大学と企業を渡り歩いた経験を、バイオベンチャー育成に生かす!
2007年9月13日
株式会社トランスサイエンス・キャリア
顧問 池本 文彦
今や、2人に1人が大学に進学する時代。その1割はさらに大学院にまで進み、理系に限ると大学院進学率は3割を超えるという。ところが、大学における研究ポストはそれほど増えておらず、公的研究機関では終身雇用の研究職が増えるどころか、減少の傾向をみせている。一方、ライフサイエンスやIT、環境、食品など、産業における研究者や技術者の需要は大きく、優秀な人材の確保が急務となっている。こうした状況のなか、トランスサイエンス・キャリア社は、バイオ・メディカル分野において研究者と民間企業との架け橋となるべく、ベンチャー企業などの人材と組織を育成支援している。
2005年に設立されたトランスサイエンス・キャリア社は、ベンチャーキャピタルであるトランスサイエンス社との協同で運営されている。薬理学研究者である池本文彦博士は、大学と製薬企業とを渡り歩き、2004年にトランスサイエンス社の顧問に着任。2006年からはトランスサイエンス・キャリア社の顧問も兼任している。「トランスサイエンス社は160億円のファンドを国内外の52社に投資しており、トランスサイエンス・キャリア社の方は発足からわずか2年で経営幹部層を含め70人を超える人材を紹介してきた」と池本博士。人材の紹介先は、創薬ベンチャーからバイオインフラ企業、コンサルティングファームと多岐にわたり、着任ポストも代表取締役CEO、開発本部長、社長室長、薬理部長と実にさまざまだという。
1961年に神戸大学理学部生物学科遺伝学教室を卒業した池本博士は、自活していくためにやむを得ず製薬企業に就職したという。その後、大学での研究が捨てきれずに、製薬企業に籍を置いたまま大阪市立大学医学部の研究生となり、病態発生機序における細胞の能動輸送系障害の意義についての研究をテーマとし、1972年に医学博士を取得。1977年に製薬企業を退職し、同大学医学部の講師に就任して以来、レニン・アンジオテンシン系の研究で成果を上げ、助教授までを務めあげたが、1989年に依願退職した。1990年からは万有製薬株式会社つくば研究所創薬研究所の副所長、取締役開発研究所長などを歴任し、2004年の退任後にトランスサイエンス社顧問となり現在に至る。
「好きな生き方をして、さまざまな経験をしてきたので、少しでもご恩返しをしたい」。自らを「珍種の存在」と語る池本博士は、現職への思いをそう話す。一攫千金を狙ったバイオベンチャー設立ブームは記憶に新しいが、安定した経営が行えている企業はきわめて少ない。「私は利益のみを追うことはせず、大企業では難しい特化した領域を発展させることに貢献したい。利益は社会への貢献についてくるといわれている。大企業とベンチャーは競合ではなく共存できるはずだ」とも話す。
さらに池本博士は「研究者はアカデミックなサイエンスと、サイエンスを生かす事業とを区別して認識しなければならない」と主張する。研究を事業に結びつけるのは、発端となる基礎研究を行った研究者だけでは不可能で、医療応用の実現までを事業として考える企業や人材にうまくバトンを渡す必要があるというのだ。「そのためには、新しい知見が得られた時、社会に還元するために何ができ、何ができないのかを研究スタッフと経営者が同じ目線で話し合える環境が必要。松下、ソニー、ホンダなども最初はベンチャーだったが、技術者と優れた経営陣の両面が揃っていたから成功したのだろう」とみる。
バイオベンチャー事業の成功の鍵は、優秀な人材をいかに活用するかにある。そのためには、研究者が自分のスキルや興味に応じて、大学、公的研究機関、大手の民間企業、ベンチャーの間を自由に行き来できる体制が必要とされる。
「難病の指定を受けている疾患の治療に結びつく事業を応援したい」と話す池本博士。自らの経験を生かし、経営陣やスタッフのよきアドバイザーとして活躍する日々が続く。
西村尚子 サイエンスライター