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アルツハイマー病を防ぐ遺伝子変異

アルツハイマー病患者は世界に約3000万人いる。2050年までにはその4倍に達すると予想されているが、現状、医師は有効な治療法を提供できないし、科学者もこの病気の基本メカニズムを解明できないでいる。

そんな状況の中で、朗報がもたらされた。このほど、アルツハイマー病の発症を自然に防いでくれる遺伝子変異を持つ、幸運な人々がいることがわかったのだ。この研究成果はNature 8月2日号に発表された1が、今回の発見の意義は2つある。第1は、これまで疑われていた現象が、実際にアルツハイマー病の根本原因であると特定されたことだ。そして第2は、多くの高齢者に見られる認知機能の低下が究極的に進行した結果として、アルツハイマー病が起こるらしいということだ。

“幸せの変異”は、アミロイドβ前駆体タンパク質(APP)を産生する遺伝子の中に存在していた。アルツハイマー病に対してプラスの効果を示す遺伝子変異としては、初めての例である。

APPは、25年前、遺伝性アルツハイマー病(中年期に発症するまれな疾患)の患者で発見された2-5。脳における役割は解明されていないものの、発見以来、アルツハイマー病の主要な原因ではないかと考えられてきた。

APPは、脳において、アミロイドβと呼ばれる小さな分子へと切断される。そして、患者の剖検脳でこのアミロイド斑(アミロイドβの塊)が観察されることが、アルツハイマー病の特徴である。しかし、アミロイド斑がこの疾患の直接の原因なのか、それとも、関連するほかの生化学的変化が原因なのか、長い間議論が続いてきた。今回の知見は、アミロイドβがアルツハイマー病の原因であるとする研究を支持するものだ。今回の発見を受け、アミロイドβは今後「主要な治療標的」になる、とマサチューセッツ総合病院(米国ボストン)の神経学者Rudolph Tanziは言う。彼は、25年前にAPP遺伝子を発見した4つの研究チームのうちの1つに属していた。

今回の研究を率いたデコード・ジェネティクス社(アイスランド・レイキャビク)の最高経営責任者Kári Stefánssonは、「アミロイド斑がアルツハイマー病の原因であることが確認されれば、脳細胞が破壊されるこの深刻な疾患に対して、治療あるいは予防をめざし、アミロイド斑の形成を抑制する薬剤の開発に拍車がかかるでしょう」と話す。

彼らの研究チームは、1795人のアイスランド人の全ゲノム配列を病歴と比較することで、この遺伝子変異を発見した。さらに研究チームは、約40万人以上のスカンジナビア人を対象に、この変異を調査した。

この変異は、アイスランド人の約0.5%、フィンランド人、スウェーデン人およびノルウェー人の0.2~0.5%にしか見られないが、たった1コピーを受け継ぐだけで、非常に大きな幸運がもたらされる。アイスランド人の場合、この変異を持つ人は、持たない人に比べて、アルツハイマー病と診断されることなく85歳を迎える可能性が、5倍以上にもなる。また、この変異を持つ人は長寿でもあり、半数以上が85歳の誕生日を祝うことができる。

この変異は、ほとんどの高齢者が経験する軽度の精神機能障害にブレーキをかけているようだ。この変異を持つ人は、記憶障害などの認知機能の低下が生じることなく85歳を迎えることができる可能性が、変異を持たない人の約7.5倍も高い。

Stefánssonは、アルツハイマー病と認知機能の低下は、いずれもアミロイド斑の形成によって生じると考えている。つまり、アルツハイマー病を発症しない高齢者というのは、アミロイド斑の形成の程度が低いだけで、「病理学者は、アルツハイマー病と正常な加齢に伴う変化は、かなりの部分が共通しているのではないかと考えています」と指摘する。「この変異と同様の効果を薬剤で実現することができれば、認知機能の低下を遅らせたり、アルツハイマー病を防いだりできると思います」。

通常、APPはβ-セクレターゼ1(BACE1)という酵素により、小さなアミロイドβ断片に切断される。Stefánssonの研究チームは、今回発見した変異が、BACE1によるAPPの切断部位に隣接するアミノ酸の1つを変化させることを見いだした。このアミノ酸の変化ゆえに、APPはBACE1によって切断されなくなっていたのだ。

ただし、「BACE1を阻害してアルツハイマー病を治療する」という考え方は新しいものではない。製薬会社は10年以上もの間、「BACE阻害剤」の開発に取り組んでおり、現在、臨床試験中の薬剤もいくつかある。Stefánssonたちの研究が示唆しているのは、BACEによるAPPの切断の阻害が、実際にアルツハイマー病を予防する可能性があるということだ、とパスツール研究所(フランス・リール)の疫学者Philippe Amouyelは言う。さらに、カーディフ大学(英国)のアルツハイマー病専門の遺伝学者Julie Williamsは、この研究からアミロイドβの関与が強く示唆されることは認めるが、「治療という点からはまだ、アミロイドβが標的にすべき唯一の因子であるとは言い切れません」と付け加える。

今回、Stefánssonの研究チームは、全ゲノム配列解読により、非常にまれな変異を見つけ、そしてその変異が、一般的な疾患の理解の手がかりになることを見事に証明した。Stefánssonは、ヒトの個人差は疾患リスクのようなものも含め、大部分はありふれた遺伝子変異によって決定されると主張する。それぞれの遺伝子変異は、疾患を発症する確率をわずかに上げたり下げたりするだけ、という訳だ。

一方、まれな変異は、ヒトの疾患リスクに強く影響を及ぼしている印象があるが、その影響は一部の患者に限定される。Stefánssonは、「まれな変異からは、疾患について多くの情報が得られる訳ではなく、疾患の発症機構のカギとなる知識が得られるのでしょう」と話す。彼らのチームは、まれな遺伝子変異が、卵巣がんや痛風など、ほかの疾患のリスクに及ぼす影響について、研究成果をまもなく発表する予定だ。「今後も一般疾患のリスクに影響を与えるまれな遺伝子変異はたくさん見つかるでしょう」。

翻訳:三谷祐貴子、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121010

原文

Gene mutation defends against Alzheimer’s disease
  • Nature (2012-07-12) | DOI: 10.1038/487153a
  • Ewen Callaway

参考文献

  1. Jonsson, T. et al. Nature 488, 96-99 (2012).
  2. Kang, J. et al. Nature 325, 733-736 (1987).
  3. Goldgaber, D., Lerman, M. I., McBride, O. W., Saffiotti, U. & Gajdusek, D. C. Science 235, 877-880 (1987).
  4. Robakis, N. K., Ramakrishna, N., Wolfe, G. & Wisniewski, H. M. Proc. Natl Acad. Sci. USA 84, 4190-4194 (1987).
  5. Tanzi, R. E. et al. Science 235, 880-884 (1987).