Editorial

EUの新イノベーション創出戦略

政治の世界で1週間は長い。これは英国のハロルド・ウィルソン元首相の有名な言葉だ。しかし欧州連合(EU)の政治では、10年でさえ非常に短く感じられることがある。その一例は、EU加盟国の首脳が2000年にリスボン(ポルトガル)で調印した、経済成長と福祉増進のための10か年戦略計画(リスボン戦略)だ。ここで中心的な役割を担ったのが「研究」だった。

ヨーロッパは、それぞれの言語と習慣をもった27の個別国家の集合体だ。EUの3機関(EU理事会、欧州議会、欧州委員会)は、ヨーロッパの科学者は1つの領域として機能することが必要だという認識に立って、「欧州研究圏」の創設に合意した。年金や各国で交付される研究助成金の国外への移動に対する障壁を取り除き、科学者の移動の自由化を図るのが目標だ。また、EU全域で有効な単一の特許という構想を支持し、2010年までに国内総生産の3%を研究開発に支出するという目標にも合意した。

ところが10年という歳月は、目標の達成にとって十分ではなかった。各国政府が、目標達成に必要な主権の委譲に抵抗したからだ。例えば、欧州特許制度は、使用言語の数を限定する条約に基づいて、特許取得費用を相応なレベルに抑えている。しかし、今でも、数か国が、すべての文書を自国の言語に翻訳するよう制度化を強く求めている。また、国内の特許事務所の収入源を守ろうとしている国々もある。欧州研究圏の創設に必要な年金などの分野については、法制度の改正がほとんど進んでいない。しかも、ほとんどの国々が、公的研究支出の相当な増額を達成しておらず、民間部門での研究投資奨励策も実施されていない。

それでも幸いなことに、欧州委員会が10月6日に採択した今後10年間の研究関連戦略では、上述した基本的目標の1つ1つを堅持する姿勢が示された。この新戦略は「イノベーション連合」とよばれ、リスボン戦略に代わる経済成長戦略として去る3月に提案された「欧州2020」に示された構想(イニシアチブ)の1つだ(Nature 2010年3月11日号142ページ参照)。12月16日に開催される加盟国の首脳会議では、これに関した討議がなされることになっている。

欧州委員会が、リスボン戦略に示された研究関連の諸目標を堅持したことは正しい。これらの目標が達成されるまで、ヨーロッパは競争力をもちえないからだ。また、国境を越えたリスク・キャピタルの提供(リスクの高い案件に対する投資)という、大いに必要だが、ヨーロッパにほとんど存在しない業務を行う欧州投資銀行の役割を重視する点も正しい。

その一方で、あまり説得力のないのが、「イノベーション・パートナーシップ」という新提案だ。これは、イノベーションの連鎖に関与する人々、つまり研究者、メーカー、消費者代表に至るまで、関係者全員の協力関係を作り出して、大きな社会問題に取り組むことを目的とした構想であり、一見緻密な構想のようにみえる。高齢化社会、気候変動、食料安全保障といった「大きな挑戦課題」に焦点をしぼることになっており、欧州委員会は、最初の課題を「健康な老い(加齢)」に決めた。

この手法に見覚えがあるとすれば、似たような多数のプロジェクトが既に実施されているからだろう。例えば、「ジョイント・プログラミング」では、各国の公的資金による研究活動が欧州委員会とは無関係に調整されることになっている。また、官民の研究連携の構築をめざす「ジョイント・テクノロジー・イニシアティブ」には、欧州委員会も資金を提供している。そして欧州工科大学院では、「知識・イノベーションコミュニティー」という別の姿で、官民連携プロプラムが実施されている。ところがこうした取り組みは、いずれも成功の域に達したとはいえない。

「健康な老い」をテーマとした新構想は、EUの市民が健康に生きられる平均年齢を2020年までに2年延ばすという極めて野心的な目標を掲げている。称賛に値する単純明快な目標だが、果たして、全体的な戦略はこれで正しいのだろうか。欧州研究圏の創設こそが、真に重要な目標課題である。それまでは新しい制度を増やさずに、既存のイニシアチブの効果を高める努力を払うのが、最良の方策ではないのだろうか。法制度の問題が解決され、リスク・キャピタルの提供メカニズムが導入されれば、イノベーションは、無理に作り出そうとしなくても、自然に生まれてくるはずだ。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110132

原文

The innovation game
  • Nature (2010-10-28) | DOI: 10.1038/4671005a