生きた線虫の体内で、 タンパク質の素早い活性変化を可視化!
2012年9月13日
九州大学大学院 理学研究院
広津 崇亮 助教

外界からの情報の受容や伝達、遺伝子発現、分化や成長、代謝など、さまざまな生命現象において機能するタンパク質だが、そのふるまいを分子レベルで可視化するのは容易ではない。このたび、九州大学大学院 理学研究院の広津崇亮 助教らの研究チームは、タンパク質が活性化しはじめると「発する蛍光」が変化する技術を応用し、Rasとよばれるタンパク質が生体内で活性化するようすを観察することに成功した。
タンパク質は、秒単位で構造の一部を変え、活性化と不活性化を繰り返している。つまり、「タンパク質が、いつどのようにして活性化したり、不活性化したりしているのか」を明らかにできれば、生命現象の理解が格段に深まると思われる。ところが、これまでのタンパク質の可視化技術は、固定された組織切片や培養細胞などに限られており、生きている生物の体内での成功例はほとんどなかった。
たとえば、細胞内におけるカルシウムイオンの濃度変化をリアルタイムで可視化する技術は、すでに一般的になりつつある。ところがタンパク質については、活性変化が非常に小さい、観察対象の生物を動かないようにして長時間生かしておくのが難しい、厚みのある組織の深い部位を観察できる顕微鏡技術が十分でないといった理由から実用化されていなかった。
今回、広津助教らが注目したのは、さまざまな生物種に保存され、細胞の増殖、分化、がん化などに関わることが知られるRasというタンパク質。「Rasタンパク質については、活性化の状態によって蛍光の度合いが変化するイメージング分子(Raichu-Rasタンパク質)が開発されており、これを体が透明で観察の容易な線虫に導入できれば、活性化と不活性化のようすを可視化できるのではないかと考えたのです」と広津助教。Raichu-Rasタンパク質は、Rasタンパク質が活性化すると黄色く光り、不活性化すると青く光るという。
実は、線虫では、Rasタンパク質が嗅覚神経の細胞において、匂いを知覚するためにもはたらくことがわかっている。広津助教らは、線虫の嗅覚神経で匂いの刺激に応答してRasタンパク質が活性化し、さらに不活性化するようすもとらえようと考えた。
具体的には、Raichu-Rasをコードする遺伝子の上流に、嗅覚神経で特異的に発現誘導するプロモーターをつなげ、線虫の生殖腺に導入した。この線虫の子孫では、嗅覚神経の細胞内でRaichu-Rasタンパク質が作られるようになる。「このような線虫を寒天上に固定したうえで匂い物質による刺激を与え、同時に光をあててRaichu-Rasを励起させました。すると、匂い刺激を与えた数秒後に黄色く光り、さらにその数秒後に青く光りました」と広津助教。
この実験結果は、嗅覚神経において、匂い刺激に応答してRasタンパク質がきわめて素早く活性化し、その後、素早く不活性化することを意味している。「培養細胞による解析では、Rasタンパク質は数分から数時間単位で活性化されると報告されており、今回の秒単位の素早い活性制御は、予想外でした」と広津助教。
一方で広津助教らは、ほ乳類の嗅覚シグナルの伝達に関与することが知られ、線虫にも共通してみられる遺伝子のいくつかを欠損させた変異体も解析した。「その結果、Rasタンパク質の素早い活性化には『匂いシグナルの伝達経路』と『Rasの活性化を直接的に制御するRasGRP(Rasグアニルヌクレオチド放出タンパク質)』が、その後の素早い不活性化には、Rasタンパク質の下流ではたらく因子(MAPキナーゼ)による負のフィードバッグが重要であることがわかりました」。
さらに、Ras遺伝子の変異体を解析することにより、Rasの活性変化が嗅覚介在神経の応答を安定化させ、「匂いのありか」に向かって的確に移動する行動に寄与していることも明らかにした。この点について広津助教は、「線虫は匂いのありかに向かう際、首を左右に小刻みに振ります。こうすることで匂い物質の濃度の差を感知し、より濃度が高い方へ進むようです。この首ふりのサイクルは約3秒で、Rasタンパク質の活性化のタイムコースとほぼ一致することから、首ふりによって匂いの濃度上昇を感知するとRasタンパク質が活性化し、正しい方向へ移動するための命令が出されるといったモデルを考えています」とコメントする。
Ras遺伝子の変異はがん化につながるため、Rasタンパク質の可視化研究には、がん化の病態解明や治療法の開発に結びつく可能性も秘められている。また、今回の可視化技術はRasタンパク質以外のタンパク質にも応用可能で、複数のタンパク質の活性状態を同時に見ることも夢ではないという。「マウスなど高等生物の細胞において、あらゆるタンパク質の活性変化を観察できるようにするのが夢です」。そう話す広津助教の研究は、まだ始まったばかりだ。
西村尚子 サイエンスライター