Nature Careers 特集記事

山あり、谷ありの科学の道を歩く

2007年9月20日

Paul Smaglik
Moderator of the Naturejobs

Nature 449, 253 (12 September 2007) | 10.1038/nj7159-253a

長距離のハイキングは科学研究とよく似ている。その類似性を心底理解できたのは、今春Naturejobsのeditorを退いてから、およそ1,200キロの道のりを経て、20回の雷雨と12匹のガラガラヘビに見舞われた時である。ジョージア州からメイン州まで3,380キロに及ぶアパラチア山道の一部を歩いていると、すぐに見返りが得られるあてもないまま、行く手は常に遠いように思えた。良い風景に出会うこともなく幾日も過ぎることもあった。歩くことは、発表したり認められたりする保証もなく日々こつこつとデータを積み重ねていくことと同じように思える日々もあった。

妻と私は、多少いらいらするもの(ダニや蚊)から危険を秘めたもの(吹きさらしの尾根での風、みぞれ、あられ)まで様々な障害を経験した。これらの障害はそれぞれ仕事になぞらえることができる。「ダニ」は他人のデータを横取りしようとする仕事上の寄生虫に似ており、「ぬかるみ」は疑わしい結果が長引くことに喩えることができるだろう。そして、晴天から一瞬にして激変しうる気候は、科学者が生きる流動的な資金の世界といったところである。肯定的な比喩もある。雲の下に姿を覗かせる幾重もの青や緑の山並みの雄大な風景は、実験をしていて遂に見つけた!という瞬間のように思える。そして30キロを超える山や谷を苦もなく闊歩するような、ハイカーが時折みせる高揚は、研究生活で全てがしっくりとくるごく稀な日のように思える。

妻と私はこの経験により、山道を離れても役に立つだろう洞察力を得たが、科学者もよく理解できるかもしれない。山道でも研究室でも、他人を責めても仕方がない、うまくいかない事が毎日たくさんある。状況を受け入れて、やるべき事をやるだけなのである。

妻はハイキングというリトマス試験を考え出した。これは科学の仕事にも当てはまるだろう。朝目が覚めて、もしまた歩きたくて仕方がないとすれば、前日にどんなに風雨に打ちのめされていたとしても、歩き続けるだろう。どんなに寒くても、濡れても、痛くても、汚れても興奮の感情はおさまることはなかった。科学も同じことである。もし希望、好奇心、期待という感覚がなくなってしまったら、やめる時、もしくは別の職を探す時なのかもしれない。

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