Editorial

ヒトゲノム解読から10年 ー お楽しみはこれから

当時、ビル・クリントン米国大統領は、ヒトゲノム塩基配列の解読結果を「人類が作り出した最も重要かつ驚くべき内容の地図」と呼び、トニー・ブレア英国首相は、「人類はフロンティアを越え、新しい時代を迎えた」と語った。また、英国科学大臣デイビッド・セインズベリーは、「医学に期待していたことすべてに実現可能性が生まれた」と話した。Nature 2001年2月15日号に掲載された「ヒトゲノムの初解読と解析」という全62ページの論文を読むと、世界が興奮に包まれた理由がわかる。

しかし、やや興奮しすぎていた面があったかもしれない。Natureの編集者Henry Geeは、当時の新聞に寄稿し、2099年までに「我々は、ゲノミクスによって、生物全体を原形をとどめないほどに変えて、我々のニーズと好みに合わせることができ、……人間の姿も考えられる限りの形状に変化させられるようになるだろう。望んだ数の手足を持ち、飛ぶための翼も持てるかもしれない」と予測した。

Nature論文の筆頭著者だったブロード研究所(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)のEric Lander所長は、Nature 2011年2月10日号の187ページで、「ヒトゲノムには、情熱を駆り立て、行き過ぎを誘発する傾向が確かにあった」と認め、10年を経た今でもこのパターンが続いており、「10周年に関する新聞のトップ記事は、ほとんどの疾患を治癒できていないことに対して、ゲノム科学者をたしなめる論調になっている」と記している。

2001年に発表された塩基配列は、医療改善をめざした行程の一里塚であり、目的地ではない。国際的なヒトゲノムプロジェクトとCelera Genomics社(現・米国カリフォルニア州アラメダ)がそれぞれ解読したゲノム塩基配列がNatureScienceに発表されてから10周年を迎えたことも、また新たな一里塚であり、これまでの進歩を振り返るよい機会である。

この10年間に、明らかにいくつかの変化があった。Nature 2001年2月15日号の社説では、ゲノム塩基配列に寄せる科学的・医学的期待ではなく、営利を追求するゲノミクス企業が収集した情報の一般公開という課題を議論した。その後、公的部門と民間部門の手法の違いをめぐる厳しい対立はなくなり、今や、懸念はプライバシーの問題へと焦点が移っている。

「医学の進歩は10年前に期待されたほど速くなかったのか」という点に関連して、米国立ヒトゲノム研究所(メリーランド州ベセスダ)のEric GreenとMark Guyerが、ゲノム医療の見通しについて、最新の見解を示している。「大きな変化が急速に起こることは珍しい。ゲノミクスによってすでに改良され始めた診断法と治療法の数は少なく、医療の有効性が大幅に改善されるという期待が現実的になるまでには、まだ何年も必要」であって、そのためには研究だけでは不十分で、国際的な取組みや新たな政策も必要だ、と述べている。

ヒトゲノムの塩基配列決定は、科学にとっての勝利だったが、いろいろな意味で、技術にとっての勝利でもあった。関係する技術は、この10年間に発展を続け、ワシントン大学ゲノムセンター(米国ミズーリ州セントルイス)のElaine Mardisは、198ページ以下の論文で、「配列決定技術の注目すべき爆発」と表現している。

大量並行塩基配列決定法を用いると、「これまでにない速さと分解能で」疑問点を調べて、答えを出すことができ、「塩基配列決定技術の継続的な進歩により、医療における診断法と治療法の改善をめざした臨床応用が可能になっている」とMardisは言う。有益な実例の1つが、全ゲノム関連解析の手法の開発で、これによって一部のありふれた疾患の根底にある遺伝的状況を調べられるようになった。

10年以上前、ヒトゲノムプロジェクトに参加したウェルカムトラスト(英国)の当時の理事長Michael Dexterは、ヒトゲノム塩基配列について、月面着陸や車輪の発明よりも重要な人類史上の卓越した成果、という位置付けをした。現在のところ、そのような歴史を書き残すことは時期尚早であろう。真の成功とするには、より大きな成果を上げられるような環境作りも必要だ。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110532

原文

Best is yet to come
  • Nature (2011-02-10) | DOI: 10.1038/470140a