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「ゴジラ級」エルニーニョを捕まえろ!

海洋観測船ファルコーは、今回の調査航海で、エルニーニョの研究に大いに役立つデータを収集することができた。 Credit: SCHMIDT OCEAN INSTITUTE/ANDREW DAVID

2015年8月、ハワイ大学マノア校の海洋学者Kelvin Richardsらの研究チームが、海洋観測船ファルコー(Falkor)でマーシャル諸島の東を赤道沿いに航海していた。このとき、太平洋の熱帯海域はご機嫌斜めのようだった。7月には6個の熱帯低気圧がこの海を駆け抜けていったし、彼の調査航海の間も新たな熱帯低気圧がいくつか発生していた。この海域の海面水温は異常に高く、予想より1℃以上も高かった。海中に目を転じれば、数百mの深さまで広がる激しい乱流の兆候が見て取れた。

今回のエルニーニョ現象は、これまでに記録された中で最も強いものになる可能性がある。研究チームは、目を見張るようなこのイベントの真っただ中を航行していた。大きなエルニーニョは太平洋の気候条件をめちゃくちゃにし、世界中の気象を混乱させる。人々は今回のエルニーニョの影響をすでに感じ始めている。インドネシアは深刻な干ばつに見舞われ、乾燥により森林や農地で大規模な火災が相次いでいる。海洋では観測史上3度目となる大規模なサンゴの白化が進行している。ペルーでは洪水の危険があるとして一部地域で非常事態宣言が発令され、オーストラリアの農家は干ばつの予想に戦々恐々としている。

前回大規模なエルニーニョが発生した1997~98年には、極端気象と洪水により数千人が命を落とした他、アジアでは2億5000万人が住む家を失った。このエルニーニョは、世界の気温をそれまで記録されたことのない水準まで引き上げる一因にもなった。

Richardsにとって、今回のエルニーニョはまさに僥倖だった。これほどの温度上昇は10年に1~2回しか発生せず、規則的なタイミングで発生しているわけではないからだ。研究者たちは、エルニーニョがいつ発生し、どのくらいの規模になるかを予測する方法を知りたがっている。そのためには、大気と海水の温度、特に後者は表面から水深数百mの低温の層までの温度を細かく記録していく必要があるが、必要なデータを取得するのは容易ではない。調査航海の計画を立てるには何年もかかるため、エルニーニョのような予想不可能な現象を調べるのにちょうどよい時期に太平洋の真ん中に海洋観測船を送り込むのは難しいのだ。Richardsが2012年に今回の調査航海を申し込んだとき、このタイミングでエルニーニョが発達してくるとは予想していなかった。「たまたま私たちの調査航海の時期と一致したので、この好機を大いに活用させてもらいました」と彼は言う。

ほとんどの海洋学者は今年調査航海に出る幸運には恵まれず、仲間の観測データや海洋観測ブイなどからもたらされる情報を利用して研究を行っている。彼らが主に知りたいのは、エルニーニョが毎回異なるふるまいをする理由だ。米国海洋大気庁(NOAA;ワシントン州シアトル)のMichael McPhadenは、「エルニーニョはクッキーの抜き型で作られているわけではないので、1つ1つ違っています」と言う。それぞれのエルニーニョの強さと影響は、太平洋のどの海域が最初に高温になるかなどの要因によって決まるようだが、温度異常のパターンを予想するのは困難だ。「何がこの多様性を生み出しているのか、そして、どんな事象に備えなければならないのかを、どのくらい早い段階で予想できるか知りたいのです」とMcPhaden。それが分かれば、干ばつや洪水が発生する数カ月前に警告を出せるようになるかもしれない。

奇妙な経過

現在発生しているエルニーニョは、科学者たちがまだどれほど多く学ぶ必要があるかをよく示している。このエルニーニョが2014年に最初に現れたときには、ごく普通のエルニーニョのように発達していった。まずは、貿易風と呼ばれる東風(通常は南米からアジアに向かって吹き、熱と湿気を太平洋の西部に吹き寄せている)が弱まった。これにより太平洋の西部にたまっていた暖かい海水が東に広がるようになる。研究者らは、西風バーストと呼ばれる強い西風が、この動きを後押しするだろうと予想した(「気まぐれな海」参照)。南米の沖には、冷たく栄養分に富む深層の海水が水面に湧き上がってくる湧昇域があり、良い漁場になっている。だが、この海域に東から広がってきた暖かい海水が大量に蓄積すると、湧昇が妨げられて魚の分布が変わってしまうので、ペルー沖のアンチョビの漁獲量が激減することが多い。

ところが、赤道海域の海水温は一般的なエルニーニョの年ほど高くならず、予想された西風バーストも吹かなかった。2014年の中頃には、人々を心配させたエルニーニョは完全に終息してしまった。

何がエルニーニョの発達を止めたのか、そしてなぜ12カ月後に再び太平洋の海水温が上昇し始めたのか、海洋研究者や気象学者は頭を悩ませている。ハワイ大学の海洋学者Axel Timmermannは、謎の生まれ変わりを見せた今回のエルニーニョについて、研究者が観測データとモデルを組み合わせて何が起きたか明らかにする絶好の機会を提供してくれただけでなく、予報システムの改良にも役立つかもしれないと考えている。

Timmermannによると、2014年には西風バーストが発生するタイミングが早過ぎたため、太平洋東部に暖かい海水が十分に蓄積せず、南米沖の湧昇を抑制することができなかったのかもしれないという。その場合、エルニーニョはすぐに終息するだろう。けれども、我々が見落としている何らかの機構によって、深層の冷たい海水が表面に到達して発達が止まった可能性もある。あるいは単に、海水温が上昇するエルニーニョ現象と低下するラニーニャ現象が不規則に連続するエルニーニョ・南方振動(El Niño Southern Oscillation;ENSO)が不安定なために、ランダムな気象が作り出されているだけなのかもしれない。

これらの仮説を検証するには、長期間にわたる海水温の測定データ、湧昇の速さ、海水の密度、海流の強さなど、多くの種類のデータが必要だ。ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア・シドニー)の気候科学者Matthew Englandは、エルニーニョの年を、平年や、ラニーニャが現れたとき、何らかの事象が起こりそうだったが何も起こらなかった年と比較することが重要と指摘する。

ただ、気候変動の結果、ENSOのふるまいが変わってきている可能性もある。そうなると問題はさらに複雑になる。表面の海水温が高くなればエルニーニョが始まりやすくなるため、研究者らはエルニーニョがこれまでよりも頻繁に発生するようになると予想している。2014年には、オーストラリア連邦科学産業研究機構(アスペンデール)の物理海洋学者Wenju Caiがモデルに基づく研究を行い、今世紀末には、観測史上最強を記録した1997~98年のような極端なエルニーニョ現象が、ここ数十年間の2倍の頻度で発生するようになるとしている(W. Cai et al. Nature Climate Change 4, 111–116; 2014)。なお、この研究にはTimmermannも参加している。

救世主

太平洋の海水温の上昇に関する記録は、1880年代末にペルー海軍大佐がクリスマスの頃に現れる異常に高温の「corriente del Niño(エルニーニョ海流)」について報告したのが最初である。エルニーニョとはスペイン語でイエス・キリストのことだ。長い間、エルニーニョはペルーとエクアドルの局所的現象だと考えられていた。けれども、1957~58年の国際地球観測年が、たまたま大きなエルニーニョが発生した時期と重なり、観測キャンペーンの結果、この現象が太平洋全域に及んでいることが明らかになった。それから数十年にわたるエルニーニョとラニーニャの研究により、海洋と大気の条件が互いに強め合い、温度の上昇や低下を引き起こす仕組みが判明した。

エルニーニョとラニーニャは気象に大きな影響を及ぼし得る。こうした現象を解明するには多額の費用がかかる調査航海が必要だが、いつ発生するか予測できないため、科学研究助成機関は支援には消極的だ。そこで研究者たちは、太平洋の熱帯域に係留された約70台の観測ブイからなる熱帯大気海洋観測網からのデータに大きく頼っている。この観測網はNOAAと日本の海洋研究開発機構(JAMSTEC)が共同で運用していて、観測ブイからもたらされる海水温と塩分濃度のデータは、海水温の異常な上昇を検知し、暖かい海水を東に押してゆく大きな波を追跡することを可能にしている。

この観測網にも問題がないわけではない。近年、多くの観測ブイが故障して、一時的に観測網の40%からしかデータを取得できない事態に陥ったことがあるのだ。修復作業の結果、現在はシステムの能力は80%まで回復している。けれども2012年の予算削減により、NOAAは観測網の定期メンテナンスに利用してきた海洋観測船カイミモアナ(Kaʼimimoana)を退役させざるを得なくなった。NOAAで16年にわたって運用されたカイミモアナは、メンテナンスのためにブイからブイへと移動しながら、海水温、塩分濃度、密度などのデータも収集し、エルニーニョ研究コミュニティーにとって欠かすことのできない存在であった。Timmermannは、カイミモアナが利用できなくなった今、観測ブイと自動観測フロートが収集するデータだけでは、エルニーニョの発達に関与している可能性がある海流の微妙な変化や海水の混合を調べるには不十分かもしれないと考えている。

とはいえ、Richardsらのように偶然データを取っていた観測船が他にもある。海洋観測艦キロ・モアナ(Kilo Moana)も、2015年8月から9月にかけて、ハワイ大学の別の研究チームを乗せて太平洋の赤道海域の調査航海を行っていたのだ。予想外の研究の好機に恵まれた研究チームの海洋学者Brian PoppとJeffrey Drazenは、強い赤道湧昇のある海域で海洋生物への水銀の蓄積について調べる計画を立てていた。調査航海中に収集した観測データにより、強いエルニーニョの影響が海の食物連鎖網に伝わる様子を検証することが可能になるだろう。

それでもCaiは、絶好の機会を逃してしまったと感じている。おそらく一世代に一度しか発生しないレベルのエルニーニョが海に引き起こす物理的、化学的、生物学的変化を、直接記録することができなかったからだ。「もっと多くの海洋観測船が出ていなかったのが本当に残念です」と彼は言う。

しかし、近いうちに救世主が現れるかもしれない。NOAAとJAMSTECは、海洋の変動性への理解を深め、気象や気候の予報の精度を上げるため、観測ブイと人工衛星を使って持続的に観測を行う熱帯太平洋観測システム(Tropical Pacific Observing System;TPOS)を2020年までに立ち上げる予定なのだ。

今回のエルニーニョは2015年末から2016年初頭にピークに達すると考えられているので、新しい観測システムは間に合わないだろう。この数カ月間、エルニーニョは観測史上最も強力だったエルニーニョをなぞるように発達している上、2015年10月初旬には西風バーストも発生したため、高温状態が続くことが確実になっている。これを受け、世界中の多くの地域で、今後数カ月間、普通では考えられないような気象に備えるようにと警告が発せられている。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160124

原文

Hunting the Godzilla El Niño
  • Nature (2015-10-22) | DOI: 10.1038/526490a
  • Quirin Schiermeier
  • Quirin Schiermeierはドイツ・ミュンヘン在住のNature通信員。