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リンネのゾウ標本をめぐる物語(下)

登場人物

カール・リンネ(Carl Linnaeus)
分類学の父と称されるスウェーデンの博物学者。

Tom Gilbert
コペンハーゲン大学の教授で古代DNA研究を専門とする。

Enrico Cappellini
2009年にGilbertの研究室に加わった博士研究員。彼の取り組みにより、問題の標本がアフリカゾウと判明した。

Per Ericson
スウェーデン自然史博物館の科学ディレクター。

Anthea Gentry
ロンドン自然史博物館(英国)の哺乳類担当の学芸員。リンネのゾウの胎児標本がアフリカゾウではないかと疑問を持ち、その解析をGilbertに依頼した。

2009年、コペンハーゲンにて

Credit: SWEDISH MUS. NAT. HISTORY

Tom Gilbert(左)とEnrico Cappelliniは、リンネのゾウ胎児標本がアジアゾウではなくアフリカゾウであることを確定した。

Credit: KIM MAGNUSSEN/UNIVERSITY OF COPENHAGEN

リンネのゾウ標本の正体を明らかにしたTom Gilbertは、「タイプ標本が違う動物のものだったと分かれば、系統分類学者たちは混乱状態に陥るのではないか……」と心配になった。解決策として、Elephas maximus(アジアゾウ)をアフリカゾウの学名とし、アジアゾウには別の学名を考えてもらうのがよいのではないか。それとも、別のアジアゾウ個体を新しいタイプ標本として指定できるのだろうかなどと、彼はいろいろ考えた。

「余計な心配でした。分類学はそんなにヤワなものではなく、何重にも回避策が用意されていたのです」とGilbert。つまり、タイプ標本に誤りがあった場合、新たにタイプ標本を指定するためのルールがきちんとあったのだ。全ての動物種を決定する動物命名法国際審議会(ICZN)による規約では、新しいタイプ標本は第一に、リンネの著書『自然の体系(Systema Naturae)』に掲載もしくはリンネによって確認された、他のどれかの例から選ばれるべき、と記されていた。

となると候補は、リンネがゾウの記載の際に言及した、博物学者ジョン・レイ(John Ray)の記録にある1体の骨格と1個の歯の一部である(Nature ダイジェスト 2014年3月号21ページ参照)。どちらも不適格な場合には、審議会で指定された別のアジアゾウ個体をE. maximusの基準の標本と見なすことになる。

アジアゾウと一目瞭然な候補は、ウプサラにある博物館に現在保管されている歯の方だった。「この標本は、半分欠けた臼歯で、タイプ標本としてはいくらか不十分でした」とGilbertは言う。

この歯をタイプ標本にするという考え方が浸透しそうになったちょうどその頃、Gilbertの研究室の博士研究員Enrico Cappelliniの元に、ゾウ類の専門家であるロンドン自然史博物館の古生物学者から1通のメールが届いた。その短いメールには、ジョン・レイの調査旅行の記録文書のことが書かれていた。Cappelliniは、この記録文書から、リンネが標本の一部としたゾウの骨格の手掛かりを得られるかもしれないと考えた。

1663〜67年、欧州にて

1663年の春、当時35歳だったレイは、4年にわたる欧州旅行に出かけた。彼は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(英国)でギリシャ語と数学を教え、時折説教もし、博物学への興味を追求していたが、旅行の前にはその職を辞していた。北欧を経由した後、レイは1664年の夏にイタリア・フィレンツェに到着し、そこにあったフェルディナンド2世の王宮で1頭のゾウの遺骸を目にした。「我々が見たのは(中略)1頭のゾウの皮膚と骨格で、8年か10年ほど前にフィレンツェで見せ物にされ、そこで死んだゾウだった」とレイは書き残している。

レイは英国の哲学者フランシスコ・ベーコンの流れを汲む思想家で、ベーコンは直接観察した結果を重んじた。それもあって、レイはゾウの骨格の解剖学的構造を細部に至るまで観察した。その骨格は一部の骨が失われており、木製のレプリカで置き換えられていた。「その標本には偽物と本物の骨が合計で40個あるが、私には偽物が何個で本物が何個あるか分からなかった。フィレンツェで見た骨格から胸骨と肋軟骨が失われていたためだ」とレイは書き記している。

2012年、コペンハーゲンにて

レイの旅行記は、17世紀の欧州の科学者が学問で使っていたラテン語で書かれており、Cappelliniはこの文を読むために、中等学校時代に習った古典的なラテン語の知識を懸命に引っ張り出した(それと、Googleの助けも少し借りた)。Cappelliniは約10年前にフィレンツェでPh.D.を取得していたため、レイのゾウの話を読んでピンときた。「この骨格がまだフィレンツェにあるなら、きっとフィレンツェ大学の自然史博物館の動物セクションだと思いました。それと偶然、私はそこにゾウの骨格があるのを知っていたんです。私の担当分野でしたから」とCappelliniは思い返す。

手掛かりを得たCappelliniは、大学院時代に目にしていたその標本骨格がレイの書いた記録内容に当てはまるかどうかをまず確かめることにした。もしそうであれば、リンネが例の胎児とともに参照した標本かどうかを見極める作業に取りかかることができる。

Cappelliniは、デジタル文書化されたレイの報告をさらに追跡した。そして、レイが見た骨格標本のゾウが「ハンスケン(Hansken)」と名付けられていたことを知った。

レンブラントが描いた「ハンスケン」のスケッチ。

Credit: ENRICO CAPPELLINI ET AL.

ハンスケンは、オランダ東インド会社によって輸入された後(このことから、おそらくアジア起源だと推察される)、1630年代にオランダ王室に献上され、その後、オランダの画家レンブラントがそのスケッチを描いている(右図)。しかし、このゾウはやがて邪魔もの扱いされるようになった。その後、興行師に売られ、鞘から剣を引き抜くなどの芸を教え込まれて、金を取る見せ物にされた。オランダ、ドイツ、イタリアを巡業した後、ハンスケンは1655年11月9日にフィレンツェで死んだ。1664年にレイが目にしたときには、死後何年も経っていたことになる。

フィレンツェ大学の自然史博物館にあるアジアゾウの骨格標本は、ハンスケンであることが突き止められた。

Credit: SAULO BAMBI/UNIVERSITY OF FLORENCE

Cappelliniはフィレンツェ大学の自然史博物館に連絡を取り、自分の直観について話した。彼の記憶にある骨格標本は、確かに、まだそこにあった。それは紛れもなくアジアゾウで、そのプロポーションは、ジョン・レイや他の博物学者が記載したハンスケンのものとほぼ同じだった。しかし、一番の決め手になったのは骨格の木製の骨だった。レイの350年前の記述に残されていた、あの偽物の骨と一致していたのだ。

「フィレンツェ大学の自然史博物館の標本はきれいに保存されています。胸骨はなく、木製レプリカで置き換えられているのがはっきり分かります。このゾウ標本を、アジアゾウ(Elephas maximus)のレクトタイプ、つまり新しいタイプ標本として選んでいい状況になった、と私は思っています」とCappelliniは話した。

そのレクトタイプの指定が2013年12月14日に発表され、それとともに、研究チームの成果がZoological Journal of the Linnean Societyで発表された2

エピローグ

「何はともあれ、これはとても面白い科学特捜物語です」と、スミソニアン研究所(米国ワシントンD.C.)の哺乳類担当学芸員であるKris Helgenは話す。現時点ではアジアゾウとアフリカゾウの識別に困ることはないが、「この研究成果は、今から200年後でも、一切混乱せずにこれらの学名を正しく付けられるようにする、という点からも重要なのです」と彼は言う。またGilbertは、この研究が古生物学や生物保全など他の分野にも関係してくるだろうと考えている。現生もしくは絶滅したアジアゾウの新種や亜種は、タイプ標本を参照して判定される。だが、そうした比較の際には、誤りのないよう確実かつ正確な参照の枠組みを使って行われるべきだと彼は言う。

スウェーデン自然史博物館の科学部門責任者を務めるPer Ericsonは、謎が解けたことをとても喜んでいる。彼は「疑惑のある標本には、そうしたことがつきものですから」と、博物館の有名な所蔵物が「格下げ」に近い形になったことを気にしていない。

GilbertとCappelliniは、各地の自然史博物館に所蔵されている他の種の記録についても、タンパク質解析で鑑定できるだろうと考えている。例えば彼らは現在、カバに似た南アメリカ産の絶滅哺乳類であるトクソドン(Toxodon)が、他の哺乳類とどのような類縁関係にあるかを明らかにしようとしている。また、ロンドン自然史博物館にある別の標本で種が明確でないものについても、タンパク質の抽出に取り組んでいる。

リンネの記録はそのうち、さらに訂正されることになるかもしれない。Gilbertにアルコール漬け標本の解析を依頼したロンドン自然史博物館のAnthea Gentryは、もうじきリンネの鳥類と哺乳類のカタログを出版する予定でいる。彼女はその作業を進める中で、今回のゾウの他にもコウモリや齧歯類のタイプ標本に、同定が明らかに誤りであるものをいくつか見つけた。「これらの標本を取り除かねばならないのは残念ですが、それが今の我々のなすべきことなのです」と彼女はきっぱりと言った。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2014.140430

原文

Linnaeus’s Asian elephant was wrong species
  • Nature (2013-11-04) | DOI: 10.1038/nature.2013.14063
  • Ewen Callaway

参考文献

  1. Cappellini, E. et al. J. Proteome Res. 11, 917–926 (2011).
  2. Cappellini, E. et al. Zool. J. Linn. Soc. http://dx.doi.org/10.1111/zoj.12084 (2013).