網膜の網目(あみめ)の形成を制御する物質を発見
2008年3月27日
自然科学研究機構・生理学研究所 広報展開推進室
小泉 周准 教授


網膜に集中する神経細胞には、例えば「物体の縁に反応する」「動いている物体に反応する」というように、種類によって機能が違い、また形も異なるという特徴がある。さらに、これらの神経細胞は種類ごとに独立した層として存在しており、ひとつの層では神経細胞の細胞体が整然と配置され、樹状突起が四方八方にまんべんなく伸びて、モザイク模様を形成する。これが網膜の名前の由来になっている。
自然科学研究機構・生理学研究所の小泉周准教授は、この網膜の美しさに魅せられ、モザイク模様や層がどのように形成されるのかを研究してきた。
「神経細胞が整然と並ぶ網膜はデジタルカメラのCCDとよく似た構造で、すべての部分でまんべんなく光を受け取ることができるというメリットがあり、機能的にもすぐれている。網膜の神経細胞ひとつずつにCPUがついているようなもので、光の情報を一気に分割して、お互いに干渉せずに並列情報処理をし、その結果が一本化されて中枢に伝わる仕組み」と解説する。
最近、米国ハーバード大学医学部とジャクソン研究所の研究チームとともに、網膜の神経細胞の網目の形成には、Dscam(Down syndrome cell adhesion molecule:ダウン症細胞接着因子)というタンパク質が重要な役割を果たしていることを報告した。
研究チームではすでに自然発生的にDscam遺伝子が変異するマウスを発見しており、このマウスでは、網膜の神経細胞のうち、アマクリン細胞の並び方が乱れることから、今回の研究ではその分析を詳細に行った。
アマクリン細胞の中でもとくにDscamが発現するドーパミン性アマクリン細胞を蛍光染色すると、野生型マウスでは細胞がきれいに並び、樹状突起がまんべんなく伸びて細かい網目を形成しているのに対し(図上)、Dscam遺伝子変異マウスでは細胞の並び方がランダムで規則正しく並ばず、樹状突起が絡み合って束になっていた(図下)。「正常な網膜では同じ種類の神経細胞は一定の距離をあけて分布するが、Dscamがないと、仲間の細胞とある一定の距離を離れることができなくなるのではないか」と小泉准教授。
「Dscamはハエでは多くの種類があり、細胞認識に使われることがわかっている。一方、哺乳類では種類が限られており、これまでその役割はよくわかっていなかった。ダウン症細胞接着因子という名前の通り、ダウン症では過剰に発現しているとされるが、網膜で神経細胞の並び方に関わるように、脳でも何らかの機能を持ち、それがダウン症と関係する可能性があるかもしれない」。
網膜で神経細胞が整然と配置される過程には、①何かの物質によって正しい位置に誘導される、②ランダムに並んだ後、細胞同士の距離が近すぎる場合には一部の細胞がアポトーシスを起こす、という2つの説が考えられ、小泉准教授は②と推測している。「野生型マウスではドーパミン性アマクリン細胞の量が倍以上に増えた後、生後10日目から細胞が死んで数が減り、モザイク模様ができる。一方、Dscam遺伝子変異マウスでは細胞の数が変わらない。Dscamは外側に免疫グロブリン様の構造を持っているので、そこに別の細胞が接着するとアポトーシスを起こすよう指令を出すのではないか」と予想する。
今後は網膜の神経細胞を培養して、細胞の機能や構造と並び方が関係するのかについても研究する予定だ。
小泉准教授は2007年10月にハーバード大学医学部の研究員から現職に転じ、現在、生理研から出た論文をダイジェストしてプレスリリースを書いたり、生理研を紹介するニュースレターを一般の人が読みやすいように写真やイラストを中心に編集したりと新しい仕事に挑戦中。岡崎市教育委員会などと連携し、小中学生の理科教育に関わる計画もある。このように最前線の研究者が職務としてサイエンスコミュニケーションに携わることは珍しく、研究者のこれからのキャリアパスのひとつとしても注目が集まる。
5年間住んだボストンは多くの有名大学や研究機関があることもあり、「ハンバーガー店の壁に数式が書かれているくらい、科学と市民が近い街だと感じた」という。科学館の展示の充実ぶりにも驚いた。「研究や広報の仕事を通じ、一般の人に人間のからだの不思議にロマンを感じてもらえればうれしい」と小泉准教授は抱負を語っている。
小島あゆみ サイエンスライター