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線虫の「匂いの好み」に フェロモンが関与していた (飯野 雄一)

––Natureダイジェスト:線虫とはどのような生き物なのでしょう?

飯野:線虫(C. elegans)は、土壌中で生活するありふれた動物です。細胞が全部で959個しかなく、体が透明なので、発生や分化の様子を肉眼で観察することができます。どの細胞がどのように分化していくかという細胞の系譜がすべて明らかにされており、とくに神経系は、そのつながりまでわかっています。また1998年には、全ゲノムが完全に解読されました。発生学、神経科学、遺伝学など、さまざまな分野の研究者が線虫を使って研究を進めています。

––一貫して走性や学習について研究されていますね。

線虫で匂い物質を受容する感覚神経(緑色部分)。

野生の線虫は、無機塩類の濃度や有機化合物の匂い、温度、浸透圧などを手がかりにして、餌となるバクテリアを探したり、病原性細菌などの危険物から回避したりしています。このような、手がかりに引き寄せられたり、逆に回避したりすることを「走性」といいます。走性を利用すると、ある特定の手がかりと条件とを組み合わせて学習(連合学習)させることができます。例えば、線虫は塩化ナトリウム(以下、塩)を好む性質を持ちます。「塩があるところには餌もある」と生得的に知っているものと解釈できます。ところが、飢餓状態にして「塩はあるが餌はない状態」にすると、線虫はその経験を記憶することで、食塩に引き寄せられなくなります。

塩などの水溶性の無機塩類は味物質といえますが、今回は「ベンズアルデヒド」という匂い物質を用いた研究を行いました。ベンズアルデヒドは揮発性の低分子有機化合物で、アーモンドのような匂いがします。自然環境中では腐った果実や木の実などに含まれており、塩と同じように、線虫には生得的に「この匂いがあるところには餌がある」とプログラムされていますが、いったん餌にありつけない経験をすると、この匂いに引き寄せられなくなります。

線虫の感覚神経は体の前方の先端部にあり、そこで無機塩類や有機化合物などを受容します。ベンズアルデヒドはAWCというただ一つの神経細胞が受容していることがわかっており、行動との関係を検討しやすいと考えました。

嗅覚可塑性の仕組みを追う

––具体的にどのような実験をされたのでしょう?

これまで好んでいた匂いを嫌いになることを「嗅覚可塑性」といいます。今回は第一段階として、嗅覚可塑性を発揮できない変異体を使って、嗅覚可塑性の仕組みを検討しました。この変異体は餌(大腸菌)のない状態でベンズアルデヒドを受容させても、ベンズアルデヒドを嫌いになりません。この変異体解析によってまず、NEP-2(ネプリライシン-2)という遺伝子を同定し、さらにNEP-2を手がかりにしてSNET-1(スネット1)という遺伝子を同定しました1

前者のNEP-2は、存在は知られていたものの、まだ名前の付いていない遺伝子でした。塩基配列を元にデータベースで調べると、哺乳類に広く見られるネプリライシンに似ていることがわかりました。ヒトのネプリライシンは腎臓や神経などの細胞膜に存在し、鎮痛の情報伝達を担うエンケファリンや、痛みの情報伝達を担うサブスタンスPなどのペプチドを分解するペプチダーゼであることがわかっています。最近になって、ネプリライシンがアルツハイマー病患者の脳にたまるアミロイドβを分解することがわかり、創薬ターゲットとしても注目されています。

線虫には、すでにほかの研究者によってNEP-1と名付けられたネプリライシン様の遺伝子があったので、私たちの遺伝子にはNEP-2と名付けました。そして、NEP-2もなんらかのペプチドを分解しているのだろうと予測し、「NEP-2変異体では、そのペプチドを分解できず嗅覚可塑性が異常になるだろう」と考えました。そこで次段階として、NEP-2により分解されるペプチドを突き止めることにしました。データベースには、情報伝達を担うペプチドが100個ほど記載されていたので、野生型の線虫を用いて、それらのペプチドの機能を1つずつ促進したり、抑制したりしてみました。ところが、嗅覚可塑性が異常になる個体は現れませんでした。

そこで、「おそらく、線虫のゲノム上には未知のペプチドがあるのだろう」と考え直し、NEP-2の変異体にさらに変異源を用いて、二重変異体を作ってみました。もし、NEP-2変異体の嗅覚可塑性の異常が何らかのペプチドのたまり過ぎによるものだとすると、さらなる変異によってそのペプチドがたまらなくなった個体を作れば、行動は正常に戻るだろうと考えたのです。実験の結果、みかけ上の行動が正常に見える二重変異体が得られました。解析してみると、この変異体は、SNET-1というホルモン様のペプチドを作り出せない個体だったのです1

SNET-1とフェロモンとの関係

––SNET-1の同定が、フェロモンとの関連解明につながったようですね。

はい、SNET-1の発現が、フェロモンの濃度に左右されていることを明らかにできました。SNET-1の発現部位を調べたところ、ある神経細胞に発現することがわかったのですが、その神経細胞にはフェロモンの受容体も発現していました。このことから、SNET-1とフェロモンとが関連していると考え、さらなる解析を進めたところ、まさにそのとおりだったのです。

フェロモンは同種の個体間でのさまざまなコミュニケーションに使われる物質で、体内でごく微量が作り出されています。線虫では主に5種のフェロモンが知られており、その生息環境中での個体数を把握するために使われています。個体数が多すぎる場合(つまり、フェロモン濃度が高い場合)には、各個体が周囲に拡散したり、「耐性幼虫」という餌を食べない状態に変態したりして生き伸びようとします。そのほか、雄が交尾のために雌(雌雄同体)を探すためのシグナルとしてもフェロモンが使われます。

フェロモンを作れない変異体で嗅覚可塑性を調べたところ、個体数の多少に関わらず、嗅覚可塑性を発揮できないことがわかりました。そして、この変異体に合成フェロモンを加えると嗅覚可塑性が発揮されることもわかりました。これらの結果から「フェロモン濃度が高いとSNET-1の発現が抑えられるのではないか」と予想し、検証を試みたところ、そのとおりであることがわかりました1

明らかになったことを整理すると、以下のようになります。フェロモンを受容する神経細胞では、フェロモンがあるとSNET-1の発現が抑制され、フェロモンがないとSNET-1の発現が促進されます。SNET-1が発現している場合には、一部のSNET-1がNEP-2によって分解されるのみで、SNET-1の適度なバランスが保たれています。SNET-1には「匂いを好きなままに保つ機能」がありますが、フェロモンが多いとSNET-1が抑制されるために、匂いの経験に依存してその匂いを好まなくなります。結果として、嗅覚可塑性が発揮されることになるわけです。

こうして、NEP-2、SNET-1、フェロモンの3つの要素がつながり、「匂いの好みが、フェロモンによって制御されている」ということを世界で初めて示すことができました。実は、今回の成果を得るかなり以前から、線虫の密度によって、嗅覚可塑性の実験がうまくいったりいかなかったりすることに気付いていたのですが、その理由についてきちんと納得することができました。

––どのような点が評価されたと思いますか?

生態学では、個体数が多いときにはあちこちに散らばった方が種の生存に有利だとする「個体群密度依存拡散」という概念があります。この概念を、線虫の分子と行動を結びつけて示せた点が大きいと思います。

今後は、SNET-1がどのように作用しているのかなど、より詳細な解析を進め、1つの行動について、関連する分子や受容体、遺伝子ネットワークなどを、すべて明らかにできるとよいと思っています。

––ありがとうございました。

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110326

参考文献

  1. Yamada, K., et al. Science 329:1647-1650 (2010).