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深海の美しき怪物「魚竜」

多くの魚竜は、高速で泳ぐ獲物を捕らえるために、鋭い円錐状の歯を持っていた。 Credit: SINCLAIR STAMMERS/SPL/GETTY

Valentin Fischerは、恐竜や絶滅哺乳類の化石の研究にずっと憧れていた。ところが大学院生になった彼を待ち受けていたのは、恐竜でも化石哺乳類でもない、「魚竜」と呼ばれる太古の海生爬虫類の骨の仕分け作業だった。魚竜は、当時の古生物学者にはほとんど見向きもされておらず、Fischerが夢見ていたものではなかった。現在、リエージュ大学(ベルギー)で主任研究員としてチームを率いるFischerは、当時をこう振り返る。「『えー、魚竜なんてつまらない』と言ったのを覚えています。魚竜はどれも同じに見えましたからね。尖った吻と大きな眼、そればかりなのです」。

だが、Fischerはそんな気持ちを脇に置き、指示されたとおり、フランスの地方の研究所に保管されていた化石を入念に調べ始めた。プラスチック箱に収められた数々の標本の中に、地中に埋もれていた間にアリや木の根によって損傷を受けたと見られる、1つの不完全な頭蓋骨化石があった。クリーニングを終えてこの標本を調べたFischerは、それが新種の魚竜のものであるかもしれないことに気づいたという。

こうした発見が積み重なるにつれ、Fischerは次第に魚竜に夢中になっていった。彼がこれまでに同僚たちと発見した新種の魚竜類は、細くて鋭い歯を持つマグロサイズのものから1、メカジキのような細長い吻を持つシャチほどの大きさのものまで2、いずれも驚くような形態や特徴を有する7種に上る。

魚竜は、恐竜が陸上を闊歩していた時代に、約1億5000万年間にわたって海の生態系の頂点に君臨した爬虫類の一群だ(「海の怪物」参照)。実は古生物学界では今、魚竜類への関心が長い低迷期間を経て再燃しており、Fischerはそうした魚竜研究の「復活劇」の一翼を担う存在といえる。

「海の怪物」PDF

魚竜への新たな関心の高まりは、数多くの発見をもたらした。カリフォルニア大学デービス校(米国)の古脊椎動物学者、藻谷亮介(もたに・りょうすけ)によると、2000年までの約200年間に発見された魚竜類とその近縁種は80種程度だが、その後のわずか17年間で新たに報告されたものは20~30種にもなるという。また、魚竜類に関する論文の数も近年急増している。

1980年代に魚竜研究を始めた、ニューヨーク州立大学ブロックポート校(米国)のJudy Massareは、「魚竜を研究する人の数はずいぶん増えました。現在は、私が知る中では最多です」と言う。

魚竜研究が盛んになったことで、その起源や進化の過程、繁栄への道のりなど、数々の重要な疑問への答えが出始めている。例えば、魚竜類はこれまで考えられていたよりもはるかに多様で、沿岸域でウナギのように身をくねらせて泳いでいた初期のものから、強靭な尾を振って外洋を泳ぎ回る巨大なものまで、実にさまざまな種類がいたことが明らかになった。「外洋性の魚竜は、クジラのようにどこへでも行くことができました」と藻谷は説明する。最大級の魚竜類の中には、体長がシロナガスクジラに匹敵するものもおり、三畳紀の海において最大の捕食者だった。

一連の研究からは、魚竜の物語の最終章も明らかになりつつある。魚竜類は、恐竜の絶滅よりも約3000万年早い、後期白亜紀に絶滅したとされているが、その一因はこの時代の極端な環境変化にあったとする説が登場したのだ。この説は、魚竜の名誉を挽回するものといえる。というのも、以前の説では、敏捷なサメなどのより優れた捕食者の登場により魚竜はその地位を奪われて絶滅に追いやられた、と示唆されていたからだ。

古生物学者が魚竜に注目する理由はもう1つある。それは、魚竜類の化石記録には、遠い祖先である陸生の爬虫類が進化の過程で遂げた劇的な変化の数々がはっきりと残っているからだと、エディンバラ大学(英国)の古脊椎動物学者Stephen Brusatteは説明する。「彼らは水中で生きるために、体と生態と行動の全てを徹底的に作り変えたのです」。

勘違いからの出発

「恐竜」という言葉さえまだ存在していなかった19世紀初頭、化石が多く採れることで有名な英国南部の町ライムレジスの海岸で、ある奇妙な骨格が見つかった。発見したのは、家計を助けるために化石を採集して売っていた、まだ13歳にも満たないメアリー・アニング(Mary Anning)と兄のジョセフ(Joseph)である(メアリーは後に有名な化石採集者になった)。この骨格は23ポンドという当時ではかなりの高額で買い取られ、後に化石収集家の手に渡ってロンドンで展示された。そして1814年、この骨格を調べた英国の外科医エバラード・ホーム(Everard Home)によって、魚竜に関する最初の科学論文が発表される3。ホームの論文では、この化石は「サメやエイとは全く違う種類の魚類」と記載されていたが、この標本を見た博物学者たちは、すぐにそれが爬虫類だと気づいた。間もなく、この生物はギリシャ語で「魚類に似た爬虫類」を意味する「イクチオサウルス(魚竜)」と名付けられた。

当時の博物学の大御所たちは、誰もがこの海の怪物に驚嘆したという。古脊椎動物学の父とも称されるフランスのジョルジュ・キュヴィエ(Georges Cuvier)は、魚竜を「信じられない生物」と呼び、地球では何度か大量絶滅が起きているとする自説の裏付けになるとした。また、英国の地質学者チャールズ・ライエル(Charles Lyell)は、地球の気候は周期的に変動しているため、適した気候にさえなれば魚竜類が再び出現する可能性もあると示唆した。

ところがその後、今度は巨大な陸生動物の化石が相次いで発見された。それらの顎の骨の多くには、見るからに恐ろしい歯が並んでいて、いかにも獰猛そうだった。「恐竜」と名付けられたこの動物群は、たちまち一般大衆と科学者の両方を魅了した。これによって魚竜は「栄光の座から蹴落とされたのです」とFischerは言う。こうして、魚竜類の化石は研究されることなく博物館の保管庫に山積みにされ、その物語は未完のまま放置されることになった。

それから百数十年、近年の魚竜研究の再興によって、今ようやく物語の欠けた部分が埋まりつつある。特に、その起源に関する発見は著しい。陸生の爬虫類を完全に水生のものへと作り変えるには、解剖学的構造の徹底的な変化が必要だった。例えば、腕は縮んで手は大きくなり、泳ぎに適した鰭脚ができた。また、長い間息を止める能力を獲得し、最長で20分も潜っていられるようになった。さらに、深海の暗闇でもよく見えるように、多くの種が巨大な眼を進化させた。中には、サッカーボールより大きい眼を持つ種もいたという。

研究者たちは、これらの変化が起きたのは、海生生物種の80%を死滅させたペルム紀末の大量絶滅事象4とほぼ同時期ではないかと考えている。しかし、この移行を十分に説明できるような化石標本は長く存在せず、それらが発見されたのはほんの数年前のことだった。

魚竜の物語の序章を明らかにするのに役立ったのは、藻谷が「最も奇怪な」初期の魚竜類と表現する、中国南部の石灰石採石場で見つかった1体の化石標本だった5。頭はオレンジほどの大きさしかなく、胴体には平らで幅広の肋骨が見られることから、この標本には「硬い胴体と小さな頭蓋骨」を意味する「スクレロコルムス・パルウィケプス(Sclerocormus parviceps)」という学名が与えられた。この化石の年代は2億4800万年前と推定され、これはペルム紀末の大量絶滅のわずか400万年後にすでに初期の魚竜類が存在していたことを意味している。藻谷らはまた、近くの採石場からほぼ同じ年代の別の原始的な魚竜類の化石も発見している6。その特徴から「短い吻と柔軟な手首」を意味する「カルトリンクス・レンティカルプス(Cartorhynchus lenticarpus)」と名付けられたこの初期の魚竜類は、体長がニジマスほどで、ウミガメさながらに大きな鰭脚を使って陸上をはい回っていた可能性があるという。

スクレロコルムスもカルトリンクスも、後に出現する「魚類に似た形態をした魚竜」の直接の祖先ではない。それでもこれらの発見は「魚竜がどこから来たか解明するための大きな一歩」だと、シュツットガルト州立自然史博物館(ドイツ)の古生物学者Erin Maxwellは言う。例えば、これらの化石標本は、最初の魚竜類が現在の中国南東部に当たる地域で出現したことを示している。ここは、当時の地球上では数少ない、陸上の植物が繁茂していた場所の1つだった。植物が枯れて腐敗すると近海の栄養分が豊かになったと考えられることから、「たまたまこの海岸付近に住んでいた動物が、シーフードに興味を持つようになったのでしょう」と藻谷は推測する。

カルトリンクスには陸上を動き回るのに適した鰭脚があったことから、藻谷は、この魚竜類の近い祖先は陸生または少なくとも水陸両生だったに違いないと考えた。だとすれば、カルトリンクスは、全ての魚竜類の祖先に当たる陸生爬虫類または水陸両生爬虫類の近縁種ということになる。彼はまた、スクレロコルムスやカルトリンクスに見られる太くて重い骨格を、これらが海底で生活していた証拠だと解釈した。陸から海に生活の場を移した他の動物には海底に生息する種を経たものがいた、と藻谷は言う。一連の発見について彼は、「魚竜が水中生活に適応するのに体の重い移行期を経たことを示す証拠です。初期の魚竜類はおそらく、海底で餌を採っていたのでしょう」と説明する。

他の研究者たちも、中国で見つかったこれらの化石が、陸から海へと足を踏み入れた「新参者」が完全な海生生物へと変身を遂げる過程を解明するための貴重な手掛かりになると考えている。Brusatteは藻谷らの成果について、「最近発見された爬虫類の化石の中でも特に興味深いものです。これらを通して、陸生の爬虫類が半水生になり、やがて魚のような生物へと変化するのに何が必要だったかを垣間見ることができます」と称賛する。

こうした原始的な種とは見た目の大きく異なる、長い吻と上下に湾曲した尾を持つ「典型的」な魚竜は、前期三畳紀に出現し、その後間もなくして海洋という新たな環境を手中に収めた。近年の数々の発見からは、カルトリンクスと同時期またはその直後に多様な魚竜類が出現していたことが明らかになっている。

例えば、「爬虫類を食べる海の支配者」を意味する「タラットアルコン・サウロファギス(Thalattoarchon saurophagis)」と名付けられた、シャチほどの大きさの魚竜は、1997年に米国ネバダ州で化石の一部が発見された後、2008年になってようやく全体が発掘された7。この化石標本の記載に協力した、ボン大学(ドイツ)およびロサンゼルス郡立自然史博物館(米国)に所属する古脊椎動物学者Martin Sanderは、鋭く特徴的な形状をした歯は、この魚竜が、魚類や他の魚竜類を捕食する「肉食性の大型捕食者」だったことを示していると説明する。ペルム紀末の大量絶滅からわずか800万年後の中期三畳紀前期の海を支配していたタラットアルコンは、「基本的に、何でも食べたいものを食べていた」だろうとSanderは言う。

外洋性の魚竜類ステノプテリギウス(Stenopterygius quadriscissus)の化石標本。周囲の黒い痕跡は保存された皮膚の輪郭である。 Credit: FIELD MUSEUM LIBRARY/GETTY

一方、北極圏の北に位置するノルウェーのスピッツベルゲン諸島では、永久凍土層の下から三畳紀のごく初期のものと思われる大型の原始的な魚竜類の化石が発見されている。これらの化石標本については、まだ研究途中で詳細は明らかになっていないが、スピッツベルゲン中生代研究チームのメンバーであるアラスカ大学フェアバンクス校(米国)の古生物学者Patrick Druckenmillerは、この魚竜類について「ひとたび水中に入れば、何でもやりたい放題だったでしょう」と言う。この時代の海に大型の捕食者が存在していたことは、ペルム紀末の大量絶滅によって大打撃を受けたにもかかわらず、それから間もない海が、新たに出現した多種多様な大きさや生態の生物種ですでに満たされていたことを示唆している。

最初の爆発的な進化の後、魚竜類はいくつかの困難な時期を経験した。後期三畳紀には、陸や海の生物の大部分を消滅させた1回または複数回の大量絶滅の際に、多くの魚竜種が絶滅した。

そして、魚竜の物語はここから複雑になる。古生物学者たちはずっと以前から、魚竜類の生物多様性はジュラ紀に大きく損なわれ、その後二度と回復することはなかったと考えてきた。化石記録は、外見も生態もよく似たほんの数種のみが1億4500万年前のジュラ紀−白亜紀境界をどうにか超えられたことを示しており、やがて白亜紀の中頃に全ての魚竜類が絶滅したとされた。魚竜の種数が少なく多様性が欠如していたために、サメやその他の新興の海生捕食者たちに対抗するすべを得られなかったのではないか、というのが導き出された絶滅の理由だった。恐竜はその後も3000万年にわたって繁栄を遂げたが、後期白亜紀の隕石衝突により絶滅した。

しかし、ここ数年の発見によって、こうしたジュラ紀以降の物語に疑問が投げ掛けられている。新たに発見された化石の数々は、白亜紀に、これまで考えられていたよりはるかに多くの魚竜種が繁栄していたことを示しており、その形態も食べていた餌も多様だったことが明らかになったのである。

魚竜類の評判が上がったのは、Fischerの研究によるところが大きい。彼の仕事場は、汗まみれの発掘現場ではなく、静まりかえった博物館だ。「実を言うと、化石を探すのが本当に下手で、私がこれまでに見つけた魚竜の化石は、脊椎の骨1個だけなのです」と彼は打ち明ける。しかし、彼が博物館で調査した数百点の標本(中には1世紀もの間、放置されていたものもあった)からは、白亜紀に生きた魚竜の新種が大量に見つかっている。ほんの10年余りで、Fischerらや他のグループが新種として報告した白亜紀の魚竜は、少なくとも9種に上る。

Fischerらは、前期白亜紀の既知の魚竜種の数は、ジュラ紀に匹敵するくらい多かったのではないかと推測している。後期三畳紀に出現して後期白亜紀まで存続した唯一の魚竜類である小骨盤類(parvipelvia)の形態の多様性が、前期白亜紀でピークに達していたことが明らかになったのだ8。Fischerと共に複数の論文を執筆しているサウサンプトン大学(英国)の古脊椎動物学者Darren Naishは、「魚竜類の多様性は、白亜紀には特に、私たちが考えていた以上に高かったのです」と言う。彼はそれを「白亜紀の魚竜革命」と呼ぶ。

Fischerの分析によると、魚竜類はその後、2つの段階を経て絶滅したという。まず、後期白亜紀に入った約1億年前にそれまで高く保たれていた多様性が急激に低下し、次いで、その500万~600万年後に残ったわずかな種が姿を消した。その原因を解明するため、当時の環境要因に目を向けたFischerは、気候と魚竜の絶滅との間に相関関係があることに気づいた。気温の変動が大きくなるほど、減少する魚竜の種数も多くなっていたのである。

他の研究者たちも、気候変動が魚竜の絶滅に大きく寄与した可能性を支持する。「これまでのどの仮説よりはるかに優れていると思います。気候変動による絶滅のリスクは、現生の大型捕食者がまさに今、直面している問題ですから」とMaxwellは言う。

後期白亜紀の初頭、海では酸素濃度の急激な低下に起因すると考えられる「海洋無酸素事変」と呼ばれる現象が繰り返し起きており、魚竜が姿を消したのは、こうした大規模な環境擾乱と同時期だったという。こうした段階的な絶滅は、他にも小型プランクトンやアンモナイトなどでも見られた一方で、サメやエイ、初期のモササウルス類(魚竜とはまた別の海生爬虫類)など多くの動物群が、この時期に劇的な放散を経て繁栄を遂げていた。これらを考慮すると、魚竜の段階的な絶滅は、「より重大な事象の、ほんの一面にすぎない」のかもしれないとFischerは言う。彼は今、白亜紀の海の捕食者の中に、魚竜と同じ運命をたどったものがいたかどうか調べている。

だが、Fischerの結論は万人に受け入れられているわけではない。例えば藻谷は、Fischerらのシナリオ自体は説得力があると認めてはいるものの、彼らが絶滅時期の年代推定に用いた統計的手法には疑問を感じている。Fischerらの研究では、魚竜の絶滅時期が約9400万年前とされているが、もしもこの年代がずれていたとすれば、魚竜の絶滅と気候変動との相関関係はずっと弱いものになるだろう。しかしFischerは、白亜紀の海生爬虫類の化石記録はかなり充実しており、彼らが導き出した結論の信頼度を高めていると主張する。

魚竜研究の再燃で、現在は多くの研究者たちが、この海の怪物たちの謎に包まれた最期について原因の解明に挑んでおり、こうした議論は今後ますますヒートアップするだろう。また、三畳紀の終わりに多くの魚竜類が姿を消した背景についても解明が望まれる。それには、もっと多くの化石標本と、より優れた技術が必要になるだろう。技術面ではすでに、標本に付随する堆積岩の年代測定がより正確に行えるようになっており、出土した魚竜種の「歴史」をより高い精度で明らかにできる。

藻谷にとっては、こうした新たな議論も、魚竜研究分野における競争も、彼を不安にさせるものではないという。自身が数少ない魚竜の専門家の1人だったために、科学誌に論文を投稿してもなかなか査読者が見つからなかった寂しい過去に戻りたくはないからだ。むしろ、彼は今、仲間が増えたことを喜んでいる。魚竜類を「美しい適応を遂げた、美しい動物」と呼ぶ藻谷。彼らにしてみれば、魚竜は、長い年月を経て今ようやくふさわしい脚光を浴びているに他ならないのだ。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2017.170623

原文

How giant marine reptiles terrorized the ancient seas
  • Nature (2017-03-30) | DOI: 10.1038/543603a
  • Traci Watson
  • Traci Watsonは、ワシントンDC在住のフリーランス記者。

参考文献

  1. Fischer, V., Masure, E., Arkhangelsky, M. S. & Godefroit, P. J. Vertebr. Paleontol. 31, 1010–1025 (2011).
  2. Martin, J. E., Fischer, V., Vincent, P. & Suan, G. Palaeontology 55, 995–1005 (2012).
  3. Home, E. Phil. Trans. R. Soc. Lond. 104, 571–577 (1814).
  4. Stanley, S. M. Proc. Natl Acad. Sci. USA 113, E6325–E6334 (2016).
  5. Jiang, D.-Y. et al. Sci. Rep. 6, 26232 (2016).
  6. Motani, R. et al. Nature 517, 485–488 (2015).
  7. Fröbisch, N. B., Fröbisch, J., Sander, P. M., Schmitz, L. & Rieppel, O. Proc. Natl Acad. Sci. USA 110, 1393–1397 (2013).
  8. Fischer, V., Bardet, N., Benson, R. B., Arkhangelsky, M. S. & Friedman, M. Nature Commun. 7, 10825 (2016).