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広がる分子イメージングの世界

2006年9月28日

主なイメージング技術の比較。 | 拡大する

生命科学の分野において、「より小さいものを見たい」という科学者の欲求は、顕微鏡を発達させるという形でかなえられてきた。そして、現在、その願いは1つの分子を観察するというところまでたどりつきつつある。一方、「生きているヒトに起こっている現象をそのままの状態で全体として見たい」という望みもさまざまな形で実現している。遺伝子から細胞、組織、生体全体までを可視化し、解析する分子イメージングの現状を紹介する。

顕微鏡の観察対象は空間プラス時間になってきた

イメージング分野のトピックスのひとつは、生体分子の機能や運動、構造の変化といったダイナミクスを顕微鏡下で1分子ごとに画像化する1分子イメージング法の発展だ。ここでいう1分子は多分子の対義語。従来の試験管などでの多分子の計測では平均値としてのデータは出てくるが、分子のダイナミクスを調べるのは難しい。細胞での観察では、まず細胞を殺さないようにし、目的の分子のみを捉えなければならず、より正確性を求めるならば、細胞周期を同期させることも必要になる。このような背景から、新たな計測法やイメージング法が求められていたが、光学顕微鏡と蛍光分子プローブの発達により、1990年代から本格的な1分子イメージング法が可能になった。

光学顕微鏡で1分子を見るためには、対象に当てて蛍光分子プローブを励起させる励起光を絞る必要があるが、現在主流となっているのは、波長の短い光を当て、2つの光子が同時に吸収されたときに観察する2光子励起法と、見たい対象の位置に、光が減衰して消滅するエバネッセント場を作る方法だ。

東京大学大学院薬学系研究科の船津高志教授(生体分析化学)は、1分子を観察しやすい共焦点顕微鏡を開発し、高感度カメラを組み合わせて、3種類のmRNA分子を入れた培養細胞を観察している。2005年には、動いているmRNA分子と止まっているmRNA分子があり、止まっているmRNA分子が動き出すまでに平均30秒程度かかること、核内から核膜孔までは数分で移動し、核外を通って細胞質に移るには10分ほどかかることなどを発見した。「世界でmRNA分子を1分子イメージング法で研究しているグループは少ないが、転写やスプライシングの際のおもしろい現象が見え始めている」と船津教授。

共焦点顕微鏡のほかにも、新しい顕微鏡が次々と開発されている。たとえば、最近発明されたCARS(coherent anti-Stokes Raman scattering)顕微鏡は、2つの光がある物質に入射した際に別の波長の光が発生する現象を生かして分子を観察できる画期的な機器だ。また、試料表面をレーザー光で走査する原子間力顕微鏡(atomic forcemicroscope:AFM)は、近年高速化が進んでいる。そんな中、今年に入って、光学顕微鏡に質量分析装置を組み合わせた顕微質量分析装置(質量分析顕微鏡ともいう)が日欧米の3社から相次いで発売された。日本の製品は自然科学研究機構生理学研究所岡崎統合バイオサイエンスセンターの瀬藤光利助教授(細胞生物解剖学)が島津製作所とともに開発したものだ。

質量分析計は気化した試料を真空中に入れて帯電させ、磁場や電場を通過させて、分子のイオンや断片を質量数や電荷に応じて分離する。1997年、瀬藤助教授はこれを生物学領域に応用できると考えた。開発者である田中耕一氏がノーベル賞を受賞する前のことだ。

質量分析顕微鏡は、生体分子の分析と形態観察が同時に行えるのが特徴。「今までのイメージングでは見たいものを見るための技術が開発されてきたが、質量顕微鏡では、“そこにあるもの”が見られる」(瀬藤助教授)。

現在商品化されている質量分析顕微鏡は、真空での分析を行うため、生体の切片を使う必要があるが、瀬藤助教授らは、すでに大気圧下で測定できる機種も開発している。この機種は生きた細胞が観察できるため、創薬やDDS(drug deliverysystem)の研究に使えるとして、製薬企業から熱い視線を注がれている。「今後の課題は感度と確度のアップ。最近、極細の水流を細胞に当てて細胞から分子を取り出す方法が発表された。細胞がほとんど傷つかない、この方法を質量分析顕微鏡と組み合わせてみたい」と瀬藤助教授は抱負を語る。

京都府立医科大学大学院医学研究科の高松哲郎教授(細胞分子機能病理学)は、97年、ラットの心臓に循環装置をつけて生かしたままで心電図をつなぎ、共焦点顕微鏡下で観察することに成功した。さらに、この装置を用いて心筋細胞同士のコミュニケーションを観察し、生体内の多くの細胞が持つギャップ結合が不整脈の原因として重要であることを報告した。ギャップ結合は細胞と細胞が接する部分にある構造で、細胞質をつなぐ通路になっており、コネキシンというタンパク質できている。このコネキシンの機能を制御できれば、不整脈の発生を抑制できる。そこで、緑色蛍光タンパク(GFP)を融合させたコネキシン遺伝子を細胞に導入したところ、ギャップ結合の機能を2光子励起によって不活性化できるようになった。この方法を応用すれば、将来、光を用いた治療が可能になるかもしれない。

現在、内視鏡と蛍光分子プローブを組み合わせ、がんの診断に使う方法を研究している。「真っ暗な腹腔内で、がん細胞だけが、あるいは正常な細胞だけが光れば、がんの見落としがなく、手術もスピードアップするはず」と話す。

この研究を共同で行っているのは、東京大学大学院薬学系研究科の長野哲雄教授(薬品代謝化学)だ。長野教授は蛍光物質の光る強度を制御する原理を解明し、NO、Znイオン、活性酸素種、一重項酸素といった検出しにくい生理活性物質を生きた細胞内で検出する分子プローブを世界で初めて開発した。長野教授はより臨床に近い研究を目標としており、「遺伝子改変マウスの製作や人工的に2本鎖RNAを導入して遺伝子の機能を阻害するRNAi(RNA干渉)などに比べると、分子プローブはその場で簡便に分子の機能を観察できる」とその特徴を位置づけている。

PETやMRIにも新技術が登場している

A6細胞の核に蛍光標識したmRNAをマイクロインジェクションし、蛍光顕微鏡で観察すると、mRNAの挙動がわかる。 | 拡大する

提供:東京大学大学院薬学系研究科船津高志教授

生体全体を非侵襲・低侵襲の条件で観察する方法としてはMRI(magnetic resonance imaging:磁気共鳴画像) やPET(positron emissiontomography:陽電子放射断層撮影)、X線撮影、CT(cumputed tomography:コンピューター断層撮影)がある。

中でも最近注目を集めているのはPETだろう。日本では、糖代謝が速いというがん細胞の特徴を生かし、FDG(F-18-fluorodeoxyglucose)を使って全身の糖代謝をイメージングするPETによるがん検診が行われている。また、12のがん種の診断については健康保険が適応されたために、PET装置は急速に普及している。

福井大学教授で同大学高エネルギー医学研究センターの藤林靖久センター長は、低酸素状態にあるがん細胞の内部に滞留する放射性Cuを用いたPET用試薬を開発した。FDGとこの試薬で同じがん組織を見ると異なる部分に反応することから、がん細胞にはさまざまな性質があることが推測される。さらに、がんは常に活発に増殖するのではなく、低酸素状態で静止した段階があることも見えてきた。また、藤林教授はがん細胞の代謝産物は通常の細胞の糖代謝で出て来る乳酸ではなく、酢酸が多いことも明らかにしている。がん細胞は古代の生物に似た代謝経路を使っていたのだ。「PETで観察できるからこそ、研究の新しい発想が生まれる」と藤林教授。10月からは、この試薬を使った臨床研究が4カ所の病院で始まる。1~2年後の結果によっては、がんの新しい診断方法の開発などに道を開く可能性もある。

脳機能研究のツールとして一般化したfMRI(functional MRI)にも、新しい波が来ている。京都大学大学院医学研究科附属高次脳機能総合研究センターでは、この春から拡散強調画像を用いた新しいfMRI法を使って研究を行っている。従来のfMRIは脳の酸素代謝や血流の変化を見ており、血管の信号を検出してしまうのが難点だが、拡散強調画像では水分子の拡散を見る。拡散強調画像MRIはすでに脳虚血の診断などに使われているが、京大では、さらに解像度を高めてfMRIを可能にした。開発に関わった、国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第七部第一研究室の花川隆室長は「神経活動に伴う細胞の物理的変化に関する信号を直接捉えているようで、より高い空間・時間解像度が得られることが期待される」と話す。

国家プロジェクトとして分子イメージング研究に取り組むアメリカとしのぎを削る日本

アメリカでは、分子イメージング研究は国家プロジェクトとなっている。2000年12月、当時のクリントン大統領が国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)がNIBIB(National Institute of Biomedical Imaging and Bioengineering)を設立する法案にサインして以降、全米の大学や研究所から専門分野を横断した形で選ばれた研究拠点には毎年200億円を超える資金が投入されている。

また、がんの分子イメージングにおいては、国立がん研究所(National Cancer Institute:NCI)が2001年に生体分子細胞イメージングセンター(In vivo Cellular and Molecular ImagingCenters:ICMICs)と小動物イメージング拠点(Small Animal Imaging Resource Program:SAIRP)を立ち上げ、大学を中心とするネットワークを作って研究を振興している。さらに、国立精神衛生研究所(National Institute of MentalHealth:NIMH)にも、分子イメージング部が設けられた。

質量分析顕微鏡でマウス小脳の切片の脂質分布を解析。グラフは測定領域内の全スペクトルを平均化したもの。5μmの厚みの切片の解析で小脳の複雑な構造が見える。 | 拡大する

提供:自然科学研究機構 生理学研究所 岡崎統合バイオサイエンスセンター 瀬藤光利助教授

現在がんの診断に使われているFDG(F-18-fluorodeoxyglucose)と低酸素状態のがん細胞のみに集積する化合物Cu-ATSMを入れたものを比較すると、同じがん組織に異なる性質を持つ細胞があることがわかる。 | 拡大する

提供:福井大学高エネルギー医学研究センター 藤林靖久教授

一方、ヨーロッパでも、今年5月にヨーロッパ分子イメージング研究所連合(European MolecularImaging Laboratories:EMIL)が結成され、研究拠点の設置と研究者の育成に乗り出している。

そして、日本でも文部科学省、厚生労働省、経済産業省で研究予算が配分され、分子イメージングに関するプロジェクトが動き始めた。

文部科学省では分子イメージングがライフサイエンス分野の重点事項に選ばれている。昨年度から分子イメージング研究プロジェクトが始まり、理化学研究所(理研)分子イメージング研究プログラムが創薬候補物質探索拠点、放射線医学総合研究所(放医研)分子イメージング研究センターがPET疾患診断研究拠点として、ともに連携しながら研究を行うことになった。

理研分子イメージング研究プログラムでは、分子プローブの設計合成、機能評価、動態応用の3つのグループが活動している。昨年3月に602の分子プローブ候補のライブラリ化を終えており、タンパクやRNAなど理研の持つ他のリソースも活用していく予定。渡辺恭良プログラムディレクター(大阪市立大学大学院医学研究科教授と兼任)によると、がんに関する抗体等を用いた研究が進んでおり、一部については来年度から臨床研究を計画している。また、理研内の仁科加速器センターと共同し、複数の核種を使って、多種類の分子を一度にイメージングする方法も研究中だ。

現在、大規模な研究施設を整備しており、来年4月を目指して共同研究や共同利用を本格化させる。「日本で稼働している130強のPET施設はほとんどががんの診断に使われており、基礎研究に使える時間が限られている。新しい研究施設は研究専用で、小動物や中動物用のマイクロPETも揃えており、これまでPETを使いたくても使えなかった研究者の人たちにもぜひ利用してもらいたい」と渡辺プログラムディレクターは話す。なお、この秋から複数の大学に分子イメージングに関する講座が企画され、理研での講義や実験も行われる予定だ。

放医研では、すでに世界標準の10~50倍以上の比放射能を持つ放射性分子プローブを実用化し、研究の中心になっている須原哲也研究員は、PETによる脳のレセプターやトランスポーターの占有率の解析から向精神薬の至適量を決定する方法を、新薬の臨床治験に導入することに成功している。昨年11月に分子イメージング研究センターが発足し、現在は菅野巌センター長のもと、がん、精神・神経疾患、分子プローブ開発・ライブラリ構築、新しい計測技術開発の4つのグループが研究を進めている。今後はMRIや蛍光といった方法を加えた融合的な研究にも力を入れていく予定だ。また、この分野の人材育成を加速するために、東北大学に分子イメージング教育コースを設置し、連携大学院として須原研究員らが放医研で分子イメージング分野の大学院教育を分担していくことも決まっている。

専門分野の横断や産官学の連携が進むことが望まれる

今年5月、蛍光からMRI、PETの研究者が集まり、日本分子イメージング学会が誕生した。初代の会長は、前述の福井大学の藤林教授だ。自らも会員であるアメリカのSMI(Society forMolecular Imaging)でアジアの受け皿が必要と言われたこと、すでに韓国と台湾に分子イメージング学会があったこと、また文科省などのプロジェクトが動いていることが設立のきっかけになったという。「分子生物学でいう“分子”、つまり遺伝子に関係する情報を使って、生体内で起こっている現象を非侵襲あるいは低侵襲で生きた状態で観察する方法であれば、蛍光やMRI、PETといった手法を問わず、医学、工学、薬学、化学といった専門分野を横断した形で融合する時期に来ていると考えた」。

また、この9月に韓国と台湾の学会と連携してアジア分子イメージング学会連合(Federation ofAsian Societies for Molecular Imaging:FASMI)を設立。アジアの研究者間の情報交換と若手研究者や学生の教育への援助を始めることになった。大型プロジェクトの開始や学会の設立によって、新しい学問分野としての認知度が高まりつつある分子イメージングだが、現場では、試薬の研究に欠かせない薬理学の専門家や、MRIやPETのイメージングを研究する物理学の専門家が足りないという。

また、医学部における、この分野の教育も今後はさらに必要になるだろう。放医研の菅野センター長は、「日本の医学部にはメディカル・フィジックス(医学物理学)の講座がないのが問題点」と話す。

京都府立医大の高松教授も分子イメージングのような複合領域を目指す医学生が育ってこないことを懸念している。「医学部の大学院には工学や分子生物学を専攻した学生が増えている。それはいい傾向でもあるのだが、臨床応用を考えたときには医学の知識は不可欠。カリキュラムがいっぱいで忙しい医学生にも興味を持ってもらいたい」と願っている。

分子プローブの臨床応用が進まない点も、日本が直面する課題のひとつ。理由は、臨床応用にあたり、医薬品と同様の治験が必要になるからだ。欧米では「極微量しか使用しない分子プローブは医薬品と同様の治験の手続きを必要としない」という“マイクロドージング”という考え方が採用されており、臨床応用に向けて大きく動き出している。

前述の東大の長野教授は、「試薬はもともと市場が小さく、メーカーは治験に医薬品と同じだけの費用をかけられない」と語る。「2004年にGE社が当時世界的な試薬メーカーであったアマシャム社を買収した。このようにイメージング機器と分子プローブの開発を同時に進めるという視点は日本にも必要」と指摘する。

専門分野の底上げと横断的な連携・融合、産官学の協力、そして教育が日本の分子イメージングの将来を握っている。

小島あゆみ サイエンスライター

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