脳の中に記憶の正体を探す
–– 脳科学のシンポジウムを2014年末に東京大学で開催されましたね。
宮下: 視覚、記憶、思考に関する研究が、脳の高次機能の解明を推し進めてきたといえるでしょう。その分野の研究者を集めてシンポジウムを開いたのです。そのうちの1人は、場所の記憶を担当するグリッド細胞の研究で有名なエドワード・モーザー博士だったのですが、今回、ノーベル生理学・医学賞の授賞式と重なり、こちらを直前キャンセルされました(笑)。ビデオで講演いただきましたけど。
そのモーザー博士の他、脳内の顔認識ネットワークを同定したドリス・ツァオ博士、数字を扱う脳の仕組みを明らかにしたスタニスラス・ドゥアンヌ博士、視覚認識の主観性解明に貢献したウィリアム・ニューサム博士などがシンポジウムで最新の研究成果を語ってくれました。この方々が理論や概念上のブレークスルーを担った人たちだとしたら、テクノロジー上のブレークスルーを代表する講演者は、カール・ダイセロス博士でした。光遺伝学の開発者です。
記憶を探る
–– 記憶の研究でブレークスルーを続けてこられたのは、宮下先生ですね。
宮下: 記憶が最終的に貯蔵される大脳部位を初めて発見しました1,2。1990年前後のことです。特に長期記憶を蓄え・想起する記憶ニューロンを側頭葉に発見したのが主要業績の1つです。
実験では、2つの図形を対で記憶するようにマカクザルを訓練し、その後、対の片方を見せて、他方の図形を連想的に思い出してもらいました。そのときに活動するニューロンを突き止めたのです。
–– さらに、記憶ニューロンを働かせる仕組みをも明らかにされました。
宮下: 1999年の研究ですね3。記憶やイメージを意図的に想起・検索するときには、前頭葉のニューロンから信号が流れて(この信号をトップダウン信号と呼ぶ)、側頭葉の記憶ニューロンが活性化されることを証明しました。
今は、記憶ニューロンとトップダウン信号が組み合わさって、記憶システム全体がどのように働いているかを明らかにしたいと思っています。現在進行中ですが、成果は積み上がってきています。例えば、記憶やイメージを記銘・想起するときの過程は、一段階ではなく、階層的であることを発見し、2013年に発表しました4。まず神経回路内で少数のコードが生成され、それが次の部位で、その部位の支配的なコードへと成熟していくと考えています。
–– 宮下先生は大学では物理を学ばれました。そもそもどのようなきっかけで脳研究に進まれたのですか。
宮下: 私の出発点は、伊藤正男先生(東京大学医学部生理学教授)です。伊藤先生は、小脳の研究の世界的権威。私は高校生の頃から、将来どのような研究をしようかと、いろいろな方の話を聞きに行っていました。伊藤先生のお話は衝撃的でした。ニューロン1個1個から、脳の働きを再構築できるとおっしゃったのです。人間の複雑な精神機能を、ニューロンの集合体の働きとして明らかにする。それをやりたいと、私は思ったのです。
これからの脳科学には理論的見通しの力量が必要という伊藤先生の勧めや、私自身が数学的美しさを好きだったこともあり、学部では物理を学び、その後、伊藤先生の下で大学院生になりました。
技術におけるブレークスルー
–– 小脳から大脳の研究に移られました。
宮下: 技術上のブレークスルーがあったのです。1980年代、サルが難しい認知的問題を解いている最中にニューロン1個1個の活動電位を測定できる技術が開発されました。大脳を探究する道具の誕生です。その頃、ちょうど研究者として独立しようとしていた私は、この研究手法をフル活用しようと思いました。
伊藤先生は壮大な夢を語ってくださいました。しかし残念ながら先生の時代には、それを実現する技術が存在しなかった。それが、過去30年間にさまざまな新しい技術として実現してきています。私は幸運にも、その「巨人の肩」にのって進むことができたのです。
–– 1990年代のブレークスルーは、fMRIの開発でしょうか。
宮下: はい。1992年、ベル研究所の小川誠二博士が機能的磁気共鳴画像化法(fMRI)を開発したと知り、これこそ私が求めていた技術だと思いました。生きている動物の脳全体の活動(血流)を観察する技術です。日本中を探し回り、日立中央研究所(東京都国分寺市)に計測可能なマシンがあると聞き、本当に有効な計測法なのか早速、自分で試してみました。神経解剖学では、足、手、口元をなでると、脳の中の特有な部位に反応が出ることが知られています。それをfMRIで試してみたのです。これは使えると確信しました。
その後、ヒトが対象でないと難しい実験にfMRIをフル活用しました。例えば、「フィーリング・オブ・ノーイング」(知っているという感覚)を調べました5。「これ知っている(との直感がある)、けれど思い出せない」というときに、脳の中でどのようにしてその直感が生み出されるのかを解析したのです。ようやく最近、サルにこの課題をやってもらうことができるようになりました。
–– 今は、光遺伝学に脚光が。
宮下: 2000年代半ばに起きた技術上のブレークスルーは、ダイセロス博士の光遺伝学(オプトジェネティクス)ですね。光照射のオン・オフで、脳内のニューロンを活性化あるいは不活性化させる画期的な技術。これによって、これまで不可能だったさまざまな行動実験が可能になりました。
光遺伝学は現在ネズミで成功していますが、サルの高次機能研究でもこの技術が実現するよう、私を含め、多くの研究者が取り組んでいるところです。
今後、期待される技術に、脳の透明化もあります。理化学研究所(埼玉県和光市)の宮脇敦史博士やダイセロス博士らが開発し、薬品で、文字通り脳の組織を透明にする技術。透明にすれば、細胞1個1個を直接観察できるのです。今は固定化した脳でしか使えませんが、もし生きている脳を透明化できれば、研究はまた飛躍的に進展するかもしれませんね。
心を探りたい
–– 欧米でも日本でも、脳科学の研究プロジェクトが活発化していますね。
宮下: 問題意識は世界中で共有されています。私は、ニューロンはネットワークを形成し、多段階に階層的に構築されていると考えています。そうしたシステムが人間の心を作っているのであり、その解明には、電気生理、分子生物学、画像解析などのアプローチを融合させて研究することが重要だと思っています。
–– 宮下先生のホームページには、「汝自身を知れ」という言葉がありますね。
宮下: 結局、人間の心を探ることが、私の一貫した道程です。人間が持つ精神機能を、時代の最先端技術で突き詰めていく。ただし、最先端の技術が、必ずしもおもしろい対象に迫れるとは限らない。研究のデザインと発想が問われるところです。
学生さんにはよく言うのです。1人の研究者として一生の間にどこまで到達できるかは、研究をどの階層から始めるかである程度決まってしまう。人間の精神機能を研究したい学生さんに、霊長類の神経回路を研究することの重要性を説く理由です。
人間の精神の深みに迫りたい。精神のありようは多彩です。日常生活の中に、おもしろい現象が転がっている。それをきちんと科学的に組み上げた実験で体系的に追究する。そこが研究の醍醐味でしょうか。今、いろいろな技術が使える時代です。本当にワクワクしています。
–– ありがとうございました。
聞き手は、藤川良子(サイエンスライター)。
Author Profile
宮下 保司(みやした・やすし)
東京大学大学院医学系研究科統合生理学教授。1978 年東京大学医学系大学院(生理学)博士課程修了、東京大学医学部助手。1984 年オックスフォード大学客員講師。1989 年東京大学医学部生理学第一講座教授、現在に至る。朝日賞、紫綬褒章、日本学士院賞ほか受賞。
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 3
DOI: 10.1038/ndigest.2015.150316
参考文献
- Miyashita, Y. Nature 335, 817-820 (1988).
- Sakai, K. & Miyashita, Y. Nature 354, 152-155 (1991).
- Tomita, H., et al. Nature 401,699-703 (1999).
- 4 Hirabayashi, T., et al. Science 341, 191-195 (2013).
- Kikyo, H., et al. Neuron 36, 177-186 (2002).
- Hirabayashi, T. & Miyashita, Y. Trends in Neurosci. 37, 178-187 (2014)