植物の精子を足掛かりに生物の受精機構解明へ
2013年5月23日
早稲田大学 高等研究所
森 稔幸 助教
“雄しべの先端で作られた花粉は花の真ん中にある雌しべに受粉し、その後雌しべの基部に実ができる”。小学校高学年で習った被子植物の受精については、今、どのくらいまでわかってきているのだろうか(図1参照)。「植物受精の分子生物学は、かつてはほとんど進んでいなかった」と早稲田大学 高等研究所の森 稔幸助教は話す。

被子植物の受精研究が進みにくい理由は、雌雄の配偶子とも複雑な組織の中で成熟し、受精も胚嚢の中で密やかに行われるため、関係する細胞の単離が難しい上に試験管内での受精が再現しにくいことに尽きる。森助教は横浜市立大学在学中に、未解明の部分が多い植物の有性生殖機構に興味を持ち、田中一朗教授の教室に入った。被子植物の花粉は例外なく物理的・化学的に強固な外壁に覆われている。田中教授は、テッポウユリやチューリップといったユリ科の植物の花粉外壁を除去し、内部の生殖細胞(雄原細胞とも呼ばれる。精細胞の前駆細胞に相当)を単離する画期的な技術を当時すでに開発していた。「田中先生は“雄原細胞を集めて顕著な分子を調べれば、生殖に関する何かしらの因子が見つかるはず”と常々おっしゃっていた」と言う。
森助教は学部卒研生時代から、mRNAをランダムに増幅して遺伝子をスクリーニングするディファレンシャルディスプレイPCR法を主な手法とし、雄原細胞発現遺伝子の研究を続けてきた。そして博士課程在籍時に、雄原細胞で特異的に発現している新規遺伝子GCS1 (GENERATIVE CELL SPECIFIC 1:雄原細胞特異的遺伝子)を見つけることに成功した。GCS1は、花粉発生過程において雄原細胞形成後に発現が始まり、花粉成熟期に最も発現量が増えていた。その後、遺伝子構造を詳しく調べると、GCS1遺伝子は疎水性に富んだ領域を持つ膜貫通タンパク質をコードすることがわかった。また、GCS1タンパク質に特異的な抗体を調製して免疫学的な解析を行ったところ、GCS1はテッポウユリ雄原細胞の細胞膜に特異的に局在することが明らかとなった。受精は雌雄配偶子が細胞膜を起点として融合する現象であることから、GCS1の受精への関与が期待された。
GCS1の雄性配偶子発現は被子植物で共通であり、植物のバイオリソースとして最も一般的なシロイナズナの精細胞の細胞膜表面でも、GCS1発現が確認された。そこで、森助教はシロイヌナズナのGCS1ヘテロ接合変異株(+/gcs1株)を入手し、GCS1の機能に迫った。面白いことに、+/gcs1株では花粉の構造や花粉管伸長に全く異常がないにもかかわらず、花粉由来の理由によって種子形成が半分になっていた。+/gcs1株は全花粉の半数がGCS1変異を持つため、半減した種子数はGCS1変異による受精異常が原因として疑われる。では、受精行程のどの段階で異常が起きているのか、gcs1精細胞の挙動が次に注目された。+/gcs1株の精細胞をRFP(赤色蛍光タンパク質)で標識し、受粉後の様子を観察したところ、胚珠内で受精できない様子が頻繁に確認された。gcs1精細胞は卵細胞のそばまで来るが、全く融合できず、結果として種子形成が妨げられている(図2)。この成果は、植物の配偶子融合が確かに配偶子表面のタンパク質構造によって制御されていることを世界で初めて示したものであり、森助教らの論文は2006年の“Nature Cell Biology”に掲載された。

D:GCS1を正常に発現できないシロイヌナズナ変異体において精細胞核をRFP標識し、追跡した。その結果、GFP標識した卵細胞(ec)を目前に融合できない精細胞(sn)が検出された。 | 拡大する
「興味深いことに、発見当初でもGCS1は多くの原生生物種で保存されていることが分かっており、上記の論文中で、粘菌と藻類の受精時におけるGCS1発現は確認していた。さらに最近では、海綿動物、刺胞動物、節足動物でもGCS1のホモログが発見されており、GCS1は動植物・原生生物の共通祖先が太古の昔に確立した受精の分子機構であると考えられる」と森助教。
事実、GCS1はマラリア原虫にもあり、GCS1を壊したマラリア原虫の精子は卵に入り込めず、融合できなくなることが明らかになった。マラリア原虫の受精の場は、媒介蚊の体内である。ワクチンによって、受精因子をブロックする抗体がヒトの体内であらかじめ用意されていれば、原虫の受精を吸血後の蚊の体内で妨げられると考えられており、現在GCS1は有力なワクチン候補として注目されている。
もちろん、GCS1のさらなる機能解析をはじめ、卵細胞側の受け入れを担当する因子など受精に関係するさらなる遺伝子やタンパク質を見つけるのが、基礎生物学者である森助教の大きな目標。現在、受精がうまくいかなくなる植物変異体から、新たな受精関連遺伝子の候補が見つかっており研究を進めている。
「現行の分子生物学は網羅的なオーム解析が主流であるが、GCS1のような発現量が少ない因子はいまだに質量分析やDNAマイクロアレイでヒットしない場合が多い。それだけに研究は難しいが、オンリーワンのテーマで、人と違う研究をしたい」と森助教。早稲田大学高等研究所ではただひとりの分子細胞生物学の研究者であり、このたび平成25年度科学技術分野の文部科学大臣表彰を受賞した。被子植物を足掛かりに、動植物に共通な受精機構を研究する数少ない研究者として、今後の活躍が期待される。
小島あゆみ サイエンスライター