がん幹細胞が自らを育む環境を作り出すことを発見
2012年4月26日
東京大学医科学研究所分子療法分野 / がん分子標的研究グループ
後藤 典子 特任准教授
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がん幹細胞とがん幹細胞ニッチ(がん幹細胞を育む微小環境)は近年のがん研究の大きなトピックスとなっている。1990年代後半から免疫不全マウスに移植したときにがん化する、あるいは少ない数でも培養によってがん化する細胞が次々と発見され、がん組織の中にわずかにがんの幹細胞があるという仮説は有力になっている。
東京大学医科学研究所分子療法分野/がん分子標的研究グループの後藤典子特任准教授らのグループは、このほど、乳がんのがん幹細胞が自ら増殖しやすい環境を作り出す分子メカニズムを発見した。
がん幹細胞は、培養すると直径100 μm程度の球状の細胞塊(スフェア)を形成し、このスフェアはがん幹細胞ニッチとなって、がん細胞を増殖させることが知られている。後藤特任准教授はヒト乳がん組織から得た、がん幹細胞がスフェアを作る条件を遺伝子解析などで詳細に検討した。
その結果、①細胞膜上のErbB3受容体(EGFR:上皮成長因子受容体の一つ)にタンパク質のHRG(heregulin:へレギュリン)が結合すると、スフェア形成が促進される、②ErbB3受容体へのHRGの結合によって細胞内リン酸化酵素PI3-kinaseとAkt、転写因子NF-κBが次々と活性化し、スフェアが形成される(ErbB-NFkB経路)、③活性化したNF-κBは、細胞の自己複製能を高めるIL8のようなサイトカインやケモカイン、血管新生因子などの産生を促し、がん幹細胞の周囲に分泌して、がん幹細胞ニッチを形成する、というシグナル伝達があることが明らかになった。「がん幹細胞は炎症を起こすNF-κBなどを活性化して免疫細胞を引き寄せたり、新生血管を作らせたりして、自分が生きやすい環境を作る力を持っていた」と後藤特任准教授は説明する。
乳がん組織の検体は、インフォームドコンセントを得た患者さんの手術が行われる際、病院に待機して受け取る。そして、研究室に持ち帰り、すぐに乳がん幹細胞を分離する。「これまでセルラインを使っていたが、患者さんの検体を使うようになり、その移送や分離の方法を確立するのに苦労した」と後藤特任准教授。
今回の発見は、がん幹細胞の発生や増殖に共通するメカニズムである可能性があり、これをターゲットとする分子標的薬が開発されると多くのがん種の治療に汎用できるかもしれない。現在、他の分子や遺伝子の同定も進んでおり、がん幹細胞の機能が明らかになることが期待される。「例えば、手術で切除した組織を染色したときにHRGが多い患者さんは予後が悪いと言われている。臨床現場の知見と私たちの研究を結び、薬や腫瘍マーカーの開発につなげたい」。
後藤特任准教授は、がん幹細胞ができるルートの一つとして、「通常の組織を作る幹細胞や幹細胞の前駆細胞に遺伝子変異が起こり、がん化した場合に強い自己複製能を持つがん幹細胞となるのではないか。がん種ごとに特有のがん幹細胞があるというより、患者さんによって、がん幹細胞の由来や生まれ方は異なると予想している」と話す。がんが限局している場合は手術でがん組織を切除したり、薬物療法や放射線療法で叩いたりすれば、がん幹細胞も成熟したがん細胞とともに切除され、壊されるが、それが何らかの理由で残ったり、離れた場所に隠れていたり、別の幹細胞に重大な遺伝子変異が起こったりすると、増殖や再発、転移が起こるというわけだ。
解き明かされつつある、がん幹細胞やがん幹細胞ニッチの存在と機能。がん研究とその治療法の開発は新しい段階に進むのか、後藤特任准教授らの研究の今後に注目したい。
小島あゆみ サイエンスライター