Editorial

資金配分が少なすぎる脳疾患研究

病気と闘うための研究予算は、国民が受ける苦しみに比例した形で決めるべきであろう。苦しみの負荷が多ければ多く、少なければ少なく、である。しかし、現実には大きな乖離がある。例えば途上国では、さまざまな病気による国民負担は莫大なのに、そうした病気に取り組む研究リソースは、資金の面でも人の面でもわずかである。

もう1つ、大きな落差が存在していることが、今回わかった。それが人間の脳の神経・精神疾患である。この病気は多大な負担が生じているのに、その解明や治療のための研究資金が非常に少ないのだ。ほとんどの場合、脳疾患(神経疾患と精神疾患の両方)による負担は、心血管疾患やがんのような早過ぎる死としてではなく、患者と介護者への生活負担としてのしかかってくる。そのため、こうした負担を定量化するのが簡単ではないのだ。

このほど、脳科学者と統計学者のグループが、ヨーロッパ30か国における脳疾患の負荷を定量化した結果を発表したが、このような現実を考えれば、こうしたデータは特に貴重だ。今回の研究では、前回の研究結果を踏まえて、評価対象とする疾患数を増やし、文献の解析を行い、国内の専門家の助言を得て、新しい傾向を検証した。その結果、まず、控えめに見積もっても、年間平均およそ1億6500万人(30か国の総人口の38%)が進展期の精神疾患にかかっていることが明らかになった(H. U. Wittchen et al. Eur. Neuropsychopharmacol. 21, 655-679; 2011)。

この統計の衝撃は、有病率だけではない。脳疾患は、国民の健康に対する最大の負荷であり、男性の障害調整生存年(DALY)の23.4%、女性のDALYの30.1%を占めることが示されたのだ。DALYは疾病負荷を測る尺度で、心身障害と早世で失われた損失を人–年で表したもの。

アルコール使用障害(アルコール依存症)は、男性が女性よりもかなり多く、特に東欧で顕著に見られる。一方、認知症と単極性うつ病の男女比は、いずれもおよそ1対2で女性のほうが多い。この男女差の理由はわかっていないが、女性のうつ病は、特に妊娠可能年齢において発生すると考えられている。研究対象となった30か国での大うつ病の患者数は3000万人で、人間の病気の中で最も負荷が大きいものとなった。

朗報は、アルコール依存症以外の神経・精神疾患の有病率が過去5年間増えていない点だ。一方で、問題点もはっきりしてきた。例えば、精神疾患を持つ人は、2人に1人しか医師の診察を受けていないこと、わずか10%しか「理論上適切な」治療を受けていないこと、それも最初の診察からかなりの時間が経っていることなどが明らかになった。

冒頭で述べた病気と研究資金の関係からいえば、明らかに優先順位を見直すべきである。ヨーロッパにおける脳疾患研究予算は、がん、情報技術、農業などと比べると、かなり少ない(go.nature.com/hr2jqp参照)。基礎研究としての神経科学から応用としての心理療法まで、すべての分野で多額の資金を必要としているのが、脳疾患研究の現状なのだ。

ここには、もっと微妙なメッセージも込められている。研究の目標とすべきなのは、今後、高齢者罹患率が増えるのが確実視されるアルツハイマー病のような脳疾患だけではない。若者の脳の健康と病気の研究も必要だということだ。多くの精神疾患は、20歳までに現れたり、進行が始まったりする。こうした活発な神経の発生が続いている健康な青少年の脳の研究は遅れている。青少年期における、治療や予防目的の心理療法、薬剤による介入についても、議論と研究を進める必要がある。

これには倫理的な問題も伴う。例えば、将来的に精神疾患を発症する確率が高いというレッテルを、一部の人々に貼ってしまう危険性がある。また、薬物への過度の依存も怖い。

しかし、解明すべきテーマは、きわめて興味深く、また科学の課題としても高度なものだ。青少年の脳内で、神経回路はどのように発達するのだろうか。環境的要因と先天的要因は、どのように組み合わさって、その発達を阻害するのだろうか。今回明らかにされた事実は、こうした研究の緊急性と重要性を改めて強調している。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 12

DOI: 10.1038/ndigest.2011.111233

原文

Brain burdens
  • Nature (2011-09-08) | DOI: 10.1038/477132a