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ニューロンの百科事典作成計画が始動

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 7 | doi : 10.1038/ndigest.2015.150716

原文:Nature (2015-04-02) | doi: 10.1038/520013a | Neuron encyclopaedia fires up to reveal brain secrets

Helen Shen

アレン脳科学研究所が、ニューロンのカタログを作るという大規模な計画を発表した。

さまざまなニューロン(神経細胞)の三次元形状を集めた世界最大の公開カタログを作るという野心的な計画を、2015年3月31日、アレン脳科学研究所(米国ワシントン州シアトル)が打ち出した。この「ビッグニューロン(BigNeuron)計画」は、解析方法を統一して研究の基礎になる大規模データベースを構築しようというものであり、それによって、ヒトの脳の働きを解明し、模擬しようとする研究を後押しすることを目指している。日本からは、前橋工科大学、東京大学の研究者らが加わっている。一方でこの計画は、「ニューロンをどのように分類するべきか」という、基本的であり、また、時に研究者の感情も絡む厄介な問題をクローズアップすることにもなりそうだ。

現在、大規模な脳研究計画がいくつも進んでいる。欧州の「ヒューマン・ブレイン・プロジェクト」は、スーパーコンピューターでヒトの脳をシミュレーションしようとするものだ。米国の「ブレイン・イニシアチブ」は、ニューロンのネットワークがヒトの思考と行動を作り出す仕組みを明らかにしようとしている。しかし、こうした計画の前には、意外な問題が立ちはだかっている。「脳の中のニューロンにどれだけ多くのタイプがあるのか、まだ分かっていないのです」と、コロンビア大学(米国ニューヨーク市)の神経科学者Rafael Yusteは指摘する。

ニューロンは細かく枝分かれしている。その三次元形状を顕微鏡画像をもとに再構築する作業は難しく、誤りが起こりやすい。そこで、ビッグニューロン計画では、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、マウス、ヒトなど、さまざまな種のニューロンの顕微鏡画像を数万個分集め、それをテストデータにして再構築用コンピューターアルゴリズムを比較し、基準として使える最良のアルゴリズムをまず選び出す。次に、それを使ってニューロンの詳細なカタログを作る。

ニューロンの詳細で正確な形状を得ることは、ニューロンが電気的、化学的シグナルによって情報伝報を行う仕組みを解明するために役立ち、そのふるまいを正確にモデル化するには不可欠だ。

ヒヨコ(紫色)、カメ(赤色)、ショウジョウバエ(黄色)の脳細胞の形状。これらの脳細胞から、ニューロンの形状の多様性が見て取れる。 | 拡大する

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ビッグニューロン計画は、ゼロからスタートするわけではない。ニューロンのタイプの研究は、スペインの神経解剖学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハール(Santiago Ramón y Cajal)が基礎を築いた。カハールは19世紀後半、顕微鏡でニューロンを観察してスケッチしている。星状細胞(stellate neuron)は星型の形状から、錐体細胞(pyramidal neuron)は先がとがった形状から名付けられた。

ニューロンの数は、マウスの脳では数千万個、人間の脳では数百億個にのぼることから、これまで観察・記述されてきたニューロンはおそらく、その多様性のごく一部とみられる。ビッグニューロン計画を率いるアレン脳科学研究所のHanchuan Pengは、「脳にはあまりに多くのニューロンがあり、また、神経科学者たちがこれまでに収集してきたデータは、そのうちのごく一部でしかありませんでした」と話す。

もっと多くのニューロンのカタログを作る必要があるが、数百枚あるいは数千枚の二次元顕微鏡画像の山から三次元構造を復元する作業は簡単ではない。ニューロンの枝状の形は、しばしば鋭角に曲がったり、輪を描いて戻ってきたり、互いに交差したりする。だから、全ての枝の行方を追うことは、人間にとっても機械にとっても骨の折れる作業なのだ。人の手で三次元構造を復元するには、単純なニューロンでも数日かかるかもしれない。もっと複雑な細胞になると数カ月かかる可能性がある。

一方、コンピュータープログラムは、ニューロンの三次元構造を人間と同じようには復元できないことが多いものの、一部のプログラムは、難しいケースでもわずか数時間で処理できる場合もある。うまくいくかどうかは、入力データと実験条件にかかっている。

そこで、ビッグニューロン計画では、第一段階として三次元構造の再構築に最良のアルゴリズムを見いだすことにした。まず、計画発表から最初の数カ月で、プログラム開発者たちには最良と考えられる再構築用アルゴリズムの提供を募り、神経科学者たちにはニューロンの画像データの提供を募る。次に、スーパーコンピューターを使い、提供された数万個のニューロンの画像データを再構築用アルゴリズムで処理して、復元結果を互いに比較する。人間による復元結果がある場合はそれとも比較する。人間による復元は今なお、基準となるものと考えられているからだ。これらの全てのデータとアルゴリズムは、誰もがアクセスできるようになる予定だ。

ビッグニューロン計画の会合や研究会を後援すると表明した組織には、ヒューマン・ブレイン・プロジェクト(HBP)、生物医学分野の公益団体ウェルカムトラスト(英国ロンドン)、ハワード・ヒューズ医学研究所・ジャネリアファーム研究所(米国バージニア州アシュバーン)などがある。オークリッジ国立研究所(米国テネシー州)、ローレンスバークレー国立研究所(米国カリフォルニア州)、HBPは、スーパーコンピューターを提供する。ただ、アレン脳科学研究所は、ビッグニューロン計画にかかる費用の見積もりをまだ公表していない。

ビッグニューロン計画を主導している研究者たちは、アルゴリズムの比較テストを2015年内に終え、2016年にはニューロンの形状の注釈付き大規模データベースの構築に取りかかりたいと考えている。しかし、ビッグニューロン計画により、もう1つの大きな問題が浮き彫りになるだろう、とYusteは考えている。つまり、研究者たちは、細胞タイプの間のどこに境界線を引くかについて合意する必要があるのだ。

研究者たちは一般的に、シャンデリア細胞など、いくつかのニューロンタイプについては合意している。他のタイプのニューロン、例えば昔からある錐体細胞(大脳皮質の神経細胞の約80%を占める)などのカテゴリーについては、分類はそれほど明確ではない。錐体細胞は、実際には多くの異なるタイプを包含していると主張する研究者たちがいる一方で、やや異質の細胞を含めた1つのタイプだとみなす研究者たちもいる。

名誉欲も問題だ。いくつかの細胞タイプの名称には、それを報告した研究者たちの名前が付けられているからだ。「研究者たちは、この問題になるととても感情的になってしまいます」とYusteは話す。

「問題は、ニューロンの分類が長きにわたり、主に定量的ではない記述と顕微鏡画像の主観的な判定に基づいていたことです」とYusteは指摘する。画像撮影技術と自動分析アルゴリズムは進歩している。より詳細なデータと定量的な手段に基づいて細胞を分類できるはずだ。

「今回の計画で、これまで誰も報告していない新しいニューロンが見つかるはずです。同時に、これまでに報告されていたニューロンのタイプの中には、なくなってしまうものもあるはずです」とYusteは話す。

(翻訳:新庄直樹)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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