有機結晶の超高速の構造変化をピコ秒レベルで撮影
2013年6月27日
東京工業大学大学院 理工学研究科 理学研究流動機構
恩田健 流動研究員
金属や半導体、有機物の結晶の中で原子が動く様子は、放射光を用いた時間分解X線回折法などで直接的に見ることができ、すでに100億分の1秒程度までの観察が可能になっている。ただし、化学反応の最初の過程は1兆分の1秒以下の速さで起こると予測されており、光触媒や有機電子デバイスなどの開発のために分子や原子の構造の変化をリアルタイムで観察するには、1兆分の1秒以下の時間分解能での回折像観測が必要となる。その1つの方法として、10兆分の1秒以下のパルス幅を持つレーザーにより発生させた超短電子パルスを用いた時間分解電子線回折法が挙げられる。とはいえ、有機物には、柔らかくて電子線の散乱が弱い、熱に不安定、熱伝導率が悪い、電子線照射によって試料が壊れやすいといった難点があり、そのために、試料の劣化を防ぎながら時間分解能を上げて観察する方法が模索されてきた。
東京工業大学大学院 理工学研究科 理学研究流動機構の恩田健(おんだ・けん) 流動研究員らは、超短パルスレーザーを使う分光法と超短パルス電子線による解析を組み合わせ、有機物の結晶構造の変化を1兆分の1秒(ピコ秒)単位で撮影することに世界で初めて成功した(Nature 496, 343–346)。この研究は科学技術振興機構(JST)の課題達成型基礎研究の一環で、同研究科の腰原伸也(こしはら・しんや)教授をはじめ、カナダ・トロント大学、京都大学、名城大学の研究者を含む国際共同研究として行われたものだ。
観測した有機電荷移動型錯体結晶(EDO-TTF)2PF6は、室温では金属のように特定方向に電気を通し、7℃以下にすると絶縁体のように電気を通さなくなるという特徴があり、7℃以下のときに光を当てると色が劇的に変化する。そして、これまでの腰原教授らの研究で、10兆分の1秒の光を照射すると色が変化し、その後100億分の1秒ほど経過すると冷えた状態でも電気を通すことがわかっていた。
一方、トロント大学では以前から小型の時間分解電子線回折装置を開発中で、(EDO-TTF)2PF6を観測したところ、恩田流動研究員らが取り組んでいた超短パルスレーザーによる時間分解赤外分光法で得られていたのと同じパターンで回折像の時間変化が見えたことから研究が一気に進んだ。
今回の新しい装置では、10兆分の1以下の超短パルスレーザー光を金の薄膜に当て、超短電子パルスを発生させ、そのパルスを高周波を用いて圧縮した後、100 nmの厚みの(EDO-TTF)2PF6に照射し、CCDカメラで透過した電子の回折を撮影した。そして、これを用いて(EDO-TTF)2PF6の光励起前後と温度変化による差を調べた。すると、結晶内に存在する正電荷を持つ真っすぐな分子が1兆分の1秒以下で素早く移動する一方、中性の曲がった分子はそれより100倍遅く、100億分の1秒かかって移動する様子が解析できた(図参照)。「光と電子線の両方を組み合わせることで、それぞれの得意な点や苦手な点を補い合い、有機物の物性や機能が観測できた」と恩田流動研究員は話す。

(EDO-TTF) 2PF6内では、低温時には、正電荷(+1)を持つ真っすぐな分子と中性(0)な曲がった分子が積み重なっている。光励起後、1兆分の1秒後には、正電荷を持つ真っすぐな分子が移動している(左)。一方、温度が上昇した場合には、正電荷を持つ真っすぐな分子とともに中性な曲がった分子も移動した(右)。光励起においても100億分の1秒後経てば温度上昇と同様に中性な曲がった分子も移動する(左から右への変化)。分子から出ている緑色の細い線は、分子中の原子の位置の変化を示す。 | 拡大する
恩田流動研究員は大学時代から化学反応ではどんなことが起こっているのかに興味を持ち、分子の動きを超高速の分光法を用いて調べるようになった。東大の修士課程在籍中の1991年に雑誌の企画で“Scientific American”に掲載されたカリフォルニア工科大学のA.H.ズウェイル教授の“分子誕生の瞬間”を翻訳した経験がある。A.H.ズウェイル教授は超高速パルス分光法によって1兆分の1秒の分子の変化の撮影に成功し、1999年にノーベル賞を受賞。「翻訳したときには自分がこんな研究をしているとは想像もしていなかった」と笑う。
現在、分光法も電子線による回折法も100兆分の1(10フェムト秒)程度までの時間分解能が可能になっており、100京分の1秒(アト秒)レベルのレーザーも出てきた。恩田流動研究員は、今後はより高速のレーザーパルスによる観察を実現するだけでなく、「今、注力している人工光合成に用いられる金属錯体など複雑な構造を持つ有機物の電荷や構造の変化を光や電子線を使って観察したい」と話す。タンパク質など研究対象とする物質や化学反応の種類を広げていくのも目標の1つ。「将来的には研究の結果をものづくりの現場での製品開発に生かせれば」と抱負を語っている。
小島あゆみ サイエンスライター