謎めいた元素アスタチン
Nature Chemistry 5, 246 (号) | doi:10.1038/nchem.1580
アスタチン(At)は寿命が短いために研究が難しい元素だが、有用な標的放射線治療に利用するためには、その化学的性質の理解が不可欠だと、ワシントン大学のD. Scott Wilburが指摘する。
85番元素アスタチン(At)は発見から70年以上経つ1にもかかわらず、その特性はまだ多くが謎に包まれている。他のハロゲン元素が自然界に広く豊富に存在するのに対し、Atは全ての元素の中でも最も希少な部類に入る。それはAtが安定同位体を持たないからで、32ある既知の放射性同位体中、最も寿命が長い210Atでさえ、その半減期はわずか8.1時間しかない。こうした希少性と放射性が相まって従来の感覚での観察や計量ができないことから、Atの謎は一向に解き明かされていないのである。実はその色すら分かっておらず、フッ素(F)からヨウ素(I)までのハロゲンが、原子番号が大きくなるにつれて色が濃くなっていくことから、Atは論理上「黒色」ではないかと予想されているだけなのだ。

Credit: DON HAMLIN
「アスタチン(astatine)」という名前は、ギリシャ語で「不安定」を意味するαστατος(astatos)が語源であり2、その名前からも希少性がうかがえる。自然界に微量に存在するAtは、地殻中の放射性重元素の崩壊に由来し、その総量は常に数百mg3から30 gの間と推定されている。いずれにしても、天然のAt同位体は非常に不安定なため、入手して特性評価を行うことは困難だろう。だが幸い、最も寿命の長い2つの同位体210Atと211At(半減期7.21時間)は、ビスマス209(209Bi)ターゲットにα線を照射することによって人工的に作ることができる[写真はアルミニウム(Al)支持体上の209Biターゲットを示す]。
しかしながら、これらの同位体は少量でしか作ることができない4。その上、寿命が短くコストもかかるため、Atの研究はかなり限定的なものとなっている。これら2つの人工同位体のうち、主に化学的研究の対象となっているのは医学分野での活躍が期待されている211Atで、もう一方の210Atは、崩壊すると悪名高いポロニウム210(210Po)になってしまうため、医療用としては不適当である。2006年に、英国に政治亡命したロシア連邦保安庁の職員Alexander Litvinenkoが毒殺されたが、そのときに使われた放射線毒物がこの210Poだったのだ。
At同位体の物理的特性の多くは推定にすぎないが、化学的データは幾分蓄積されてきた。他のハロゲンと同様、Atも求核反応や求電子反応を起こすが、その反応再現性には大きなばらつきがあり、その理由の1つは、存在するAtの量が少なく希釈度が高くなってしまうためと考えられる。化学反応や放射性標識反応に用いられる211Atの量は37 kBq~4 GBq程度で、これはそれぞれ、約4.8×10−13~約5.2×10−8 gの211Atに相当する。しかしながら、上限である10−8 g台の211Atが使用されることはめったにない。コストがかかる上に標識される分子が放射線損傷を受ける可能性があるからで、ほとんどの場合、反応系に存在する211At量は10−13~10−9 g台にとどまり、溶媒に含まれる痕跡量の有機種や金属よりも少ないこともあるのだ。そのため、研究対象の反応が不純物によって邪魔される可能性があり、不純物が予想外の反応経路を触媒する可能性も否定できない。
前述のように、医学分野で211Atへの関心が高いのは、がんの全身性標的療法に利用できる可能性があるからだ。α線放出同位体のほとんどは内臓器官に重度の損傷をもたらす可能性があり、医療用に適していると考えられるのはわずか数種類しかない5。211Atはそのうちの1つなのだ。211Atから放出されるα粒子は、飛程が短く(60~90 μm)、エネルギーが高い(6.0~7.5 MeV)ため、キャリア–標的薬剤と結合した細胞を殺すのに極めて効果的である6。体内における芳香族炭素とAtとの結合の安定性が低いことが実用化の大きな障害となっていた7が、それより安定な芳香族ホウ素–At結合を持つ標識試薬が開発されたため、状況は改善された。また、他の元素との結合を評価する研究がもっと進めば、さらなる進歩が見込まれるだろう。
体内での安定性を確認するためには、同じがん標的分子を211Atと放射性I(125I、123Iまたは131I)で標識して、それらを同時に注射すればよい。211Atの濃度は各組織で異なるため(肺、脾臓、胃、甲状腺で高い)、その結果が、キャリア分子から211Atが放出されたかどうかの指標になるのだ。しかしながら、そうした研究の結果、胃と甲状腺での濃度が低く、211Atと125Iが共に体内での脱ハロゲン化に対して安定であることが示唆されたとしても、腎臓や肝臓など別の器官では2つの元素で全く異なる濃度が観察されるかもしれない。これは、放射性ヨウ素化分子とアスタチン化分子の代謝の違いに起因する可能性が高いが、あるいは放射性ヨウ素化代謝物が優先的に排泄されることが原因とも考えられる。
がんやその他の疾患の治療用にこうした標的治療法の開発が進められている中、残念ながら211Atの基礎化学研究については、多くがないがしろにされてきた。その物理的特性の一部は、恐らく今後も直接評価ができないままだろう。けれども、その基礎化学的・放射化学的特性の理解を深め、Atの謎を解き明かす必要があることは言うまでもない。
著者紹介
D. SCOTT WILBURは、ワシントン大学放射線腫瘍科に所属。
参考文献
- Corson, D. R. et al. Phys. Rev. 58, 672–678 (1940).
- Corson, D. R. et al. Nature 159, 24 (1947).
- Kugler, H. K. & Keller, C. (eds) Astatine 10–14 (Gmelin, Handbook of Inorganic Chemistry series, 1985).
- Zalutsky M. R. & Pruszynski, M. Curr. Radiopharm. 4, 177–185 (2011).
- Wilbur, D. S. Curr. Radiopharm. 4, 214–247 (2011).
- Hall, R. J. & Giaccia A. J. Radiobiology for the Radiologist 6th edn, 106–116 (Lipincott Williams & Wilkins, 2006).
- Wilbur, D. S. Curr. Radiopharm. 1, 144–176 (2008).