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研究を妨げる企業ライセンス

Etienne Jolyがのどから手が出るほど欲しがっているマウス胚は、ケンブリッジ(米国マサチューセッツ州)の冷凍庫のどこかに秘蔵されている。

トゥールーズ(フランス)の免疫学者であるJolyは、レット症候群に強い関心を持っている。この病気は、消耗(衰弱)性の不治の病で、患者のほとんどは女児だ。ノバルティス・バイオメディカル研究所(米国ケンブリッジ)の研究チームが開発したこのマウスは、レット症候群で変異している遺伝子が蛍光で標識されている。Jolyによれば、それは、レット症候群に関してJolyが持っているアイディアを試すのに完璧なツールなのだという。しかし、複雑に絡み合った法的な制約のために、そのマウスはノバルティス社外の人間の手には届かないようになっている。その縛りは、同社の研究者がレット症候群の研究でそのモデルを使用しなくなっても続くのだ。

その規制に対する手紙書きキャンペーンを開始したJolyは、「研究者と家族が求めているのは、この疾患を調べて、理解を深めようとする権利です。そこにツールがあることがわかっているのに、それを手にすることはできないと法律家に言われて、怒らないはずがないでしょう」と話す。知的財産権問題に詳しい専門家や科学者は、これについて、やっかいな許諾規則が研究材料の分譲を支配するために、いかに科学が阻害されるかを示す具体例だ、と指摘する。

レット症候群の女児は、出生時は健康だが、成長するにつれて、正常に話し、動き、食べ、呼吸する能力を失っていく。この疾患は症例が少なく、女児1万~2万人に1人しか発症しないため、製薬会社にとって魅力的なターゲットではない。しかし、大学の研究チームがこの無風状態に風穴をあけ、MECP2遺伝子の異常がレット症候群の原因であることが1999年に発見されて、現在では治療法の臨床試験が行われるなど、急速な進展を見せている。

しかし、その変異がどのように疾患を引き起こすのか、まだ明らかではない。薬理学・構造生物学研究所で研究を進めているJolyは、数年前、自ら「やや新しい」と考えるアイデアを思いついた。それは、レット症候群の遺伝子が中枢神経系の免疫反応を調節する役割を担っているのではないか、というものだ。この仮説を検証するには、その遺伝子が発現している場所を追跡できる動物モデルが必要だった。

2008年、Jolyは問題の遺伝子組み換えマウスの存在を知った。分子生物学者のCecile Blausteinを中心とするノバルティス社の研究チームが、マウスのMecp2遺伝子のコピーに増強型緑色蛍光タンパク質(EGFP)を作る遺伝子のコピーをつなぎ、この遺伝子の活性を脳全体および全身で追跡できるマウスを作り出したのだ(R. S. Schmid et al. Neuroreport 19, 393–398; 2008)。

しかし、3年間がんばったものの、Jolyもほかのレット症候群研究者も、そのマウスを手にすることができていない。分譲を願い出ると、Blausteinやその同僚は、ぜひともお分けしたいのだが、GEヘルスケア社から得たEGFPに関するノバルティス社のライセンス条件のためにそれができない、と答えるのだった。

ノバルティス・バイオメディカル研究所のスポークスマンであるJeff Lockwoodによれば、ノバルティス社がそのマウスに関する研究プロジェクトを終了しているにもかかわらず、そのマウスを分譲する方法について両社は協議することができていないのだという。

レット症候群研究トラスト(米国コネティカット州トランバル)の常任理事であるMonica Coenraadsが、そのマウスの分譲契約を取りまとめようと動いた。その過程で、GE社とノバルティス社は、米国立衛生研究所(NIH;米国メリーランド州ベセスダ)に対し、変異マウス地域資源センターを通してそのマウスを配給するよう要請した。しかし、同資源センターに出資しているNIH国立研究資源センターで技術移転を担当する上席顧問のLili Portillaは、「GEが分譲に関してあまりにもやっかいな条件を課していたために、NIHは最終的に手を引いたのです」と説明する。Portillaによれば、例えば、研究者が成果をNIHと共有することが認められていないのだという。

GE社のスポークスマンであるConor McKechnieは、EGFPタンパク質の権利をGE社に提供した「第三者」がめんどうな許諾要件を課したからだと非難する。しかし、世界中の研究者にマウスを提供しているジャクソン研究所(米国メーン州バーハーバー)の専属弁護士であるDavid Einhornは、GE社の主張に首をかしげる。EGFP遺伝子を組み込んだマウスモデルはほかにも多く作製され、GE社からも、EGFPを最初に発見して特許を取得した研究所からも、問題なく分譲されているからだ。

資源の分譲をめぐっては、何十年にもわたってトラブルが起こっており、事態は年々悪化しているように見える。例えば2007年の研究では、研究材料に関して大学からほかの大学研究機関に出された要請の、18%が応じられていないことが明らかにされている(右図参照)。これは、1990年代の調査の2倍近くになる。産業界へとなると、大学からの要請の3分の1が断られている(J. P. Walsh, W. M. Cohen and C. Cho Res. Pol. 36, 1184–1203; 2007)。

アルバータ大学公衆衛生学部(カナダ・エドモントン)の法律家であるTania Bubelaは、自社の資源の分譲を望まない企業は、それについて論文を出さないのが普通だ、と語る。発表することによって事態が変わってしまうからだ。「発表すると、他者が結果を再現できるようにするために、データや材料を公開しなければならなくなるのです」。

解決の糸口が見いだせないなか、そのマウスモデルの再作製に打って出る研究所が現れた。エディンバラ大学ウェルカムトラスト細胞生物学センター(英国)所長のAdrian Birdによれば、同研究所ではすでにそのマウスが再作製されており、コロニーが十分に成長したらすぐに、ジャクソン研究所などのリポジトリーを介して配給する予定だという。

Birdをはじめ多くの人は、レット症候群に関する研究の遅れが余儀なくされ、すでに使えるようになっているはずのモデルをコストをかけて作り直さなければならないのは、まさに不幸なことだと話す。

「この病気で苦しんでいる人の家族に聞けば、1分でも惜しいと答えるでしょう」とBirdは言う。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110524

原文

Licence rules hinder work on rare disease
  • Nature (2011-02-17) | DOI: 10.1038/470318a
  • Erika Check Hayden