Japanese Author

脳のアルツハイマー病変を血液で検出可能に!

Aβが重合して塊を作ると、神経細胞を傷害する。 Credit: JUAN GAERTNER/SPL/Getty

–– アルツハイマー病の病態研究を一貫して続けていらっしゃいます。

柳澤: はい、約30年にわたり研究を続けています。元は神経内科医でしたが、私の外来を受診されたアルツハイマー病の患者さんに何もできなかったことが、研究を始める動機になりました。アルツハイマー病の患者さんは、外見が正常で普通に会話ができる方も多いのですが、少し前のことを思い出せなかったり、生活の中の手順や段取りがうまくできなくなったりします。一方で、幻聴や幻視などを伴うことは少なく、他の認知症とは異なります。

先行研究により、アルツハイマー病はアミロイドβ(以下、Aβ)というタンパク質が発症の20年以上前から脳に蓄積し始め、発症に至るまでに神経細胞やその周囲でさまざまな異常が生じることが報告されています(図1)。ところが、最も重要な「Aβは健康な人の脳でも産生されて血中にも存在するのに、なぜ一部の人の脳にだけ蓄積するのか。それも、認知機能に関わる脳の領域に蓄積するのか」という点が解明されていません。

図1 アルツハイマー病の自然経過
アルツハイマー病は、Aβが脳内に蓄積し始めてから約20年を経て発症する。初めは軽度の認知障害のみだが、時間とともに症状が進行し、やがて日常生活に支障を来すようになる。 Credit: Giovanni, B. F. et al. Nature Reviews Neurology 6, 67–77 (2010)より改編

–– Aβはどのようなタンパク質なのでしょうか?

柳澤: アミロイド前駆体タンパク質(amyloid precursor protein; APP)から切り出された、約40個のアミノ酸からなる小さなタンパク質です。APPは膜を貫通するタンパク質で、一部が細胞外に顔を出しています。APPがどのような機能を担っているかはよく分かっていませんが、段階的に特定の2カ所が切断され、その断片としてAβが産生されます。

私は、APPは何らかの情報伝達を担う分子だろうと考えています。情報を受け取ると2段階の切断を受け、何らかの情報を細胞に送っているのかもしれません。というのは、このような仕組みで情報伝達を担うタンパク質が他にも知られているからです。つまりAβは、APPが機能を果たした後に産生される副産物といえるように思います。

–– Aβが脳に蓄積すると、なぜ問題なのでしょうか?

柳澤: Aβは1984年に頭蓋内の血管から単離され、これをきっかけに研究が大きく動き出しました。その後、「Aβこそがアルツハイマー病の原因物質だ」とされて創薬のターゲットにもなったのですが、既にお話ししたようにAβは健康な方の脳でも産生されていますので、存在自体が悪いわけではありません。問題は、重合して異常な塊を作り、毒性を発揮する点にあります。

アルツハイマー病の患者さんの脳では、Aβの異常な塊を中心とする「老人斑」という構造物が観察されます。繰り返しになりますが、APPから切り出されたばかりのAβは無害ですが、塊を作ると神経細胞を傷害し、脱落させてしまいます。これまで私は、脳内でAβの分子構造が変化し、それが引き金となって重合することがアルツハイマー病発症のカギだと考え、研究を進めてきました。やや専門的になりますが、これまでに、Aβが神経細胞の膜上で糖脂質(GM1)と結合して構造変化を伴ったGAβという複合体を形成すること、このGAβが連続的なAβの重合を誘導することを突き止めています1,2

–– 今回は血中のマーカー探索の成果です。

柳澤: 今回の成果は、約5年前に、島津製作所シニアフェローの田中耕一先生より共同研究のお声掛けを頂いて始めたものです。田中先生は2010年より最先端研究開発支援プログラム(FIRST)においてアルツハイマー病の研究を進めていて、私のところにアルツハイマー病の血液マーカーの開発で相談にみえたのです。

それまで私は、アルツハイマー病の血液マーカーの開発は極めて難しいと考えていました。脳脊髄液内でAβを測定することは可能ですが、高齢者の背骨の間に針を刺して採取するのは、外来で簡単に行うような検査ではありません。また、放射性同位体を用いたPET(陽電子放出断層撮影)検査でも脳内Aβ蓄積を推定することは可能ですが、1回に数十万円もかかるために汎用は不可能です。誰もが「血液で調べられればよい」と考え、既に各国でマーカー探索が進められていましたが、成功例はありません。今回の論文の共著者でもあるコリン・マスターズ先生も、オーストラリアで大規模な研究を行いましたが、2013年に「脳のAβ蓄積量を血液で正しく推測することはできない」と報告しています3

うまくいかない理由は、いくつも考えられます。例えば、脳のAβが血液脳関門を通過して血中に入る過程や、血中でタンパク分解される過程に個人差があることや、血中のさまざまなタンパク質や脂質がノイズとなって検出を困難にしていることが考えられます。実は、今回の成果に至る一連の共同研究は田中先生の熱意によるところも大きく、まずは予備的な解析から始めることにしたのです。すると、当初の予想を上回る結果が得られ、2014年に1本目の論文を発表することができました4(図2)。今回は、研究をさらに進め、検証試験を行いました5

図2 免疫沈降法と質量分析器による解析(IP–MS)法の特徴 Credit: 株式会社 島津製作所

–– 検証試験とはどのようなものでしょうか?

柳澤: 60〜90歳の男女373人を対象に、APPから切り出されたAβやAβ関連ペプチドの量を、高精度の質量分析法で調べました。幸い、私たちのセンターにはPET装置があるので、脳内Aβ蓄積量をかなり正確に評価できます。血液の解析には、抗体を使ってAβとAβ関連ペプチドを沈降させた上で、田中先生が開発された質量分析法 (マトリックス支援レーザー脱離イオン化法;MALDI-TOF MS)を用いました。

解析ポイントは大きく2つあります。1つは、臨床的にアルツハイマー病を発症しているかどうかではなく、PETによる脳内のAβ蓄積量との相関を指標にした点。もう1つは、田中先生が開発を手掛け、2002年にノーベル化学賞を受賞されたMALDI-TOF MSの高い技術を活用した点です。この技術により、多数のAβ関連物質を正しく検出でき、それがマーカー発見につながりました。

–– どのような解析結果が得られたのでしょうか?

柳澤: APPから切り出されたAβは、N末端側から数えていくつのアミノ酸が連なっているかを数字で表すのが慣例となっています。例えば、老人斑の主要成分である42アミノ酸のAβは「Aβ1-42」、これよりもC末端側が2アミノ酸短いAβだと「Aβ1-40」となります。また2014年までの研究で新たに見つけていた、Aβ1-42よりもN末端側に3アミノ酸長く、C末端側に2アミノ酸短いペプチド「APP669-711」にも注目しました(図3)。

図3 APPの構造と、AβやAβ関連ペプチドのアミノ酸配列
AβはAPPが2カ所で切断された副産物として産出される。アルツハイマー病で見られる老人斑を構成するのは、Aβ1-40やAPP669-711よりもC末端が2アミノ酸長い、Aβ1-42が重合したもので、他のAβは重合能を持たない5

これらの個々のペプチドの質量分析上のピークが、脳内Aβ蓄積量と強く相関するという結果は得られなかったのですが、島津製作所の金子直樹研究員が「Aβ1-42とAPP669-711の相対比」に強い相関のあることに気付きました。脳内Aβ蓄積が陰性の人では、APP669-711よりもAβ1-42のピークが高いのですが、陽性の人ではAβ1-42が低くなっていたのです(図4)。2014年にはこの「APP669-711とAβ1-42の比率(APP669-711/Aβ1-42)」こそが、脳内Aβ蓄積量を推定するために使える新たなバイオマーカー候補であることを発表し、今回はさらに検証を進め、その確かさを証明できました。

図4 MALDI-TOF MSで得られたAβおよびAβ関連ペプチドの質量スペクトル
AはPET法によりAβの脳内蓄積が陰性であるとされた被験者。Bは陽性の被験者。縦軸は存在量の相対比を表す。陰性者ではAPP669-711よりもAβ1-42のピークが高いが、陽性者ではAβ1-42の方が低く、両者の存在比が脳内Aβ蓄積量と相関した。 Credit: 出典: Kaneko, N. et al. Proc. Jpn. Acad., Ser. B, Phys. Biol. Sci. 90, 353–364 (2014).

Aβ重合のカギはC末端が握っており、Aβ1-40やAPP669-711よりも2アミノ酸長いAβ1-42だけが高い重合能を示します。健常な脳内ではAβ1-42の重合は起こりませんので、何らかの誘導因子が必要なのだと考えられます。私の関心もそこにあります。

–– すぐに健康診断などでも使えるようになるのでしょうか?

柳澤: その質問を多く受けますが、答えはノーです。現時点では、Aβの脳内蓄積が分かっても、さらなる蓄積を防ぐ方法や、発症を防ぐ治療薬や予防薬が開発されていないからです。健康診断などで使われるのは、あくまでも有効な予防法や治療薬が確立してからのことになります。

ただし、現時点でも治療薬開発には活用いただけると思います。臨床試験に参加いただく方の脳内Aβ蓄積程度を正しく評価することで、臨床試験の精度を大きく高めることができます。これまで開発に失敗したとされるアルツハイマー病治療薬の中に、Aβ蓄積の初期段階から服用すれば効くものがあるかもしれませんし、そのような検証を行う際に役に立つと思います。さらに田中先生からは、今回のような「物質の存在比」を利用する手法が、がんや循環器疾患などの診断、予後判定、創薬研究などに使えるかもしれないとお聞きしています。

–– 今回の手法は、誰にでもできる解析なのでしょうか?

柳澤: 試料の前処理やMALDI-TOF MS装置の厳密な調整が、重要なカギとなります。従って、現時点では「誰にでもできる」とはいえませんが、すでに島津製作所では、前処理の自動化に向けた検討がなされており、私も今後の展開に期待しています。

–– 実用化を見据えた研究成果をNatureに投稿された理由とは?

柳澤: Natureは基礎研究の専門誌というイメージが強いのですが、私は個人的に、最近のNatureがアルツハイマー病をはじめとした重要な疾患についての臨床開発の成果を意図的に扱っている印象を持っています。

今回、Natureで発表したことで、医学界のみならず、あらゆる領域の研究者が目にされ、大変ありがたいことに共同研究のお申し出や貴重なご助言をたくさん頂いています。例えば、ネット上にあるアルツハイマー病プラットフォームで私たちの論文が紹介され、「次にやるべきことの提案」なども頂きました。今後それらを検討したいと考えています。

–– ありがとうございました。

聞き手は、西村尚子(サイエンスライター)

Author Profile

柳澤 勝彦(やなざわ・かつひこ)

国立長寿医療研究センター研究所所長
1980年新潟大学医学部医学科卒業。2005年に国立長寿医療研究センター研究所副所長に就任。2010年、国立長寿医療研究センター認知症先進医療開発センターセンター長(併任)を経て、2015年より現職。一貫して、アルツハイマー病の発症機構やアミロイドßタンパク質の脳内重合開始機構に関する研究を進めている。

柳澤 勝彦氏

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180424

参考文献

  1. Yanagisawa, K. et al. Nature Medicine 1, 1062–1066 (1995).
  2. Hayashi H. et al. J Neurosci. 24, 4894–4902 (2004).
  3. Rembach, A. et al. Alzheimers Dement. 10, 53–61 (2014).
  4. Kaneko, N. et al. Proc. Jpn. Acad., Ser. B, Phys. Biol. Sci. 90, 353–364 (2014).
  5. Nakamura, A. et al. Nature 554, 249–254 (2018).