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ATP合成酵素を形成するF1モーターの新たな回転のメカニズムを発見

2011年9月22日

東京大学大学院工学系研究科 応用化学専攻
飯野 亮太 講師

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ATP(アデノシン-3-リン酸)は生命活動に欠かせないエネルギー源であり、ヒトでは1日30kgほど合成され、すぐに分解して使うというサイクルを繰り返している。その合成のメカニズムは化学反応と物理学的な回転運動を使うユニークなものだ。

動物や植物のATP合成の主要な経路(酸化的リン酸化や光合成)で合成を担うATP合成酵素は、Fo (エフオー)とF1 (エフワン)という2つの回転モーターの複合体から成る。Fo モーターは細胞膜内にあり、細胞膜の両側での水素イオンの濃度差や膜にかかる電圧を感知して時計回りに回転し、その際にATPの合成に寄与する。一方、細胞質内にあるF1 モーターは本来ATPを加水分解しながら反時計回りに回転するが、Fo モーターによって無理矢理に逆回転させられることでATPを作る。

最近、東京大学大学院工学系研究科 応用化学専攻(1分子生物物理学研究室)の飯野亮太講師は、金沢大学理工研究域数物科学系(生物物理学研究室)の内橋貴之准教授らとの共同研究で、このF1 モーターの回転が従来の説とは異なる仕組みを持つことを解明した。

F1 モーターは、図のようにαとβのサブユニットが3つずつ交互に並んで固定子リングを形成し、そこに回転子のγサブユニットが突き刺さった構造を持つ。これは1994年にX線結晶構造解析によって明らかになった。飯野講師が所属する研究室の野地博行教授らは1997年、F1 モーターにプラスチックビーズを付け、光学顕微鏡で回転を実証した。これに後押しされ、ATP合成酵素の回転説を唱えたPaul D. BoyerとF1 モーターの構造を解明したJohn E. Walkerはその年のノーベル化学賞を受賞している。

F1 モーターでは、Fo モーターの回転を受けた回転子γが、ATP結合に寄与するアミノ酸残基を持つ固定子βを押し引きすることで、βが順番にタイミング良く開閉し、ATPを合成する。そのため、この1方向の回転には、γによるβの化学反応と構造変化のタイミングの支配が必須だと考えられていた。“γを下から短くし、βとの接触点を大きく減らしても回転できる”という報告も出ていたが、その報告者自身を含め、この“γ独裁者モデル”が圧倒的な支持を集めていた。

飯野講師らは、逆に、γが短くても回ること、また、F1 モーターと似た形でありながら、回転子を持たない酵素(核酸をほどくヘリカーゼT7gp4や不要なタンパク質を処理するプロテアーゼFtsHなど)の存在から、「γがなくても回るかもしれない」と推測。大腸菌の遺伝子操作によってγのないF1 モーターを作製し、金沢大学の安藤敏夫教授や内橋准教授らが開発した高速AFM(atomic force microscope:原子間力顕微鏡)で観察した。

その結果、γのないF1 モーターの観察像と、“開いているβはαに比べて高くなる”という結晶構造からのシミュレーション像が一致し、γがなくても1方向(反時計回り)に回転することがわかった。F1 モーターの回転は“γ独裁者モデル”ではなく、“協同による民主化モデル”であったのだ。「ただ、γがないと回転スピードが遅くなり、10回に1回は反対に回って効率が落ちる。つまり、αとβによる回転はγとの相互作用により補強されると考えられる」(飯野講師)。

F1 モーターは自身の100倍ほどの大きさの物質を水中で回せる力を持ち、その最高回転速度は1分間に1万回転と自動車のエンジンよりも速い。エネルギー変換効率も100%近くと見積もられており、「自然界にあるモーターでは一番小さくて効率がいい」と飯野講師。

一方で、なぜ1方向に回るのか、またどのような仕組みで可逆性を持つのかなど、不明な点が多い。前述のT7gp4やFtsHとの比較などからも新たな知見が得られる可能性がある。「Fo モーターがF1 モーターを逆回転させるだけの推進力を得る源は水素イオンの濃度差や膜にかかる電圧だと言われているが、これらがどのように回転力に変換されるのかは全くわかっていない。生命科学のターゲットとして、F1 モーターやFo モーターはほんとうに興味深い」(飯野講師)。

飯野講師は、高性能のF1 モーターを実社会に活かしたいと希望している。「そのままの形でうまく別の構造物につなぐことで、あるいは回転子γをカーボンナノチューブやDNA、RNAなどに置き換えることで、人工アクチュエーターを動かすナノモーターとして使えるかもしれない」。現在、オランダの研究グループが作った、光で1方向に回る人工モーターに注目しており、これにF1 モーターをつなぐことで人工光合成ができないかと考えている。「将来的にはF1 モーターの改造でATP以外のエネルギーを作り出せれば」と夢を語る。

F1 モーターは直径が10 nm(1億分の1 m)で、回転子γの直径は2 nm。右は、回転子γがないF1 モーターを高速AFMでリアルタイムで観察した図。赤い丸が高いところ(=開いた固定子βのてっぺん)で、その位置からF1 モーターが回転していることがわかる。youtube で動画を見ることができる。AFMではカンチレバーの先の探針で試料表面をなぞるように走査して、探針と試料表面との相互作用力を調べ、表面構造を観察する。通常のAFMは走査が遅く、画像を得るのに時間がかかるが、安藤研の高速AFMでは数百 nm四方を0.1秒以下で走査し、1秒間に10枚以上の動画を撮影できる。解像度は水平方向で1 nm、垂直方向に0.1 nm程度と高く、また液中で撮影できるのも特徴だ。

小島あゆみ サイエンスライター

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