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ヒトゲノム合成計画から目標を変更したGP-write

Credit: Eetum/iStock / Getty Images Plus/Getty

約200人の科学者が参加する、全世界的な官民パートナーシップによる「ゲノム合成国際コンソーシアム(GP-write)」の主導者らは、2018年5月1日、米国マサチューセッツ州ボストンでの会合において、その当初の目標を変更し、技術的に達成可能な短期目標へと引き下げることを発表した。30億塩基対のDNAからなるヒトゲノム全体の合成という大胆な計画は今後、ウイルス感染に抵抗性を持つ細胞の作出を目指したゲノムの書き換えを試みる。

目標規模を縮小したとはいえ、新たな目標も、すぐに達成するのは難しいかもしれない。発足から2年たつが、いまだに特定の財源が確保できていないのだ。同コンソーシアムの目標達成には、数億ドルとはいかないまでも、数千万ドルが必要であり、完了までに10年以上かかると見積もられている。

「GP-writeは、支援を得やすいコミュニティー規模のプロジェクトを持つことが重要だと考えました」と、GP-writeの代表の1人で、ニューヨーク大学(米国)の酵母遺伝学者Jef Boekeは言う。GP-writeが始動した2016年の時点では、「ウイルス抵抗性ヒト細胞株の作製」も、全ヒトゲノム合成のための技術開発を目指す試験的プロジェクトの1つとして挙がっていた1。Boekeやハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のゲノム科学者George Churchと共にGP-writeの共同代表を務めるNancy Kelleyによれば、今再びこの細胞株に注目したのは、資金調達がより容易だと判断したためだという。彼女は生物工学に詳しい法律家だ。

会合の参加者はおおむね、この目標の変更を承認している。「素晴らしい考えだと思います」と話すのは、スイス連邦工科大学チューリッヒ校の合成生物学者Martin Fusseneggerだ。「DNA合成そのものを目的とするのではなく、より実用や応用に適した目標を設定したのですから」と彼は付け加える。

ウイルス抵抗性ヒト細胞株が実現すれば、企業はウイルス混入のリスクを負うことなく、ワクチンや抗体などのバイオ医薬品を製造できる。また、ヒトの体内で作られたタンパク質と同じように化学的修飾が施されたタンパク質製剤の製造にも役立つだろう。このような製剤は、体内の免疫系により排除されるリスクが軽減される。しかし、それでもなお、GP-writeの主導者たちの主たる目標はDNA技術の改良にあり、特定の製品を作ることではない。

「狙いは、遺伝子編集や合成のさまざまな手法を用いて、非常に迅速かつ容易にゲノム合成を行う技術を開発することです」と話すのは、コロンビア大学医療センター(米国ニューヨーク)の合成生物学者で、GP-write科学執行委員の1人であるHarris Wangだ。そうした技術を前進させる上で、「この『超安全(ultra-safe)な』ヒト細胞株作製計画は、設計の複雑さや困難さなどさまざまな側面について、適切なレベル設定だと言えます」とWang。

ともあれ、GP-writeが難航している大きな理由の1つは、このプロジェクト専用の財源があまり豊かでないことだ。先の会合で、遺伝子編集技術を持つある企業は技術的な専門知識を提供すると表明したが、財政的援助を申し出た企業はなかった。

Churchは、このコンソーシアムには「関連財源」として5億ドル(約550億円)以上の資金があると見積もる。だがそこには、例えば遺伝子改変細菌や小型器官様構造といった、彼自身の合成生物学プロジェクトに対して割り当てられた4000万ドル(約44億円)も計上されている。また、Boekeが主導する酵母ゲノム合成の国際イニシアチブに割り当てられた2340万ドル(約26億円)も勘定に入れている。どちらもGP-writeの数年前に始まったプロジェクトだ(8月号31ページ「酵母ゲノムシャッフリングがもたらす多様な未来」参照)。

関連財源の中で最大の割合を占めているのは、加盟はしているがそれほど熱心でないバイオテクノロジー企業から調達した投資資金だ。Churchがそれを関連財源に含めた理由は、こうした企業が資金を提供したからではなく、この業界全体の成長性にある。Churchは現在、彼の言うところの「ゲノム合成を取り巻くエコシステムの市場サマリー」を見積もっているところだ。

そうした理由からChurchは、彼が共同設立した新規企業eGenesis社(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)と、彼が資金援助をしているTwist Bioscience社(米国カリフォルニア州サンフランシスコ)、そして彼が支援していたベンチャー企業Gen9社を2017年に買収した合成生物学企業Ginkgo Bioworks社(米国マサチューセッツ州ボストン)から提供された資金の総額数億ドルを、関連財源に計上している。ただし、eGenesis社とTwist社の上層部はGP-writeに積極的だが、Ginkgo社の首脳陣はそうでない。「我々はGP-writeには全く関与していません。我が社が資金提供リストに載っているのを見て、とても驚いています」と、同社のクリエイティブ・ディレクターChristina Agapakisは言う。

これに対しChurchは、自身の概算の正当性を主張する。「もし、既存の資金や未分類の資金だけでGP-writeの目標を達成できれば、それは素晴らしいことでしょう。Ginkgo社のような企業との関係は、そうした正式な連携とは別のものです」。

コンソーシアムがこの「超安全なヒト細胞株作製計画」に対する財源を確保できた暁には、GP-writeはChurchの研究室が成功させた大腸菌での実験2,3、すなわち、大腸菌ゲノムを書き換えてウイルス耐性を持たせる実験をヒト細胞に適用する研究に取り組むことを計画している。Churchらは以前2、大腸菌の持つ全321カ所のUAG(終止コドンの1つ)をUAA(同じく終止コドン)に書き換え、その細胞のゲノムからUAGを読み取るために必要な終結因子(RF)1をコードする遺伝子を削除した。こうして再設計された大腸菌は、それ自体の生存や増殖に大きな影響は見られなかったが、ウイルスの侵入を無効化することができた。このコドンは自然界のあらゆる生物と同様にウイルスにとっても必須であり、ウイルスがこの大腸菌に侵入しても、自身のタンパク質の組み立てができないのだ。

ただ、この書き換え技術をヒトゲノムに適用することは容易ではないだろう。たった1種類のコドンを置き換えるだけとはいえ、2万個あるヒト遺伝子の全てでそれを行うには、数十万カ所のDNA置換が必要だ。1文字ずつ編集するよりもむしろ、まとまった大きさのゲノム断片を合成する方が容易かもしれない。

Churchの研究チームは、その後の研究3で、大腸菌ゲノムにおいて7種類のコドンを合成生物学の手法を用いて書き換えた。この研究では、15万カ所近くを遺伝的に変化させる必要があり、さらにDNA断片をつなぎ合わせる過程でも、設計には予期せぬ制約と難しさがあることが分かった。こうした問題は、ゲノムを再構築した大腸菌を生存させる上での障害にもなる。

「超安全なヒト細胞株プロジェクトが開始すれば、その難しさが明らかになってくるでしょう」と語るのはChurchの研究室の博士研究員で、この研究を主導するNili Ostrovだ。「ヒト細胞には、我々がまだ知らない設計ルールがたくさんあるでしょうから」。

翻訳:山崎泰豊

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180813

原文

Scientists downsize bold plan to make human genome from scratch
  • Nature (2018-05-03) | DOI: 10.1038/d41586-018-05043-x
  • Elie Dolgin

参考文献

  1. Boeke, J.D. et al. Science 353, 126–127 (2016).
  2. Lajoie, M.J. et al. Science 342, 357–360 (2013).
  3. Ostrov, N. et al. Science 353, 819–822 (2016).