Nature Careers 特集記事

科学技術の社会的影響、中でもリスクをめぐる動きが活発になっている

2006年3月30日

研究者や技術者は社会と無縁ではいられない

科学技術は豊かな生活を実現し、病気の治療法の開発などの恩恵をもたらす一方で、政治、経済、社会に影響を及ぼし、さらには生命をも操作する。その化学的安定性から「夢の物質」といわれたフロンがオゾン層破壊をもたらし、遺伝子治療を受けた子どもたちの一部が白血病になったというように、科学技術の導入によって新たなリスクが生じることを私たちは経験してきた。現在も、遺伝子組換え作物は人体や環境に悪影響を及ぼさないか、ナノテクノロジーで作り出される超微粒子の材料はアスベスト同様、吸引によって病気を引き起こさないかといった懸念が指摘され、不安を感じている人々は多い。

今年4月から5年間推進される国の第3期科学技術基本計画では、「社会・国民に支持される科学技術」がテーマとなり、科学技術が及ぼす倫理的・法的・社会的課題への責任ある取り組み、科学技術に関する説明責任と情報発信の強化、科学技術に関する国民意識の醸成などが謳われている。

科学技術の研究成果やリスクの公開は強く望まれており、研究者や技術者は社会と無縁ではいられない。

関係者の相互理解をベースにしたリスク対策が主流に

科学技術をはじめとする人間の活動によって生じるリスクを分析し、コントロールしていく手順には、一般に

  1. 科学をベースにしたリスク評価(リスクアセスメント)
  2. それを踏まえて政策として講じられるリスク管理(リスクマネジメント)
  3. 関係者間のリスクコミュニケーション

という要素がある。科学技術のリスクといえば、環境や人体への影響がクローズアップされがちだが、現在では、政治的、社会的、経済的、法的、倫理的なリスクにも目が向けられ、リスク対策を決めるプロセスの透明性や開放性も求められている。

京都女子大学現代社会学部の平川秀幸助教授(科学技術社会論)によると、リスク対策の形は、研究者や技術者が政策に関わるデータを出し、政府が規制し、利害関係者が各自で利益を守ろうとする「トップダウン型」から、何を分析して政策決定につなげるのか、という最初の段階にも市民がかかわる「相互信頼型」に変わってきたという。さらには「その研究や技術がほんとうに世の中に必要なのかも吟味・検討されるようになってきた」と平川助教授。

ナノテクノロジーの影響のように将来のリスクについて専門家さえも明確な判断材料を持たないケースでは、とくに関連地域に住む市民がどう感じるかを尊重して、常識的な判断をしようとする流れが強い。国際基督教大学大学院の村上陽一郎教授(科学史、安全学)は「かつては対立するとも見られたことがある科学的合理性と社会的合理性が、協働して公共空間における意志決定にあたる時代になりつつある」と説明する。

参加型技術評価(PTA:participatory technology assessment)やコンセンサス会議といった言葉が一般化してきたことからも、この傾向ははっきりしているといえるだろう。コンセンサス会議は1980年代にデンマークで国会に属する技術委員会が設けた技術評価を行う会議が最初で、専門家パネルと公募による市民パネルが質疑応答を通じて合意形成した結果を公表するもの。世界各国に広がりつつあり、日本でも98年に遺伝子治療、99年に高度情報化社会、2000年に遺伝子組換え食品の導入に関して、このような形式を採用した会議が開かれた。

リスクを最小限にするための予防原則

科学技術の社会への応用に際して、ひとつの指針となっているのが「予防原則」だ。予防原則にはさまざまな解釈があるが、92年の国連開発環境会議(地球サミット)で採択されたリオ宣言第15条「事前警戒アプローチ」がひとつの目安となる。「重大かつ不可逆的な損害が生じるおそれがある場合には、完全な科学的確実性が欠けていることを理由に、環境破壊を防止する費用対効果の高い予防的措置をとるのを延期すべきではない」という文言で、「環境リスクが考えられる場合には、完全な科学的データがなくても、予防的措置を遅らせてはいけない」という意味。この考え方は気候変動枠組条約や生物多様性条約にも盛り込まれている。

一方で、「完全な科学的データがなくても、悪影響が懸念されるならば研究や技術の導入そのものをストップして、予防的措置を行わなければならない」といった、より厳しいとらえ方をする人たちもいる。

文部科学官僚として遺伝子組換えや生命倫理のルール作りにかかわった菱山豊氏(日本学術会議参事官)は、「生命科学分野では世界各国で独自のガイドラインが整備されており、今の段階で研究をストップする形で環境分野における予防原則を取り入れるのには研究者たちは反対している。ただ、ガイドラインの作成に際し、各国の研究者や行政官はリスクを最小限にし、便益を最大限にするというリスク対策を講じるのは当然と受け止めていた印象がある」と語っている。

世界がリスク対策に乗り出した遺伝子組換え作物の導入

リスク対策はトップダウン型から相互信頼型へ。 | 拡大する

90年代からの遺伝子組換え作物の導入では、雑草化による生態系への影響や食品としての安全性などへのリスク対策が世界的に大きなうねりを見せた。

「イギリスなどヨーロッパでは研究者や技術者や行政、議会が動き、予防原則も取り入れながら、環境影響を見るための試験栽培、専門家による生体や経済への影響の評価、商業栽培が始まってからのモニタリング、栽培規模の段階的な拡大、市民との意見交換会が時間をかけて行われた」(平川助教授)。

日本でも先に述べたように農林水産省主催のコンセンサス会議が開かれた。また、2005年3月の『北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例』の公布にあたり、「遺伝子組換え作物の栽培試験に係る実施条件検討会」に研究者や技術者、農協、消費者団体などさまざまなステイクホルダーが参加し、一定のコンセンサスが作られた。「その決定過程では研究者や技術者と市民、科学技術社会論の研究者がひざをつき合わせて行った非公式な会議も影響した」と平川助教授は話す。

食品安全に関しては、国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が設置した政府間機関コーデックス委員会の原則が世界的に採用されつつある。そこでは政策決定にあたり、リスク評価に先だってリスク評価者とすべての利害関係者で協議し、リスク管理者がリスク評価方針を決めることといった点が明示されている。

ナノテクノロジーでは安全性の標準化が国際競争に

新しい科学技術として注目されるナノテクノロジーの分野でも、ナノ材料の体内への侵入の可能性や毒性などのリスクを含め、社会的影響を探る体制が取られ始めた。

経済協力開発機構(OECD)が持つ化学品プログラムでは昨年ナノ材料の安全性に関するセッションが開かれ、ほぼすべての加盟国とNGOの参加のもと、健康・環境影響のデータの状況、各国の戦略が発表された。

アメリカでは、環境保護庁(EPA)がすでに12の大学での研究を支援しており、今年から民間企業やNGOによるナノ材料安全性評価管理に関するプログラムを始める予定。国立労働安全衛生研究所(NIOSH)でも労働環境におけるナノ材料のリスク評価などのプログラムが進行中だ。

2000年に始まった「国家ナノテクノロジー戦略」では、年間10億ドルの資金をナノテクノロジーの研究開発に分配し、その1割を環境、生体、経済などの社会的影響に関する取り組みに充てているとされる。ただ、物質・材料研究機構ナノテクノロジー総合支援プロジェクトセンター主幹研究員の竹村誠洋氏によると、その中には医療用や環境浄化のための研究費用も含まれ、純粋にリスクなどのネガティブな影響に関する取り組みに対しての費用は実際はその約10分の1という。「アメリカですら社会的影響の研究はまだまだ足りないというのが多くの安全衛生関係者の認識」(竹村氏)。

一方、ヨーロッパでは、どちらかといえば、科学研究そのものよりも、技術評価の方が目立ち、その中にはイギリスのNano Jury(ナノ・ジュリー)に代表される、市民パネルが含まれる。Nano Juryはさまざまなバックグラウンドを持つ「市民陪審員」がナノテクノロジーの未来やその役割について聞き、勧告(recommendations)を作る試みで、ケンブリッジ大学ナノテクノロジーに関する分野横断型共同研究プログラム Interdisciplinary ResearchCollaboration (IRC) in Nanotechnology、環境保護団体グリーンピース、ニューキャッスル大学 Policy, Ethics and Life Sciences Research Centre、ガーディアン紙が出資。昨年9月に研究の透明性確保、健康や環境を守ることにより尽力する、といった20の勧告を出した。

日本では、ここ2年でとくに行政の動きが活発だ。昨年から1年の研究期間で始まった文部科学省の「ナノテクノロジーの社会受容促進に関する調査研究」では、産業技術総合研究所がナノマテリアルのリスク管理手法を、国立医薬品食品衛生研究所が健康影響を、国立環境研究所が環境影響を研究するなど5つのワーキングループが動いている。経済産業省は「ナノ粒子の安全性評価方法の標準化」の研究を支援しており、厚生労働省は今年度から「ナノマテリアルのヒト健康影響の評価手法の開発に関する研究」をスタートさせる。

ただ、ナノ材料はまだ生産量が少なく、ほとんどの場合添加剤としてほかの材料と混ぜて使われることから、現時点ではナノ材料が直接人体に取り込まれる可能性は極めて小さい。また有害性に関する実験データも少なく、今までに出てきたデータだけではリスク評価や規制がしにくい。「ナノ材料の本格的な規制ができるのにはあと5年はかかるだろう。その間にナノテクの事業化が進むと同時にリスクに関するデータも増えて、期待と不安のギャップが広がる可能性がある」と竹村氏は語る。

現在の世界的なテーマは、材料や評価方法の標準化だ。例えば同じ「ナノチューブ」でも成分や大きさ、形状、使用状況が異なれば、影響を比較できないため、標準化が必要なのだ。アメリカでは米国試験・材料協会(ASTM)が標準化の取り組みに安全衛生指標を入れるという異例の体制で検討を始め、国際標準化機構(ISO)などと連動した標準化を目指している。安全性を含めた国際標準はナノ材料の国際競争の行方を左右することになる。「国際競争に勝つにはスポーツの国際大会と同様に、いい選手(=製品・技術)を育てるだけでなく、国際ルール(=国際標準)を押さえなくてはならない。それには産官学の連携が不可欠」と竹村氏は話している。

さまざまな組織・形態でのリスク対策が必要

多様な立場の利害関係者が最上流からリスク対策に参加する。 | 拡大する

科学技術のリスクは、研究者や技術者自らが対策に関わっていかなければならないことは自明の理だ。地球温暖化の専門家として気候変動に関する政府間パネルの作業部会にも参加した国立環境研究所の西岡秀三理事は「まずは研究者や技術者自身が専門分野はもちろん、他分野の専門家も交えて、積極的にリスクについて語る機会を持つべき」と強調する。

村上教授は、最先端の研究者が自らの研究のリスク管理を行った例として、1975年のアシュロマ会議を挙げる。これは、ハーバート・ボイヤー(Herbert Boyer)やポール・バーグ(Paul Berg)らの呼びかけで100人の遺伝子組換えの研究者がアメリカ・カリフォルニア州の小さな村アシュロマに集まり、研究に使う大腸菌がヒトの常在菌にならないよう操作する「生物的封じ込め」と細菌やウイルスの感染性や毒性に応じて実験施設を四つに区分する「物理的封じ込め」を行うこと、各国が遺伝子組換えに関するガイドラインを作ることを決めた会議だ。「研究者だけが集まって指針を決めた唯一の例だが、このときにもこの会議の規制がかからないスイスに研究拠点を移したアメリカの研究者がいた。研究者や技術者自身に自律性を求めるのは難しいとも言える」と村上教授。

たしかに国立大学法人化などの影響で成果主義が強くなっている研究開発現場においては、リスクに関心を持ち、市民とのコミュニケーションに参加するのは研究者や技術者にとって負担が大きい。

「若い人は研究に専念してもらい、リスク対策はある程度の役職以上の研究者が担うべき」(西岡理事)という意見もある。一方で、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの八木絵香特任講師(災害心理学、科学技術コミュニケーション)は「自ら社会に向けて働きかける研究者や技術者を評価すると同時に、それらの活動を積極的に推進する仕組みを学会や大学、専攻、企業など組織がシステムとして持てればいい。まずは小さいシステムでも動かしてみること自体が組織のリスク対策になるし、リスクを意識するマインドも育つ」と提案する。

大学や医療機関等にある倫理委員会や治験審査委員会は、リスクを議論する場としてもっと活用できそうだ。科学技術のリスクに関して発言を続けている早稲田大学国際教養学部の池内了教授(宇宙物理学)はこれらの委員会に関係のない分野の研究者や技術者を入れることを提案する。「今は法学や宗教学といった専門家が主だが、例えば鉄鋼の研究者に生命の問題を考えさせてみるといい。異なった学問の目で検証するのは重要」。

学会や日本学術会議などアカデミアの役割も大きい。「アメリカの憂慮する科学者同盟(Union ofConcerned Scientists)のように、科学技術政策への批判や研究者や技術者に対する懸念を発言する組織が日本にもあればいい。自分や組織の研究するテーマの社会的影響、倫理等で悩んだときに匿名で相談でき、調査を依頼できる“駆け込み寺”をつくれれば」と池内教授は話す。

リスクに敏感な研究者やリスク対策の専門家の養成が始まった

科学技術のリスク、広くは社会的影響に関して敏感な研究者や技術者、さらにはリスクの評価や管理、リスクコミュニケーションの専門家の育成も急務だ。

リスク対策には、専門分野の研究者や技術者、ほかの分野の専門家、市民をつなぐファシリテーターの存在も重要になる。実際にその役割を果たしている菱山氏も竹村氏も、「立場上自分がやらざるを得なくなり、海外で日本での状況を聞かれたり、学会などでの講演を引き受けたりするようになったが、これからはファシリテーターも必要になるだろう」と口を揃える。

このような状況に、いくつかの大学が大学院レベルの講座で応え始めている。

2004年6月に設立された横浜国立大学安心・安全の科学研究教育センターでは、文科省の大学院レベルの人材養成プログラム「高度リスクマネジメント技術者育成ユニット」を開設し、文理融合型の講義を通じてリスクマネジメントの専門家の養成を進める。とくに災害リスクを軸にしているが、「研究者や技術者が説明する確率論では市民は安心を得られない。“安心”も科学の分野にすることを目標にしたい」とセンター長の関根和喜工学研究院教授(安全工学)。同大学院には今年4月に、修士・博士の環境リスクマネジメント専攻も新設される。

池内教授は今年4月から総合研究大学院大学に移り、生命共生体科学専攻の立ち上げにかかわる。大学院の5年間で、研究者や技術者でありながら、科学技術と社会について議論できる専門家を育てるのが目標だ。

大阪大学では昨年大学院の共通教育部門として新設されたコミュニケーションデザイン・センターで、理科系と文科系の大学院生が自らの研究領域を説明することで、科学のとらえ方の違いや立場の違う相手とのコミュニケーションの難しさとおもしろさを体感している。

昨年から育成が始まった科学技術コミュニケーターとともに、科学技術に新たな視点をもたらす研究者や技術者たちの活躍が期待される。

第3期科学技術基本計画では、科学技術の成果を社会に還元する際に必要なリスク管理を合理的に行うために、安全性の評価や試験法の考案、データの収集・整理、解析など、リスク評価のための科学技術活動が重要としている。このような流れを受け、国立環境研究所ではこの4月から、研究プログラムを地球温暖化、循環型社会、リスク、アジアの4つに組み直して、リスクに関して意識的・重点的な研究プログラムの展開を目指す。科学技術の発展には「社会にほんとうに必要か」「リスクをだれが検証しているのか」「何か起こったら誰か責任を取れるのか」といった疑問が常につきまとう。

八木講師は「研究の場の安全衛生から始まって、広くは専門分野のリスクまで、あるいは一市民として、自分は安全か、リスク対策を採らなかったときに社会からの信頼、競争力、お金、命など何を失うのかを1人称で考えること」を勧めている。研究者や技術者も産業界も市民も行政も、誰もが科学技術のリスクを自分の問題として考えることが必要なのだ。

小島あゆみ サイエンスライター

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