Turning Point

素粒子への思いが出会いを呼んだ

大学院時代は苦労されたそうですね?

村山 斉
東京大学 国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構 機構長
米国カリフォルニア大学バークレー校物理教室 教授

村山: どんな先生がいるかきちんと調べもせずに、東大から東大の大学院に進んだものですから。私の希望する素粒子物理学を専門とする人がいなかったのです。

当時は、ひも理論の研究が主流だったのですが、私はそれに全く興味が持てませんでした。しかたなく、素粒子は自分で勉強しようと考え、友人を集めて勉強会などを開いたりもしました。ただ、全然もの足りなかったですね。思うようにいかず、研究室の中でも孤立気味となり、フラストレーションもたまって、修士課程を終えたら、どこかに就職しようと考えていました。

その考えを思いとどまらせたものは?

村山: 出会いです。それがターニングポイントになりました。他講座の先生が、私の勉強したい分野の専門家(高エネルギー研究機構の萩原薫先生)をご存じで、東大に呼んで講義を開いてくれたのです。「勉強したかったことはこれだ!」と、すぐに弟子入りを志願しました。幸い引き受けてはいただけたのですが、ちょうどそのとき、萩原先生は海外赴任直前でした。

そこで私は、先生の帰国を待つことにしました。その間に、博士課程に進み、高温超伝導など、興味の持てる研究をしていました。そして、博士課程2年の頃に萩原先生が帰国され、ようやく念願叶って1か月間の集中講義合宿の実現にこぎつけました。ただ、講義の条件として受講者を7人集めよ、というのがあったので、京大や名古屋大、広島大にも足を延ばしてなんとか集めたものです。

合宿では、素粒子についての勉強漬け。自分のやりたいことができて、本当にうれしかったですね。やっと素粒子の基礎が身についたと思いました。

その後、東北大を経てから、海外に移られたのですね?

村山: 本当は、博士論文を仕上げたら、すぐ海外に出ようと思っていました。日本では自分は必要とされていない。けれど、海外には、素粒子の研究者が大勢いる。そこで仕事を見つけ暮らしていこう。当時すでに結婚していた私は、そう覚悟していたのです。

ところが、東北大の柳田勉先生から助手として採用したい、というありがたいオファーが届きました。柳田先生も、東大に講義にいらしたことがあり、興味深い研究をされていることは知っていました。自分が評価してもらえたことがうれしく、まずは東北大行きを決めたのでした。柳田先生の研究室では、宇宙と素粒子の関係や超対称性理論などの重要で新しい分野を無我夢中で学び、研究が一段落したときに、米国に渡ったのです。

覚悟を決めて渡った米国では、順調にポジションを獲得されて……。

村山: 米国では、私の博士論文や東北大での研究論文を評価してくれる人がいると知って、驚きましたね。当時、COBE衛星の観測データが発表され、宇宙と素粒子が結びついて注目されるようになったという時代の後押しもあるでしょう。心ゆくまで研究に打ち込むことができ、5年後にはカリフォルニア大学バークレー校の准教授、さらに3年後に教授のポジションを得ることができました。

私が、実験と理論の2つの分野を理解できていたことも重宝されたようです。日本での大学院時代に紆余曲折あり、専門性を高められなかったものの、さまざまに勉強や経験を積み重ねてきたことが功を奏したと思います。

米国での体験は今どう役に立っていますか?

村山: コミュニケーション力ですかね。米国で気が付いたことなのですが、30秒から1分以内に自分の研究を魅力的に伝えないと、話し相手には飽きられちゃうんですよ(笑)。

そもそも大学院時代から、自分のやりたいことを説明し、自ら発信していかなくては生き残れないという危機感がありました。ですから、コミュニケーション力の大切さは早くから痛感しておりましたが、米国での実践でさらに鍛えられました。

研究者どうしで話すときにも、一般の人々にビッグバンやヒッグス粒子について語るときにも、その経験が今でも役立っています。

聞き手は藤川良子(サイエンスライター)。

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130507