雌雄のニワトリの脳を入れかえることで、 脳の性差に関する新たな知見を得た!
2013年3月14日
北里大学 一般教育部・大学院医療系研究科
浜崎 浩子 教授

ヒトを含むほ乳類には雌と雄の性があり、生殖器の構造と機能、性行動、身体や臓器の大きさなどに違いがみられる。こうした性差は、卵巣や精巣などの生殖腺から分泌される性ホルモンがもたらすとされる。一方で、脳の構造や機能にも性差がみられ、やはり性ホルモンの作用によると考えられてきた。ところが今回、北里大学 一般教育部(大学院医療系研究科 兼務)の浜崎浩子教授らの研究チームは、この定説を部分的に覆す研究成果を得た。雌と雄のニワトリ胚の脳を入れかえる実験により、性特異的な神経回路の一部が、性ホルモンの影響を受けないことを突き止めたのである。
トリの性別は、ZとWからなる性染色体の型によって遺伝的に決められる。Z染色体を2本もつ個体は雄になり、Z染色体とW染色体を1本ずつもつ個体は雌になる。ただし、雄も雌も、発生のごく初期には「同じ生殖腺原基」をもち、その後の過程において、雌では生殖腺が卵巣へ、雄では精巣へと分化する。完成した卵巣や精巣からは、雌雄に特異的な性ホルモンが分泌され、それぞれの性分化を強力に促す。
浜崎教授は、1984年から4年半にわたり、フランスの発生生物学研究所のル・ドゥアラン教授のもとに留学。ニワトリやウズラなどのトリ胚の一部を入れかえる移植技術を習得し、胸腺原基などの交換移植によって、自己組織に対する免疫寛容の分子メカニズムについて研究を行った。帰国後も、羽や足になる組織(肢芽)などを交換移植し、発生のメカニズムについて研究を行った。「留学中に、別のチームが『ニワトリ胚どうしでは、神経管を移植しても拒絶反応がおきない』と報告しました。このときに、雌と雄の脳を入れかえると、行動が変わるのかどうかを確かめてみたいと思い、このことが、今回の研究のきっかけとなりました」と浜崎教授。
その思いを実行に移せるようになったのは、1999年。まず、生殖腺が分化する前の雌雄の胚(10〜12体節期)を対象に、将来脳になる部位(脳原基)を交換移植してみたところ、孵化後も拒絶反応をおこさないことがわかった。次に、成鳥になるまで飼育し(一部の個体には免疫抑制剤を使用)、遺伝子レベルで体と脳の雌雄を判定するとともに、血液中の性ホルモン量、外見、鳴き方、性行動、産卵の様子などを観察した。観察を終えた個体は、脳や生殖腺などを標本にし、組織解析も行った。移植の成功率は、優れた技術をもってしても5%程度だったという。
一連の解析の結果、「雌の脳を移植された雄(体は雄型、脳は雌型)」は、見た目、鳴き方、求愛や性行動、血中の性ホルモン(テストステロン)のいずれもが、正常な雄と同じであることがわかった。一方、「雄の脳を移植された雌(体は雌型、脳は雄型)」の場合は、行動、血中の性ホルモン(エストラジオール)、性周期を促すホルモン変動は正常な雌と同じだったが、産卵の開始時期が3週間おそく、産卵数が3分の1ほどしかないことがわかった。
さらに浜崎教授らは、孵化時の脳における性ホルモンの値についても調べた。「ごく最近、神経細胞が性ホルモン様の物質を作り出すとの報告があり、血中ではなく、脳そのものに含まれる性ホルモンの値も知りたいと思ったのです」と浜崎教授。結果は驚くべきものだった。脳においては、雌よりも雄の方がエストラジオールの値が高く、雄の脳を移植された雌(体は雌型、脳は雄型)においても、正常な雄と同レベルにエストラジオールが高いことが明らかになったという。
得られた結果は、以下の2点を強く示すものとなった。第1は、性成熟と性周期を司る神経回路は、後天的な性ホルモンの影響だけでなく、もともとの脳の遺伝的な性による影響も受けること。つまり、雌として正常に性成熟するには、雄の脳ではだめで、雌の脳が必要だということになる。第2は、性特異的な脳の完成には2段階が必要であること。第1段階の孵化時の脳は、生殖腺由来の性ホルモンばかりではなく、もともとの脳の性が規定するしくみによっても性差が獲得される。その後、第2段階の性成熟期には、脳でも生殖腺由来の性ホルモンがはたらき、鳴き方、求愛や性行動などに性差がもたらされる。
「脳の性差は、二重の手間をかけて作られているということになります。その理由は明らかではありませんが、幼鳥のころから雄の形質、あるいは雌の形質をもちながら成長していくことが、後の生殖活動に重要なのかもしれません」と浜崎教授。
ヒトでは、「生物学的な性」と「自己認識の性」とが一致しない性同一性障害が知られており、患者の脳の性が、身体の性と逆になっている可能性が指摘されている。ニワトリによる結果を直接ヒトに当てはめることはできないが、「脳の性のみを変える」というアプローチは、こうした障害の病態解明に役立つかもしれない。「引き続き研究を進め、遺伝的にプログラムされているものと、可塑的に変化して決められていくものを、一つでも明らかにしたい」と話す浜崎教授。ニワトリと格闘する日々が続く。
西村尚子 サイエンスライター