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研究ガバナンスや生命倫理の研究で、科学と社会をつなぐ

2010年3月25日

京都大学人文科学研究所
加藤 和人 准教授

総合科学技術会議 生命倫理専門調査会でのプレゼン資料より。 | 拡大する

ヒトゲノムや幹細胞の研究が進み、再生医療や創薬、遺伝子治療への夢が語られる一方で、プライバシーの保護や生命倫理への配慮など、生命科学は人間の生き方や社会のあり方に関わる問題と直面している。

生命科学の進展やその成果の社会への導入には、研究指針の作成や情報開示が欠かせないが、そのような研究のガバナンス(公共政策)自体の研究の歴史は、ようやく始まったところだ。

京都大学人文科学研究所の加藤和人准教授(同大学大学院生命科学研究科准教授兼任、同大学物質-細胞統合システム拠点連携准教授)は、日本ではまだ数少ない、研究ガバナンスや生命倫理の研究者のひとり。2002年からHUGO(Human Genome Organisation)の倫理委員会、2009年からは国際幹細胞学会(ISSCR :International Society for Stem Cell Research)の倫理・公共政策委員会などの国際的な研究コミュニティに所属し、研究を続けるとともに、研究指針の作成に関わっている。最近では、日本で整備されているゲノムワイド関連解析(Genome-Wide Association Study)のデータベースの共有方針の作成に携わった。

今、注力しているのが、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究ガバナンスの構築だ。

生きているヒトから体細胞を取って作製するiPS細胞は、個人の遺伝情報を持つために、研究にはプライバシーの保護が欠かせない。他方、細胞提供者の健康状態の情報は、疾患特異的iPS細胞の作製や移植の際などに必要になる。そのためにはiPS細胞と細胞提供者の情報との連結の仕組みを作らなければならない。さらには、研究が進んで病気との関連がわかった場合に細胞提供者にそれを伝えるのか、将来、動物への移植や生殖細胞の作成が行われるなら、細胞提供者の意思はどうなるか、インフォームド・コンセントはどのような範囲まで行うかなど、iPS細胞研究の行方にはさまざまな課題が想定される。

そこで、加藤准教授は、研究ガバナンス構築の第一歩として、海外の研究者と組んで、細胞提供者のプライバシーの保護、インフォームド・コンセントの方法、ヒト胚細胞からの樹立やヒトへの移植の是認、臨床試験への導入などの状況を日本、カナダ、英国、米国カリフォルニア州とISSCRなどで比較する研究を行い、研究成果を『Cell』や『Nature Methods』に共同で発表した。そこには、「iPS細胞研究がグローバルに進むなかで、国や地域による法律や政策の不必要なずれをなくし、調整できる部分は調整するほうが研究が進むに違いない」という思いがある。

iPS細胞に関しては、現在、厚生労働科学研究班が出した再生医療に応用する際の安全指針案をもとに、厚生労働省が安全指針を検討しているところだが、研究者の側でも研究ガバナンスが必要との声が上がり、幹細胞バンクの整備などを行う文部科学省の“再生医療の実現化プロジェクト”内にこのほど研究ガバナンスのための委員会が組織され、加藤准教授も加わった。

しっかりした研究ガバナンスを作るには時間がかかるため、ある時点では研究の進展の速度を落とすかもしれないが、早くから取り組むことによって研究のスタートを早められるし、将来的には研究がストップするようなトラブルを避けられる可能性がある。「欧米では、大型プロジェクトには、法学、政治学、倫理学、哲学、コミュニケーション、医療制度などの人文社会科学研究者などが加わった研究ガバナンスを扱うグループがあらかじめ設置されるのがふつう。例えば国際ハップマップ計画(2003~2005年)ではプロジェクト内にグループが設けられたし、2008年に始まった国際がんゲノムコンソーシアムでは正式なスタートの前にこのようなグループが組織され、スタート時には研究をすぐに始められるようにしていた」。米国科学アカデミーのように学会内にガイドライン策定組織を持つところもある。いずれも文系・理系の両方のバックグラウンドを持ち、調査研究や政策の立案・実施を担う人材のポジションがあるということだ。

一方の日本では、「大雑把にいえば、政府が有識者の意見を聞きながらガイドラインを策定し、それに研究者が従うというトップダウン型による研究ガバナンスが根付いている」と加藤准教授。トップダウン型には国内のすべての研究に同じガイドラインが適用されるという長所はあるが、柔軟性に欠け、研究現場の事情を反映しにくく、研究者自らが研究ガバナンスを考えようとしなくなる。「本来、研究ガバナンスは研究者自身に内在しているもの。研究コミュニティと人文社会科学研究者、市民・患者、企業などが協働し、ボトムアップ型で研究ガバナンスを決めていく仕組みを構築すべきではないか」と提案する(図)。

加藤准教授はもともと京都大学大学院理学研究科で動物の個体発生を研究し、1990年から英国ケンブリッジ大学でJohn Gurdon教授(2009年に山中伸弥・京大教授とともにラスカー賞を受賞)に師事、アフリカツメガエルの筋肉形成の研究に従事していた。英国の、やりたいことを深く考えてから実験する、合理的な研究の進め方、異分野との自然な交流を体験し、研究コミュニティが取り組む科学コミュニケーションの活動に接するうち、科学と社会の接点に関する研究をしたいという思いが強くなり、転身。帰国後は、JT生命誌研究館で雑誌の編集や展示の企画などに携わり、2001年、京大に新設された人文科学研究所・文化研究創成部門に移った。

主に生物学や生命科学のフィールドで生命倫理や科学コミュニケーションをテーマに研究を進める一方で、一般の人にヒトゲノムや幹細胞について情報を届ける活動も活発に行っている。2000年から始まった文部科学省科学研究費特定領域研究ゲノム4領域(旧特定領域)の活動のひとつとして、研究者自身が一般向けに最先端の研究を説明したり、参加者がDNAを取り出す実験をしたりする"ゲノムひろば"を開催したほか、"ヒトゲノムマップ"を作成、14万枚を配布し、インターネットからダウンロード できるようにしている。また、 "再生医療の実現化プロジェクト"の委託によって、一般向けのパンフレット『幹細胞ハンドブック からだの再生を担う細胞たち』を作成。この冊子は京都大学 物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センターのホームページ からダウンロードできる。

「研究コミュニティや一般の人たちの研究ガバナンスの必要性への理解が進んでいるように感じるし、一方で自分の伝え方もうまくなってきた(笑)」と加藤准教授。研究者と社会に寄り添い、研究成果の社会への導入を見据えて、研究の指針や方向性、情報開示の方法を検討する専門家へのニーズはこれからますます高まるに違いない。

小島あゆみ サイエンスライター

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