生涯功績賞(Lifetime Achievement)

大沢 文夫
1944東京大学理学部物理学科卒
1944〜1950名古屋大学理学部助手
1950〜1959名古屋大学理学部 助教授
1959〜1986名古屋大学理学部 教授
1968〜1986大阪大学基礎工学部教授併任
1973大阪大学基礎工学部教授
名古屋大学理学部教授併任
1986〜大阪大学、名古屋大学、定年退官
大阪大学、名古屋大学名誉教授
1987〜1995愛知工業大学教授
1995〜愛知工業大学客員教授
1995〜日本学士院会員

統計力学を学んだあと、コロイドや高分子電解質の理論的研究をしていたが、1954年筋肉の収縮機能に関わるたんぱく質「アクチン」の重合体形成現象の実験的解析に着手、モノマーとポリマーの動的平衡を解明。以降、生物物理の研究者としての独自の大きな業績は、タンパク質機能、タンパク質重合体形成から高分子相互作用・電解質論と異分野にまたがる。生物運動については分子レベル(「1分子生理学」の創始に貢献)から細胞運動(非筋細胞からの最初のアクチン抽出精製に貢献)、さらに高次機能の生物行動にまで広がっており、「曖昧さ」や「ゆらぎ」の重要性を独自の視点から指摘するなど、厳密な理論家でありながら、余韻を持たせた(受け取る側に考える自由度を与えるような)メッセージを提示している。生体分子機械の自由エネルギー変換の出入力関係は一定ではないという「ルースカップリング」説を1982年以降提唱。現在、世界的には堅い機械的「タイトカップリング」の考え方が強固に主張されている。

私は1950年末、28才のときに研究室を主宰する立場となった。以来、「良きメンター」でありたいという意図をもって年月を経てきたわけではない。ふりかえってみて私が研究室でどういうやり方をとってきたかというと、第一に常に自分自身のオリジナルな考え方によっておもしろい研究を自分で楽しくつづけてきたことである。その状況をまわりのみんなが見ている。

第二に、常に若い学生、研究者達のオリジナルな考えや提案を大切にしてきたことである。そのオリジナリティに決してケチをつけたりしない、そんな考えは私がすでに考えていたことであるなどと云ったりしない。(ときには「私のアイデアで院生にこれこれの実験をやらせて……」と話す先生がいる。それはまずい。)彼らがデータを出している途中で討論を強要はしない。待っている。仕事の早さで能力の評価に差をつけない。おもしろさが最大のポイント。おもしろさについての感度が大切。

歴史的に実情を列記すると、アクチン協同研究(大沢、大井、今井、朝倉ら)からひきつづいての数年(葛西、御橋ら)(1954〜1962)の時代はメンバー間は以心伝心の状況にあった。次の非筋肉アクチンの仕事(1961〜1966)では私が対象(粘菌とウニ)を決め、実験は新しく加わった生物出身の秦野、能村が行った。その抽出精製法についての基本的アイデアは彼らによるもので、他のメンバーのアイデアも有効に働いた。次の朝倉のバクテリアべん毛再構成実験(1964〜1970)は彼ひとりで開始し完成したものであるが、アクチンの場合の朝倉・葛西の仕事の経験があった。この朝倉の実験の絶好調の時代に大学院生となった宝谷らは最も良き古典的師弟関係にめぐまれた。

藤目がわれわれのグループに加わるとき(1967)、私はアクチンフィラメントのやわらかさに興味があると話した。彼は準弾性光散乱法の装置を自作し、やわらかさを測定することに成功した(1970)。光学顕微鏡を用いる研究はべん毛一本の観察(宝谷・嶋田)(1974)に始まり、アクチン‐ミオシン複合体一本(朝倉・長島)(1978)を経て、アクチンフィラメント一本(柳田)(1984)に至った。名大、阪大を通じての研究室メンバー間のつながりによって発展し、さらに柳田グループの1分子ナノ計測、ナノ操作法開発に発展した。このとき石渡研(早大)→柳田研(阪大)→のラインで多くの優秀な研究者が育った。この例ばかりでなくいろいろのラインで次々の世代の研究者が生まれている。

私の場合の特徴は、第一に多くのすぐれた女性研究者が生まれたことである。1962年当時すでに研究グループの約1/3は女性であった。研究グループのみんなが男女の区別をほとんど意識していなかったことがよかったと思う。(子を育てているときの負担は当然考えての上である。)

第二に外国で多数の研究者が“Inspired”ということばを私に対して使う。1970年代前後かなりの数の外国人研究者がわれわれの研究室に滞在した。特定のテーマの研究のためというより、われわれのグループの雰囲気にふれたかったようである。

もう一つ、大沢牧場という俗称がみなさんに受け入れられている。ありがたいと思う。そこには多様なバックグラウンド、経歴、考え方をもつ人々がいて、いろいろのテーマのおもしろい研究をグループで、あるいは単独で行なっている。牧場という言葉には、その境界ははっきりしていなくて、出入り自由であるという状況が表現されている。

私の採ってきたやり方にはポジティブな面とともにネガティブな面も多い。にもかかわらず、ポジティブな面を生かして、多くの独創性豊かで優秀な研究者達が育った。第二線で地味な研究をつづけている研究者達がいる。彼らの仕事は何年も経てから、高く評価される日が来るかもしれない。高校・中学の先生として活動している人達がいる。企業の研究所などで貢献している人達も多い。これは私にとって非常に幸せなことである。

プライバシーマーク制度