界トップレベルを走っている。その実例を、いくつか紹介しよう。インスリンを産生するβ細胞を分化誘導横浜市立大学大学院医学研究科教授の谷口英樹博士は、造血幹細胞を用いて研究をスタートし、現在は肝臓、すい臓、腸上皮の幹細胞を多角的に研究している。「臨床応用に移行させやすいのは、すい臓だ。臨床の現場では、すい臓の細胞移植(すい島移植)が行われ始めており、細胞分離や免疫抑制の手法もよく研究されている」と話す。対象疾患は、インスリンの分泌量と作用がいちじるしく低下した重症の。型糖尿病だ。体内あるいは体外で、幹細胞からすい島を再生できれば、今よりも高い効果が期待できる。

「問題はやはり細胞の量だ」と指摘する谷口博士は、分離したすい臓の幹細胞を糖尿病モデルマウスに移植する研究を進める一方で、ES細胞をすい島細胞(β細胞)に分化誘導させる研究も行っている1。「すでに、インスリン産生細胞に分化させたとの報告もあるが、それらの細胞はβ細胞とは少しちがうようだ」とコメントし、「ES細胞は、神経や心臓など、発生の初期にできる外胚葉(表皮、神経、感覚器などに分化する細胞集団)や中胚葉(骨、筋肉などに分化する細胞集団)系の細胞には誘導しやすい。しかし、その後でできる内胚葉(消化器に分化する細胞集団)系のすい臓への分化誘導は難しい」と話す。

現在、谷口博士は、内胚葉系である腸上皮の幹細胞をインスリン産生細胞に分化させる実験も行っている。「多角的に研究を進めることで、それぞれの幹細胞の欠点を補う解決策もみえてくると思う」という谷口博士。臨床応用という点では、最終的にはES細胞を使うのが妥当なのではないかと考えている。

老化で失われた歯をよみがえらせる

最も臨床に近いという意味では、名古屋大学大学院医学系研究科教授の上田実博士の歯牙再生研究をはずせない。上田博士は口腔粘膜細胞を使った皮膚の再生研究を行い、日本ではじめて培養皮膚をヒトに移植した経験をもつ。その後、歯牙の再生研究に取り組み、早ければ来年にも一例目の臨床研究を行いたいと考えている。

歯は外胚葉系と間葉(組織内の隙間を埋める細胞集団)系の細胞からなる複雑な構造をもつ。上田博士は、ブタやイヌの成獣の第2臼歯の奥にある組織を採取し、そこから分化能をもつ細胞を分離。それを歯に分化誘導する実験を繰り返してきた。「イヌでは、あごの骨に幹細胞を埋めることで、わずか25週で歯の再生に成功した。ヒトでは親知らずの下あたりに幹細胞があることがわかっている」と話す。

今のところ、患者自身の幹細胞を使うことが想定されており、細胞供給や拒絶反応の問題は生じていない。しかも、高齢化社会におけるニーズはきわめて多いと思われる。「今、45歳以上では2年に1本ずつ歯を失い、80歳では平均8本しか残っていないといわれる。まったく歯がない人は、奥歯2本と前歯2本を上下で計8本再生するだけで、生活の質が飛躍的に向上すると思う」と上田博士。毛髪や皮膚の再生も合わせた、究極のアンチエイジングに挑戦しつづけている。

グリア細胞からニューロンへ

脳に存在する細胞は、一生を通じて分裂することがないといわれていたが、このような非再生系細胞にも幹細胞とよべるものが存在することがわかってきた。理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター分化転換研究チームの近藤亨博士は、2001年4月まで在職していたロンドン大学で、偶然にも、オリゴデンドロサイト前駆細胞(OPC)が、特殊な条件下で神経幹細胞と同様の能力を獲得することを見いだした2。OPCはオリゴデンドロサイトに分化することで、神経細胞がもつシグナル伝達等の機能をサポートする。「成人の中枢神経系のさまざまな領域に豊富に存在するOPCの分化機構をくわしく解析した結果、OPC分化を抑制する処理により、OPCが神経幹細胞と同様の多分化能を獲得することがわかった」と近藤博士。

さらに、2005年7月まで在職していたケンブリッジ大学では、正常な脳でOPCから神経幹細胞様細胞への脱分化が抑制されていることを突き止め、脱分化の分子基盤の手がかり得た3。さらに、脳損傷やアルツハイマー病などの脳神経変性疾患においては、アストロサイトとともにOPCも増殖して患部に移動することを確認している。「患者自身のOPCから神経幹細胞様細胞を誘導できれば、さまざまな脳神経系の疾患治療に応用可能だろう」と話す近藤博士。次の問題は、新たに神経系幹細胞から生み出される神経細胞をいかにして既存の神経ネットワークに組み込むかという点にあると考える。帰国後も、OPCのさらなる解析を続けているところだ。

造血幹細胞の新たな利用法

図2:ヒトES細胞株の樹立と細胞治療のイメージ。 | 拡大する

幹細胞を用いた再生医療の第一歩ともいえる骨髄移植は、広く一般に普及し、高い治療効果をもたらすものとなっている。東京大学医科学研究所ヒト疾患モデル研究センター幹細胞治療(高次機能)研究分野の中内啓光博士は、同じ造血幹細胞の新たな活用法を模索している。一つは、遺伝子治療への応用、もう一つは輸血用血液のための血液分化誘導だ。

筑波大学在任中に遺伝子治療の臨床研究を手がけてきた中内博士は、「造血幹細胞は寿命がきわめて長いので、そこに治療用の遺伝子を組み込めば、以後の治療は不要になる」と考えている。実際、北海道大学で行われたADA欠損症に対する臨床研究例では、造血幹細胞に遺伝子が導入され、以後、患者の男児は、元気な毎日を送っているという。また、昨年、ドイツでは、慢性肉芽腫症患者の造血幹細胞に遺伝子を導入することで、以後の治療を不要にすることに成功。今後は、さらに幅広い病気の治療に利用されることが期待されている。一方の血液分化誘導研究では、ES細胞あるいは造血幹細胞から血小板などの血液細胞を分化させ、分離・精製する実験を行っている。「血小板は核をもたないので免疫拒絶の問題もない。たとえ未分化なES細胞や造血幹細胞が混ざっていても、放射線を照射することで細胞を殺してから使用でき、安全性も高い。薬としての開発も可能だろう」とコメントする。

幹細胞はビジネスとしてなりたつのか?

世界的には、早くも幹細胞ビジネスの競争が激しさを増している。その先頭を行くのは、アメリカのジェロン社、シンガポールのESセル・インターナショナル社、イギリスやオーストラリアを拠点とするステムセル・サイエンス社などだといわれる。

なかでもジェロン社は、リーブ・アーバイン研究所のハンス・キアステッド博士らとともに幹細胞を用いた新薬を開発し、すでにFDAに対して治験の申請を行っている。ターゲットとされる疾患は、受傷後まもない脊髄損傷だといわれるが、ジェロン社に対しては、「時期尚早なのではないか」との批判も寄せられている。

対する日本でも、少しずつではあるが、実績を上げる企業が増えてきた。上田博士らの皮膚培養技術をもとにしたジャパン・ティッシュ・エンジニアリング社(愛知県蒲郡市)、同じく上田博士の歯牙再生技術をもとにしたオステオジェネシス社(神戸市)、中辻博士のES細胞培養技術や中内博士の造血幹細胞関連の技術をもとにしたリプロセル社(東京都)などのベンチャーだ。

図3:京都大学再生医科学研究所で樹立されたヒトES細胞株。 | 拡大する

提供:中辻憲夫博士

たとえば、リプロセル社では、特定の細胞のソーティング、ES細胞培養のための培地や解離液の販売、幹細胞に特異的な抗体の作製などを事業化している。中辻博士は「将来は、ES細胞と患者さんの細胞を融合させて初期化し、ES細胞を利用した新薬のスクリーニングや安全性を高める創薬関連事業を展開したい」と考えている。

規制も大きい再生医療への道

現在のところ、再生医療の実現に欠かせないヒトES細胞株樹立や基礎研究に対して、各国は独自の法規制を行っている。ただし、いずれの国も議論の中心は「倫理的に許されるのか」、「ES細胞株の供給源をどうするのか」という点にあり、一部に「ES細胞研究がクローン人間作りに結びつくのではないか」との警戒感もある。

ES細胞を治療に用いる場合、免疫学の観点からは、患者個人に対応したES細胞を用いるのが好ましい。しかし、現状で患者個別のES細胞を作るには、女性から提供された卵子から核を取り除き、そこに患者の体細胞を入れて「ヒトクローン胚」を作るしか方法がない。この点に関し、健康な女性にリスクを負わせて、卵子を提供してもらうことの是非や、治療目的のヒトクローン胚とはいえ、それを子宮に戻せばクローン人間が生まれてくる可能性があることが、問題視されているのだ。

ES細胞研究を先導するアメリカでは、大統領令により、2001年8月以降に樹立されたES細胞株を用いた実験と、新たなES細胞株の樹立には、国費が使えない。ただし、国費以外の資金で株を作るのは違法ではなく、治療を目的とするヒトクローン胚の作製の可否については、州の判断にまかされている。幹細胞研究全体の国家予算は年間550億円以上にのぼり、各州も独自に多くの予算を投じている。

イギリスでは、新たなES細胞株の樹立も、治療目的のヒトクローン胚の作製も、一定基準をみたせば合法とされている。国家予算は、年間80億円ほどだ。

日本はというと、新たなヒトES細胞株の樹立は合法とされるが、文部科学大臣の承認が必要となる。治療目的のヒトクローン胚の作製については、最近になって容認する方向で審議が始まったところだが、いつから作れるようになるのか全く未定だ。現在あるヒトES細胞株を臨床に使うことは禁止されている。

国家予算としては、文部科学省関連で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターに年間約52億円、「再生医療の実現化プロジェクト」として約11億円が投じられているほか、厚生労働省では「ヒトゲノム・再生等研究費」として約10億円が割かれている。そのほか、文部科学省や厚生労働省の科学研究費補助金などによる多くの個別研究が行われている。

こうした日本の状況に対し、「研究資金の額はともかく、指針の運用に大きな問題がある」とする声が大きい。「ヒトES細胞を用いた新たな研究を申請すると、承認が下りるまでに1年もかかる。そのような悠長なことでは国際競争に勝つどころか、大きく立ち遅れてしまう」。中辻博士も、そう指摘する。

幹細胞を用いた再生医療の実現には、幅広い疾患に応用可能で、多くの患者に供給できる汎用性のあるソースが必要だ。今のところ、そのようなソースとなりうる幹細胞は、ES細胞だけだろう。しかし、規制が厳しすぎると、研究は前に進まなくなる。

神経損傷や難治性がんなどの重篤な疾患から、歯や毛が抜けるといった万人に共通の悩みまで、幹細胞を用いた医療には、幅広い可能性が秘められている。夢物語だけで終わらせないためには、政府と国民がヒトES細胞をはじめとする幹細胞研究の現状について、正しく理解することが求められる。

西村尚子 サイエンスライター

参考文献

  1. Suzuki A, Nakauchi H and Taniguchi H: Glucagonlikepeptide-1 (1-37) converts intestinal epithelial cellsinto insulin-producing cells. Proc Nat Acad Sci USA 2003: 100 (9): 5034-5039.
  2. Kondo, T., & Raff, M. (2000). Oligodendrocyteprecursor cells reprogrammed to becomemultipotential CNS stem cells. Science 289, 1754-1757.
  3. Kondo, T., & Raff, M.C. (2004a). A role for Noggin inthe development of oligodendrocyte precursor cells. Dev. Biol. 267, 242-251.

「特集記事」一覧へ戻る

プライバシーマーク制度