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ゲノム研究から先制医療へ

–– 今年の2月、理研でシンポジウムを開催されて……。

林崎: あいにく東京が大雪に見舞われた日だったのですが、大勢の人が参加してくれました。女優のアンジェリーナ・ジョリーさんに予防的乳房手術を行ったクリスティ・ファンク医師などをお招きし、講演してもらいました。

昨年、理研で「予防医療・診断技術開発プログラム」を設立したのですが、その開所記念シンポジウムに当たるものです。ファンク医師には具体的な情報をいろいろお聞きすることができ、有意義なものとなりました。

–– 予防医療・先制医療とは?

林崎: 病気になる前に、発症を予防したり、治療介入したりすることを目指す医療です。特にジョリーさんの場合のように、疾患発症前に処置することを先制医療と呼んでいます。病気に先制攻撃を加えるのです。BRCA遺伝子に変異があると、彼女の場合、85%もの確率で乳がんを発症するのですよ。

あるいは、がんの転移性や抗がん剤の適性を患者さん個人に基づいて予測し、治療する。抗がん剤の使用を抑え、患者さんのQOL(quality of life;心身共に充実した生活を送れているかどうかの指標)の向上を図ることにつながります。

そのためには、診断技術の開発が重要で、医療の現場で実際に使える方法にまできちんと仕上げる必要があります。

–– 具体的には、どのように推進を?

林崎: 現在はプランを練っている段階です。理研で行われているさまざまな分野の基礎研究、生命科学、工学、化学、光学、ナノ技術などから臨床応用の可能性のあるものを探しています。同時に、医療現場で何が必要とされているのか、そのニーズも探っています。パイロットプロジェクト的な位置付けで、順天堂大学病院の医師らと200回以上も面談しました。

個人の遺伝情報を臨床応用へ

–– では、これまで約18年間牽引してきたゲノムの基礎研究を、やめてしまうのですか?

林崎: よくされるのですよ、その質問。確かに、(ゲノム研究の)責任者のポジションは後進に譲りました。いつまでも上に居座っていたら、若手が成長しないしね(笑)。

でも、彼らと研究協力は続けていきますよ。それというのも、私の中では、これまでやってきた基礎研究と、これから展開する臨床応用は、1つのストーリーとしてつながっているのです。

–– それは、どのように?

林崎: 長年、遺伝子発現(転写)という観点からゲノムの基礎研究を行ってきたわけですが、その間に、臨床で役立ちそうな技術やシステムが蓄積されてきました。そして、それらを応用に展開すべき時期が来たということだと思っています。今回Natureに発表したFANTOMコンソーシアムの研究1,2は、予防・先制医療や再生医療で使える技術に展開していきたいと考えています。

–– 今回Natureに発表した研究について詳しく教えてください。

林崎: 細胞を定義する方法を見つけたんですよ。ヒトの体は、神経細胞、筋細胞、線維芽細胞というように、何百種類もの細胞から成り立っています。細胞の定義が分からないと、例えば細胞を作る実験を行っていても、正しい細胞が作られているかどうかはっきりしない。

私たちは、遺伝子のプロモーターやエンハンサーの活性を測定することにより、細胞の種類と健康状態を簡単に判断できる方法を発見しました。そして、180種類のヒト細胞について調べ、データベースを作りました。

こうしたデータは、がん細胞の転移性を診断していく際の基準として、重要になるでしょう。またiPS細胞などの多能性細胞から、いろいろな細胞を作り出すときの指標にも使えるはずです。

–– 遺伝子のプロモーターやエンハンサーとは?

林崎: 遺伝子の転写を開始したり、転写の量を調節したりするDNA配列のことです。遺伝子のすぐそばにあるのがプロモーター、どこか離れたところにあるのがエンハンサー。遺伝子が転写されて生じるRNA分子の量を測定することで、これらの活性を検出しました。

ただしそのためには、エンハンサーがどこにあるかを見つける方法を、まず開発しなければなりません。私たちは、ゲノム上のある点から両方向に転写されるRNA分子が、既知のエンハンサー部位に存在する場合が多いことに気が付き、両方向に転写される場所こそがエンハンサーであるという作業仮説を立てました。そして、エンハンサーが作用する標的プロモーターを、両者の活性の相関から突き止めることに成功し、仮説を実証することができました。

その結果、全部で約18万5000個のプロモーターと、約4万4000個ものエンハンサーを検出できました。画期的な結果といえるでしょう。

まず、計測技術の開発ありき

–– RNAの定量は難しいと聞きます。

図1:一分子CAGE法の解析データ例。細胞の種類により、プロモーター活性のパターンが異なる。

Credit: REF.1

林崎: 今回、一分子CAGE法という測定法を開発することで、定量を可能にしました。RNA分子を1分子レベルで塩基配列決定する方法です。

何かを研究しようとするときには、まず計測手段を開発する。これが、私たちが貫いてきた研究スタイルです。既存の方法や既存の材料で進めても、似たような結果しか得られないでしょ?

–– 米国のENCODE計画とFANTOMは似ている?

林崎: 私たちは2000年に、FANTOMコンソーシアムの発足を世界に呼び掛けました。転写RNA分子に着目したのは、FANTOMが先行しています。ENCODE計画は2003年に、ヒトゲノムの機能領域の同定という目的で始まり、どちらかというと遺伝子発現のエピジェネティック制御に重点を置いています。

また、ENCODE計画がエンハンサー解析に用いているのはたった6種類の細胞株のみです。今回FANTOMでは、180種類のヒト細胞を解析したので、エンハンサーがどのプロモーターを制御し、またどの細胞を特異的に制御しているかまで、初めて明らかにできたのです。

–– 林崎先生たちが世界のゲノム研究に果たしてきた貢献は大ですね。

林崎: そう自負しています。他の人の後に続くのが嫌いで、オリジナリティーを大切にしてきたからこそ、転写ネットワークシステムやノンコーディングRNAなどを発見できたと思っています。山中伸弥先生がiPS細胞を作る過程で、細胞の初期化に必要な遺伝子を探るときにFANTOMデータベースを利用してくださったのも、私たちのデータベースが他にはない有用なものだったからだと思っています。

–– 現在、臨床で使える遺伝情報は、乳がんなどの限られたもの?

林崎: そんなことはありません。役に立つ知見がすでにたくさん見つかっています。ただし、環境要因が非常に大きく影響する性格や才能の判定といったことに用いるのは不適切。医療の中で、きちんと使っていかなくてはいけません。

19年前にゲノム研究を立ち上げたときもそうでしたが、新しいプロジェクトを立ち上げた今この時期が、いちばん大変ですね。特に2014年度の予算は縮小されましたし。

私たちのゲノム研究は、当初は、国際標準のデータベースを作るという「縁の下の力持ち」的な基礎研究でした。それがようやく、人々の生活に役立つような技術を展開できるまでに機が熟してきたのです。そのゴールに向かって、なすべきことをなし、進んでいくつもりです。

–– ありがとうございました。

聞き手は藤川良子(サイエンスライター)。

Author Profile

林崎 良英(はやしざき・よしひで)

理化学研究所 予防医療・診断技術開発プログラム(PMI) プログラムディレクター。1982年 大阪大学医学部卒業。同大学博士課程、国立循環器医療センター研究所を経て、1992年 理化学研究所研究員。1995年 同研究所主任研究員。1998年 同研究所ゲノム科学総合研究センター プロジェクトディレクター。2008年 同研究所オミックス基盤研究領域領域長を経て、2013年より現職。2007年、紫綬褒章受章。

林崎 良英氏

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2014.140518

参考文献

  1. The FANTOM Consortium and the RIKEN PMI and CLST (DGT). Nature 507, 462-470 (2014).
  2. Andersson, R., et al. Nature 507, 455-461 (2014).