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遺伝子と遺伝子を区切る「壁」の実態がみえてきた!

2008年4月10日

東京工業大学大学院生命理工学研究科
白髭 克彦 教授

コヒーシンとCTCFタンパク質によるインシュレータのモデル。ゲノムの一部をループで区切ることにより、ある特定の領域を隔絶することが可能になる。 | 拡大する

ヒトの遺伝子は約2万個あると推定される。正常な発生と成長は、これらの遺伝子が、独立性を保ちつつ、必要に応じて協調することで可能になる。つまり、状況に応じてさまざまな遺伝子のオンとオフのスイッチが切り替わる必要があるが、その際に遺伝子どうしが干渉しあうのを防ぐしくみが必要だと思われる。そのようなしくみの一つとして「インシュレーター(区切り壁)」とよばれる構造の存在が想定されていたが、その実態は謎であった。今回、東京工業大学大学院生命理工学研究科の白髭克彦教授は、インシュレーターの構築にコヒーシンとよばれるタンパク質が重要であることを突き止めた。

インシュレーターは、遺伝子の情報をmRNAに転写する際に「どこからどこまでの配列を写しとるか」を決める役割を担っていると思われる。つまり、インシュレーターの機能によって、遺伝子の発現領域が明確に定められ、不要な領域が発現しないように制御されることになる。一方、コヒーシンは、細胞分裂の際に娘細胞にゲノムを正しく分配するためにはたらくタンパク質として知られるもの。酵母からヒトにまで広く保存されたタンパク質で、コヒーシンをまったくもたない個体は生存することができない。

「実は、私たちはインシュレーターの解明を目指していたわけではなく、コヒーシンの機能の解析を進めていたところ、偶然にもインシュレーターにたどり着いた」。白髭教授は、今回の成果について、そうコメントする。リング状の構造をもつコヒーシンは、リングの穴のなかにDNAが通るようなかたちで染色体を束ねていると考えられており、白髭教授は、ヒトでのコヒーシンタンパクの構造と機能を調べる過程で、インシュレーターとしての機能を果たすことを突き止めた。

これまでに白髭教授は、出芽酵母による解析で、ある遺伝子の転写がはじまると、コヒーシンはその転写領域を避けるように移動すること、細胞が分化したり熱処理を受けたりすると、そのたびにコヒーシンがDNAの結合部位を変えることなどを突き止めていた。

今回は、ヒーラ細胞やリンパ球、繊維芽細胞などを用いて、コヒーシンがどのようなふるまいをみせるかを調べた。解析には、自らが開発したヒトゲノム用の「チップ-チップ法」を用いた。チップ-チップ法は、マイクロアレイ上で出芽酵母などのタンパク質がゲノムのどこに結合するかを調べる手法だが、これまで、ゲノムサイズが大きく構造が複雑なヒトゲノムには使えなかった。白髭教授は、東京大学の油谷教授とともに、微量のDNAを偏りなく増幅可能な方法論を開発し、ヒトゲノム上でもタンパク質の結合部位を90ナノメートルという高解像度でとらえる手法を実現していた。

その結果、ヒトでは、コヒーシンがインシュレーターの構成要素とされるCTCFというタンパク質と同じ場所に存在していることがわかった。「コヒーシンの結合する場所はCTCFに依存しており、コヒーシンを欠損すると、CTCFを欠損した場合と同じ影響がみられた」と白髭教授。さらに、CTCFは「遺伝子発現の刷り込み」にも関わっていることが示されていたが、コヒーシンにも同様の機能がみられることを明らかにした。「これまでの一連の結果から、コヒーシンが細胞の状況に応じてDNAの結合部位を変え、遺伝子の発現を調節していると断定できた。つまり、コヒーシンはインシュレーターの構成要素としてもはたらいており、その機能はCTCFよりも重要らしい」。白髭教授は、そう結論づける。

白髭教授は、ヒトゲノム上の計1万3000箇所にコヒーシンによるインシュレーターが作られることを確認し、それぞれがどのような塩基配列からなっているのかを調べている。今回の成果の応用として、「遺伝子治療の際に、目的の遺伝子だけを安定して発現させるためにインシュレーター配列を付加することが不可欠になるだろう」とコメントし、「ヒトで実用に堪えうるインシュレーター配列はまだないので、今回発見した候補配列を一つずつ精査して行く必要がある」と続ける。

インシュレーターのなかにはコヒーシンを含まないものがあるかもしれず、実態の解明にはまだ時間が必要だ。「インシュレーターにかかわらず、染色体の上でおきるあらゆる現象を詳細に調べ上げたい」。そう話す白髭教授は、実験とシミュレーションによるさらなる解析を続けている。

西村尚子 サイエンスライター

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