謎の甲殻類「Y幼生」の人工変態に成功
2008年6月26日

1899年に初めて記載されたY幼生は、甲殻類プランクトンの一種で、現在までに成体が全く知られておらず、甲殻類としては唯一幼生をもとに分類されている。滋賀県立琵琶湖博物館のマーク・J・グライガー総括学芸員は、コペンハーゲン大学のジェンス・T・ホイグ博士とヘンリック・グレンナー博士、琉球大学の藤田喜久博士らとともに共同研究を行い、このほどY幼生を人工的に幼体に変態させることに成功した。
Y幼生は、発生学的、形態学的、分子生物学的な研究から、甲殻綱(Crustacea)・顎脚綱(Maxillopoda)の鞘甲亜綱(フジツボ亜綱: Thecostraca)・彫甲下綱(Facetotecta)に属し、蔓脚類(フジツボ類およびカニなどに寄生するフクロムシ類)およびヒトデやサンゴなどに寄生する嚢胸類といった同じ鞘甲亜綱の幼生とよく似ているが、これまでのDNA配列の解析から、Y幼生は蔓脚類や嚢胸類ではなく、系統発生学的には近いグループに入るとされている。また、Y幼生の典型的な種は、5段階のノープリウス幼生期と1段階のキプリス幼生期を経ることが明らかになっている。
かつてY幼生は発見されにくく、珍しい甲殻類と考えられていたが、1980年代に京都大学瀬戸臨海実験所の故・伊藤立則博士が和歌山県の田辺湾で多くの種を発見し、キプリス幼生期の段階まで飼育して研究しており、その標本は嚢胸類の共同研究を行っていたグライガー総括学芸員が引き継ぐ形になった。
現在は熱帯から北極海など世界の海で見つかるが、とくに沖縄には種類が多く、今回の研究でも瀬底島周辺のサンゴ礁域で採取したY幼生が用いられた。
グライガー総括学芸員らのグループは、キプリス幼生期のY幼生に甲殻類脱皮促進ホルモンを投与、すると約0.3mmの幼体と思われる形に変態した(写真)。研究グループでは、この幼体を"Y"のギリシャ語読みの「イプシロン」にちなんで「イプシゴン」と命名。ただし、キプリス幼生が持っていた触角や複眼、筋肉の一部、6本の足はなくなり、体節を持たないナメクジのような形態だった。グライガー総括学芸員は「当初キプリス幼生期のY幼生は、やはり生活史が明確でないヒメヤドリエビのタンチュルス幼生と非常に似ているため、ヒメヤドリエビの仲間ではないかと考えていたが、体節を持たないイプシゴン幼体が現れたので驚いた」と話す。
また、イプシゴンはカニなどに内部寄生する甲殻類の一群であるフクロムシ類のケントロゴン幼生(キプリス幼生の次の段階)の一部であるバーミゴンとよく似ており、「薄い皮膜を持っているが、柔らかく、内臓は完成していないので、そのままでは海水中で生きることはできないだろう。おそらく脱皮の前にキプリス幼生がかぎ(フック)を持つ触角と口器(上唇)で宿主に取り付き、触角の間から脱皮するとき宿主の体内に入って内部寄生するのではないか」とグライガー総括学芸員。
なお、フジツボなどを使った実験によって、甲殻類脱皮促進ホルモンを使って変態した幼体は自然に成長した幼体と極めてよく似ていることが明らかになっており、今回の実験ではY幼生のキプリス幼生期のすべての細胞がイプシゴンに入っていることが確認されている。
グライガー総括学芸員らの次の目標は、イプシゴンを飼育して成体にすること。「カビなどに気をつけながらシャーレで飼育するか、甲殻類に入れてみて育ててられれば。また、ロシアの白海や沖縄のY幼生の数種類はDNA配列が解析されていて、それをマーカーとして宿主を探すこともできるかもしれない」。すでに見つかっている内部寄生する生物がY幼生の成体である可能性もあるため、文献でイプシゴンに似た特徴を持つ生物をピックアップする方法も考えられる。
琵琶湖博物館には、この研究などで採取した40種以上のY幼生の世界最大のコレクションがある。Y幼生の成体の姿や生活史の謎を解くひとつの扉が開かれた今、研究の次のステップが待たれるところだ。
小島あゆみ サイエンスライター