Editorial

統合失調症との戦い

ある一部の人には、自分自身の脳内過程のみで作り上げられた声が聞こえる。この幻聴から、「誰かが自分を陥れようとしている」とか「他人に危害を加えろと強く迫られている」といった妄想状態が持続し、その妄想に従って行動するようになると、マスコミが大きく取り上げるような悲劇が起こることがある。その際、近い関係者が巻き添えになるのが通例だ。

暴力は統合失調症の症状ではなく、統合失調症患者が殺人犯となる事例はきわめて少ない。しかし、統合失調症に関するマスコミ報道は、こうした事件がほとんどだ。実際の統合失調症はかなり複雑で、幻覚はいくつかの症状の1つにすぎない。このほか、認知機能障害、意欲喪失、社会との交わりの喪失といった症状がみられる。薬物療法の効果はかなり低く、患者の生活能力が大きく損なわれることが多い。症状は通常、成人期初期になって初めて顕在化するが、それが統合失調症の後期段階であることや、統合失調症自体が単独の疾患ではなく、複数の症候群の集積である可能性について、近年、解明が進んでいる。

統合失調症に対する不当な汚名や研究の進展を考慮し、Natureは2010年11月11日号で、統合失調症研究の現状を調べ、先天的要因や環境的要因のからみあった複雑な状況下での研究の見通しについて考察した。表紙や関連論文・記事に付した共通ロゴの画像には、米国ニューヨークに本拠を置く慈善団体NARSADが収集した統合失調症患者による芸術作品の1つを採用した。NARSADは、多額の寄付金を集めて、精神医学研究に資金提供している。この画像には、混乱と歪んだ現実が映し出されているが、「二重人格」のイメージはない。「二重人格」が統合失調症の症状であることを示す根拠はなく、誤解を生む「schizophrenic」という言葉の比ゆ的用法にもつながるため、関係者は「二重人格」の永久廃棄を求めている。

世界人口の0.5~1%にあたる人々が、統合失調症を経験する。罹患率の最も高い精神疾患は臨床的うつ病(単極性障害)だが、世界保健機関やその他の機関の分析では、統合失調症の社会コストが過度に高いことが示されている。また、数件の知名度の高い悲劇的事例のため、統合失調症はおそらく最も大きな汚名を着せられてきた精神疾患である(同号163ページ参照)。

世の中には統合失調症が病気と認知されない社会もある。症状に対する反応や患者が受ける支援の度合いは、文化に大きく依存している。統合失調症が病気と認知され、治療が行われている地域では、医療における課題がいくつも生じている。妄想症状を治療する薬は数十年間にわたって使用され、多くの患者を救ってきた。しかし、薬の有効性に進歩がなく、メーカー数社が製造から撤退した(同号158ページ参照)。認知療法と行動療法はいずれも進歩したが、一貫性のある研究が行われておらず、正当な優先順位が与えられていない(同号165ページ参照)。また現在進められている臨床診断法の開発では、統合失調症の定義自体に議論がある(同号168ページ参照)。

診断と科学に関する重要課題の1つは、生物学的、行動的、認知的解析の全手段を駆使して、統合失調症の初期段階を識別することだ。統合失調症は、ほとんどの疾患と同様に、早期診断ができれば、病気の影響を弱め、治癒する可能性が高まる。また最近の研究では、統合失調症の最初期に「リスクの高い」症状を診断できる可能性が明らかにされ、他の研究も含めて、思春期の脳の発達と行動に関する研究が重大なテーマとなっている(同号154187ページ参照)。より一般的には、脳の形態と回路(同号194ページ参照)の研究、そして遺伝要因と環境要因の相互作用に関する研究(同号203ページ参照)が大きく進展する見通しとなっている。

この10年間で、基礎的な科学研究、臨床研究、社会調査が精神医学に非常に大きな影響を与える可能性がある(Nature 2010年1月7日号9ページ参照)。統合失調症患者は、新たな診断法や治療法を頼りにしている。科学の急速な進歩は、統合失調症の圧倒的な複雑性を白日のもとにさらしたが、その一方で、患者に大きな希望を与え、研究者に新たな道筋を示している。研究資金を提供する機関や団体は、この点に留意すべきである。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110232

原文

Combating schizophrenia
  • Nature (2010-11-11) | DOI: 10.1038/468133a